私はとても不器用だ。
不器用な生き方しかできぬ。
そんな私であるが、秀晴を運転し、シェラトンに向かっていた際にふと思ったことがある。
良い悪いを抜きにして聞いて頂きたい。
私は多分、『恋多き女』なのだろうと我がことながら思う。
破天荒な恋愛が多く、好きになったら猪突猛進。
不倫のような褒められるようなことばかりではない経験も、泣いた日も、たぶん人よりはちょぴっと多い。
そんな過去をよくよく振り返ってみた。
私は自分の思い通りにならない殿方とはことごとく嫌な終わり方を繰り返してきた。
そうあらなければならなかったようなとんでもなく悪い殿方ももちろんいたが、私が相手を好き過ぎるあまりに求め過ぎて一方的に感情的になってしまい、取り返しのつかない事態になったこともしばしば。
そんな破天荒女に対して『俺を利用したらいいから。』と、言ってくださった殿方が過去にいた。
その人のことは好きだったが、彼は既婚者であった。
そんな彼が私にたまに言っていたこと。それは『俺を利用したらいい。』この言葉だった。
だが私は彼が既婚であることよりも、気になったのは彼の飲み屋通いだった。
彼はお姉様方のいるラウンジやスナックが大好きで、私はそのことが耐え難かった。
とある日、それが原因でケンカになった。
醜い醜態を晒して怒り狂い、勢いで別れ話を持ちかけた『求め過ぎ女』の私に対し、彼は酷く疲れた顔で『別れても何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで。』と言った。
なのに私は、『別れたくない。』とすがらない彼が許せなかった。
私はこと恋愛に関しては本当に激情型の女なのだ。
私は別れてしばらくしてもパニック状態が拭えず、彼がどうしても許せなかった。
結果…彼に散々酷い言葉を浴びせ、歳上で非常に気の長いその人は、そこで私のすべてを初めて拒絶した。
終わった当時は『これでよかったんだ…彼にトコトン嫌われなきゃ私の中で終われなかった。』と思った。
だが…かなり昔の話であるので今振り返ってみると、あの時普通に『飲み屋通いが日課なような人とは付き合えない。』と別れ話をし、その後の別れの苦しさに耐え、綺麗に終わっていればずいぶん歳上だったその人は今頃、私の良き友であり理解者であっただろう。
と思う。
『人を利用する生き方』というと聞こえは悪いが、私はこの激情型な性格のせいでずいぶん損をしてきているのではないか…と思うのだ。
ハイソのこともそうである。
彼は私に『良き友でいたい。』と言っていた。
大好きだった当初は『ふざけんな💢なめてんのか💢』と思い、散々なことを言い彼を断罪したが、今となってみれば私が感情的にならず大人の女性として現実も怒りも悲しみも黙って受け止め、気持ちがなくなるまで沈黙を貫き、2人の間に数年ほどの時間が経って完全にほとぼりが覚めれば、どこかでバッタリ会っても他愛もない話ができたり、何か困った時に相談したりする良き友としていれた人ではあったのではないか……と思う。
彼はズルい男ではあったかもしれないが、決して心底の悪人ではなかった。
タラレバの憶測で物事を俯瞰しても仕方がない。
別れ際の激情で、縁が切れるならその程度のもの…と思われる方もおられるかもしれない。
だが私の愛の激情は皆さまが想像する以上の激情っぷりで、本当にその場の感情に身を任せ取り返しのつかないような暴言を『言ってはいけない』と分かっていながら、普通に吐いてしまうところが私自身の真の怖さであるのだ。
そしてそれは、紛れもない私の『弱さ』でもある。
『一度は男女の関係になった人と友達ではいれない。男女が終わる、別れるということは互いに二度と関わらないということ。』
という考えの人も多数いる。
私は決してそうではない。普通に別れ、今でもたまに互いの誕生日に『おめでとう!』程度の連絡をしたりするような元彼もいる。
私の場合、『別れた人とは友達ではいれない。』ではなく、万が一どこかで会っても目も合わせれないような関係悪化を自ら望んでしてしまっている。
そのことが大きな問題なのだ。
強くなりたい。
人を良い意味で利用できる。
そんな生き方がしたい。
私がもっと強ければ、今頃私は別れてからも私に『人』して繋がることを望んでくれた殿方達から幾多の知恵や知識を得れていたかもしれない。
その事でもっともっと、人生が豊かになっていたかもしれない。
私は不器用な生き方しかできぬ女だから。
恋愛したら感情が抑えられなくなるのは当たり前。
と、開き直るのはもうよそう。
人生まだまだ勉強。
自分を責めぬ。けれど反省はしよう。
激情に溺れ、愛を求め過ぎてきた今まで。
器用には生きていけないかもしれない。
けれど今よりほんの少しだけ、上手に生きていけるよう精進しよう。
きっとこれから、身に付くよね