こんにちは!
ミント新宿店MLB担当のホソミです。
前回のブログ(2019/5/16更新)でも少し書かせて頂きましたが、MLBの長い歴史において史上最高の選手は誰なのか?今回はそのお題について書いていきたいと思います。
ひとえに最高の選手と言っても野球には様々なポジションがあり、当然ポジションによって求められる役割が変わってくるため、ポジションを越えての比較はなかなか難しいものではないかと思います。
そこで今回はポジションごとに分けて、その中でも最強のピッチャーについて書いていきたいと思います。
さて、皆さんは“MLB”史上最高の投手というと誰を思い浮かべますか?
史上最多511勝を上げ、今も栄誉ある賞にその名を残すサイ・ヤングでしょうか?ニグロリーグ最強の投手と呼ばれ40歳からメジャーリーグで活躍したサッシェル・ペイジでしょうか?その他にも、サイ・ヤングに次ぐ417勝を誇るウォルター・ジョンソンやシーズン防御率1.12を記録したボブ・ギブソン、我らがドジャース伝説の左腕サンディ・コーファックスなど、長いMLBの歴史には数々の偉大な投手たちが名を残してきました。
そんな歴史の中でも、1990年代から2000年代の前半は数々の伝説の投手たちがしのぎを削った“投手黄金時代”でした。
歴代最多7回ものサイ・ヤング賞を受賞したロジャー・クレメンス、緻密なコントロールと卓越したフィールディング技術を武器に17年連続で15勝以上を上げたグレッグ・マダックス、2mを越える身長から“ビッグ・ユニット”と呼ばれ史上最高の通算奪三振率10.61を記録したランディ・ジョンソン、マダックスと共にサイ・ヤング賞トリオとしてアトランタ・ブレーブスの地区14連覇に貢献したジョン・スモルツ、トム・グラビンなどそれぞれ時代を代表するようなエースたちがそれぞれのチームを引っ張りました。
(事実として、彼等と同じ時代にプレーしていたが為に、優秀な成績を残しながら一度もサイ・ヤング賞を受賞できなかった投手も存在します。通算3116奪三振を記録したカート・シリングや、ヤンキースなどで活躍し、通算270勝で2019年にはアメリカ野球殿堂入りも果たしたマイク・ムッシーナ、史上最多となるポストシーズン通算19勝を上げたコア4のひとり、アンディ・ペティットすらもその“被害者”でした)
そんな群雄割拠の時代にプレーし、ライバル達の中でも一層の輝きを放った投手こそ、今回ご紹介する投手でした。
2017 TOPPS LUMINARIES MASTERS OF MOUND AUTOGRAPHS PEDRO MARTINEZ 1/1
30,000円
こちらが今回ご紹介する選手、ボストン伝説のエース、ペドロ・マルティネス投手です。
個人的には彼こそが今まで見て来た投手の中で最高の投手だと思っていますが、これには多くの反論が出ます。その理由については後々説明いたしますが、まずはこの名前どこかで聞いたことある…という方の為に、日本人選手とのちょっとした因縁からお話しましょう。
記憶に新しい方も多いかと思いますが、2009年、彼はフィラデルフィア・フィリーズに所属していました。もうお気付きになりましたか?2009年といえば常勝ヤンキースがワールドシリーズ優勝を果たし、松井秀喜選手がMVPを獲得した年です。その時の対戦相手こそがマルティネス投手のいたフィリーズだったのです。(中でもマルティネス投手は松井選手に2本の本塁打をあびてしまい、このシリーズでの登板を最後に彼は現役を退きました)
いきなりマイナスな情報からお伝えしてしまい申し訳ありません。
ではここからはこのマルティネス投手がいかにスゴい投手であったかをお伝えして生きたと思います!
これはあまり知られていないことかと思いますが、彼はその偉大なキャリアをロサンゼルス・ドジャースで、それも中継ぎ投手としてスタートさせました。
そこでも彼は優秀な成績を残しましたが、180センチ前後というMLBの投手としては小柄な身長などを理由にトレードに出されてしまいました。(今考えるとこの時のドジャースはひじょーに惜しいことをしました。この時トレードに出していなければ1995年から入団した野茂 英雄投手との強力ローテが組めたのに…と考えてしまいます。現在のアルトゥーベ選手の例もそうですが、やはり身長だけで将来性を判断すると痛い目を見ますね)
トレードされた先のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)で先発投手に転向したマルティネス投手は転向1年目から2桁11勝をあげて頭角を現すと、その2年後の1997年には17勝、13完投、305奪三振、防御率1.90という驚異的な成績を残し、自身は初のサイ・ヤング賞を受賞しました。
先発として確かな評価と実績を得たマルティネス投手は、その翌年から再びトレードで名門ボストン・レッドソックスへと移籍しました。
そこから、彼の全盛期と呼ばれる時代が訪れます。
移籍2年目の1999年には防御率2.09、313奪三振と打者を圧倒し、23勝をあげて2度目のサイ・ヤング賞を受賞。中でも、レッドソックスの地元、フェンウェイ・パークで行われたオールスターゲームでは、サミー・ソーサ、マーク・マグワイアなど強打者の揃うナ・リーグ打線を相手に2イニングで5つの三振を奪い、MVPを獲得しました。
その翌年、前年の成績から他球団からの厳しいマークを浴びる中でも、彼の支配的なピッチングは続きました。
4つの完封を含む18勝、284の三振を奪い、2年連続となるサイ・ヤング賞を受賞しました。また、この年の防御率1.74はステロイド時代とも言われた当時のリーグでは出色で、この年のアメリカン・リーグ2位であったロジャー・クレメンス投手が防御率3.70だったのを鑑みると、その成績がいかに飛びぬけたモノだったかが分かります。
しかし、この年の彼の残した伝説はまだ尽きません。
投手が1イニングあたりに四球も含め、何人の走者を許すかを示す数値、WHIP(Walks plus Hits per Inning Pitched)で史上最良の『0.74』を記録しました。
これは現在も破られていないMLB記録となっています。(救援投手としては2013年、当時レッドソックスに所属していた上原浩治投手が記録した0.57がMLB記録となっています。上原投手のコントロールの良さを象徴するようなとんでもない数字ですね…)
その記録に代表されるように、マルティネス投手は極めてコントロールのいい投手でした。それに加え、150キロを超えるストレート、カットボール、カーブ、チェンジアップの全てを非常に高いレベルで操りました。
球種が多く、コントロールも抜群で、三振が奪える。全盛期の彼はまさしくそんな『完璧な投手』だったと言えるでしょう。
そんな破格の実力を誇っていたマルティネス投手は、その後も安定した投球を続け、歴代3位タイとなる5度の最優秀防御率を記録しました。
しかし、晩年は度重なるケガに苦しみ、38歳で出場したワールドシリーズを最後に、マルティネス投手はマウンドから姿を消しました。
このケガの多さこそが、選手として息の長かったマダックスやジョンソンたちと比べて彼の評価を下げる1番の原因となってしまいました。
ケガのせいで全盛期と呼ばれる時期が短くなってしまったマルティネス投手ですが、その期間では間違いなくMLBを代表する投手でした。
少なくとも、WHIPの記録が示す通り、史上最高のコンプリート・ピッチャーの1人であった彼のキャリアを称えた1枚、それも世界に1枚のみと非常に貴重かつ価値の高いカードとなっております。
ボストンを世界一にも導いたレジェンド投手の1枚、ぜひご検討下さいませ。