自分が東音大4年の春先に、当時くらしき作陽大学で開講したばかりのコースにて特任教授をしていたアンドレイ・ピサレフ(現・国立モスクワ音楽院ピアノ科学科長)のレッスンを仙台で受けてからのご縁で暫く彼の元へ通った。アンドレイから大学で行われる夏休みの受験生向け講習会の公開レッスン生役を頼まれ参加。

 

 

 その後、日本である意味単身赴任状態のアンドレイを追って来日していた、モスクワ音楽院の学生アレクセイ・トロフに初対面。その時は自殺未遂をした割とすぐ後に会っていた事もあってか「音」を通じて「心」が解る事からも、彼とは意気投合して、後に彼からの提言で2003年に一緒にコンサートで演奏した。

 

 

 当時の彼は17、18歳程だっただろうか。しかし彼の思慮深さには感嘆した。ドレンスキーの姪っ子アンナと結婚し、今は2児のパパでもある。2013年には、他言語出版されている「アナスタシア」日本語版を出している岩砂晶子ちゃんに同行し訪露、黒海沿岸コーカサスの都市ゲレンジークから遺跡(dolmen)を訪ねてた際には、モスクワにて彼アレクセイのお宅も訪問出来、夜中の3時迄語り合えた。

 

 

 

 

 

 

 

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