こんにちは!

 

 以前、小川未明の『赤い蝋燭と人魚』について語りました♪ 

 

今回は同じく小川未明の小説、『野ばら』を私なりに考察していこうと思います。 

 

あらすじを以下にご紹介しますが、青空文庫でサクッと読めるので

全文読みたい方はこちらから♪

 

◆あらすじ

このお話の主な登場人物は二人の男性です。
そして舞台は国境です。

登場人物の一人は老人で、もう一人は青年。
老人は大きな国の兵士で、青年は小さな国の兵士でした。

二人は、国境を定めた石碑を守るため、
都から遠く離れた場所までたった一人ずつ派遣されたのでした。


始めは打ち解けられなかった二人でしたが、
一緒に過ごしていくうちに仲良しになっていきます。


寂しい山でしたが、のどかな場所でした。

この国境には誰が植えたとも知れぬ白い野ばらが茂っていて、
二人にとっては野ばらに集まるみつばちの快い羽音が、朝の知らせでした。


老人も青年も至っていい人で、正直で、親切でした。
毎日将棋を差し合い、心から打ち解けていました。



こうして毎日平和に過ごしていましたが、
ある時、何かの利益の問題から二つの国は敵同士になってしまいます。


そこで老人は青年に言います。
「こんなに老いぼれてても少佐だから、
私の首を持って行けばあなたは出世する。
だから殺してください」
と。


もちろん青年は断ります。
そして遠く離れた戦場へと去っていくのでした。


老人は一人になりました。
この場所では、戦争の様子は何もわかりません。
残された老人は、ひたすらに青年の身を案じる毎日を過ごしました。



ある日、旅人が通りかけました。
老人は戦争がどうなったか尋ねます。

すると旅人は、小さな国の兵士はみなごろしになって負け、
戦争は終わったと告げます。



老人は、青年も死んだと思いました。
そこに現れたのはあの青年。

青年は黙礼し、ばらの花をかぎます。

次の瞬間、老人は目が覚めました。
夢を見ていたのです。


野ばらは枯れました。
その年の秋には、老人は暇をもらい家族のもとへ帰るのでした。

 

◆野ばらの存在意義

皆さんは「野ばら」と聞いて、
どんな花を思い浮かべるでしょうか。


観賞用に交配されたバラは華やかで、幾重にも重なった花びらが特徴的ですよね。


野ばらは少し違っていて、一重咲のシンプルなお花です。


ゲーテも詩を書き、数々の音楽家が異なるメロディをつけています。
特にシューベルト作曲のものは教科書に載るほど有名です。


同じ詩からでも異なるメロディが生まれるのも面白いですね。


何故未明が野ばらをチョイスしたのかは本人にしかわかりませんが、
とにかく素朴で美しいんですよね。


物語内でも「一株」と表現されているように、
小ぶりの花がいくつも咲く様子は風情があります。


老人と青年の毎日は、野ばらがあってこそでした。


野ばらに集まるみつばちの羽音で目が覚め、
野ばらのそばで将棋を差す。


意識しなくても、当たり前にそこにあるのが野ばらでした。


野ばらの咲く春が過ぎ、冬になり、
二人は春を待ちわびます。


そしてその春が訪れる頃、
引き換えに青年は戦場へと去ってしまうのです。

野ばらは咲き、みつばちも集まりますが、青年はいません。

青年のいない日々の中、関係なく巡っていく季節。

戦場から遠く離れたこの国境で、
老人は物理的にも、心も、取り残されていくのです。

 

◆「白」の意味

小川未明の小説は、色彩の表現が豊かであることが特徴の一つです。


野ばらは白でした。


白という色に対するイメージは多々あると思いますが、
どれも正解です。


解釈は人それぞれで良いのです。



なんだったら、特に意味もなく
単純に綺麗だから未明は「白」をチョイスしたのかもしれません。


少なくとも、二人の共通の風景にある色の象徴が「白」であることは
「純粋」「何にも染まっていない」「平和」等、
多くの人々の意識に存在する「白」に対するイメージすべてを正解にするのではないでしょうか。

老人と青年は心から打ち解け、
それぞれの国が敵同士になってもそれは変わりませんでした。


様々な事情を差し置いて、
老人と青年が親友であったことが重要であると私は考えます。


老人と青年が過ごした平和な日々に咲き、
そして青年が戦場へと去っていったあとにも同じように咲く野ばらが「白」であることによって
青年だけがいない、「いつも通りの日々」という描写が強くなるんのだと考えています。

 

◆なぜ野ばらは枯れたのか?

老人が旅人から戦争が終わったことを聞き、
青年の夢を見たあと、
野ばらは枯れます。



戦争の終結により、青年のいた「いつも通りの日々」も終わったのです。

野ばら老人と青年が平和に過ごした風景の中心にあり、
戦争という事情も知らずに咲き、
青年さえそろえば「いつも通り」に戻る象徴でした。


しかしそれもすべて、老人にとっては無意味になってしまったのでしょう。


思い描いた日常はもう戻ってこない。
第一次世界大戦を経験した未明の戦争観が表れているようにも見受けられます。




戦争はいけないね、という単純なメッセージのみでなく
美しい風景や、国を超えた友情、相手の手柄のために自分の命さえ差し出そうとする老人の利他的な精神、
老人の申し出を断り自らは命を失うことになった青年。


端々に散りばめられた要素が読者に「なにも失いたくない」と願わせ、
最後には老人以外のすべてがなくなって唐突に終わるこの物語。


あなたはどう受け取りますか?