こんにちは!

今回は私の好きな小説、
『赤い蝋燭と人魚』についてお話していきます♪


作者は「日本のアンデルセン」と呼ばれた小川未明です。


青空文庫でも読めます(((o(*゚▽゚*)o)))
すぐ読めます♪


◆小川未明について

1882年(明治15年)に生まれ、1961(昭和36年)に没。
いわゆる近代と呼ばれる時代に、児童文学を書いていた作家さんです。
だから「日本のアンデルセン」なんですね。

坪内逍遥を師とし、「未明」というペンネームも逍遥がつけたのだそう。

幻想的な画が魅力の未明ですが、
ちょっとドキッとするような、影の部分も持ち合わせた作品が多いのもまた事実です。

児童文学に分類されてはいるものの、
子供で読むのと大人になってから読むのとではまた感じ方が違うのではと
思います。

『赤い蝋燭と人魚』はそんな小川未明の代表作の一つです。



◆赤が示すもの

「赤」という色からどんなことが連想されるでしょうか。

情熱だったり怒りだったり、
ファッションとして身に纏うものだったり。

人それぞれだと思います。
正解は一つではないはず。


未明ももしかしたら特別な意味を持たせるつもりはなくて、
イメージだけで赤を採用したのかもしれません。


未明は他にも色をテーマにした作品をいくつも発表していますから、
頭の中の幻想的な風景に物語を付けて小説にした可能性も
ゼロではないんじゃないかな、なんて思っています。


ただ人々の中に「赤」について
イメージが存在しているのも事実で、
小説から受ける印象もそれぞれでいいと私は思ってます。


ちなみに私は、
小説の中の「赤」って絵具だけじゃなく、
複数存在してると思います。



まずはお宮に灯る蝋燭の火。
ここには人々の願いが確かに存在しています。


火についての描写は、かなり最後のほうに少しあるくらいなのですが
これがまた、気味の悪い画の浮かぶ描写で。

怒りとか恨みとかそんな負の感情を象徴しているように
感じています。


もう一つは鳥居です。

もともと人魚の娘が老夫婦のもとに行くきっかけになったのは
山の上のお宮でした。


鳥居が赤く塗られているか否かについては
触れられていませんが、
私の中では赤い鳥居が浮かんでいます。


正確には赤というか、鳥居の赤は朱赤で、
元来、仏教から伝わってきた色です。


そんな朱色が、なぜ神社で使われているのか、

には諸説あるみたいなんですが、
神仏習合は外せないと思っています。


古くから日本に伝わる神道と、
外国から入ってきた仏教を一緒にしちゃった考え方です。



神仏習合の考え方の影響を受けて朱赤に塗られた鳥居と
元々の姿である白木そのまま、もしくは石の鳥居は存在していて
『赤い蝋燭と人魚』の中のお宮はどうかわからないけど、
私は赤のイメージを持ってるということです。



◆ずっと孤独だった人魚

私がこの小説の中で一番心に残ったシーンがここです。



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神様の評判はこのように高くなりましたけれど、
誰も、蝋燭に一心を籠めて絵を描いている娘のことを思う者はなかったのです。

従ってその娘を可哀そうに思った人はなかったのであります。

娘は、疲れて、折々は月のいい夜に、窓から頭を出して、
遠い、北の青い青い海を恋しがって涙ぐんで眺めていることもありました。

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娘に寄り添う者はいなかった。


どうしても、欲に支配されて心を狂わせてしまった老夫婦や
人魚を売ってくれと囁いた香具師に目がいきがちなんですが

蝋燭を買い求める人々もまた、娘の心を蝕んでいたのではないでしょうか。


そこに悪意がなかったのがまた、

なんともやりきれない。


何よりも子供の幸せを祈って、
人間の住む世界に子供を産み落とした母人魚でしたが
娘が幸せだった瞬間ってあったんでしょうか。



娘は「こんな姿の自分を育ててくれたのだから」と、
手が痛くなるのも我慢して絵を描き続けます。



これが娘にとって幸せだったのかという問いには
素直に頷けないのが私の率直な感想です。



本当にどこにも救いがないです。



◆童話といえど、大人もグサッとくる!

もし私が子供時代にこの作品に出会っていたら、
「欲に目がくらんだ老夫婦に罰があたった話」
だったかもしれません。


でも大人になって初めて触れて、
人間誰しもが持ち合わせている暗い部分を照らしたこの作品は
正直戦慄ものでした。



どこまでも解釈できるからこそ、
未明の作品は人々を魅了し続けるのだと思います。