『選択の自由 ②』では、

 


「飛行機・サイコロ・地球・世界』

の全部丸ごと「全部で1つの大きな私」、
その視点での世界観。

 

部分部分である、個である存在としての、

私たち自身は、身体で言えば、

一つ一つの器官であり、細胞のようなもの。

 

 ーーーーー

 

そして、日頃私たち自身が、
私は⭕️⭕️だ、

私は⭕️⭕️こういう性格だ、

私は⭕️⭕️が好きだ、

私は⭕️⭕️が嫌いだ、etc...

というモノの捉え方、信念。

 

その「私は⭕️⭕️だ」の、
⭕️⭕️とは、本当に⭕️⭕️だった?
本当に、本当に、⭕️⭕️だったのか、
本当に、そうだったのでしょうか?


というお話でした。

 

 

 

photo by daisuke aikawa

 

 

 

ーーーーーーーーーーー

 

 

では引き続き、シャボン玉の全体、
『球体』の視点で「私」という
全体像の姿を観てみましょうflair


シャボン玉を膨らます、

ストローで空気を送り込みます。

シャボン玉そのものが「私」。

 

 

 

 

 

 

『私達はその空気』なのです。

つまりシャボン玉そのものなのです。

丸ごと1つ、全部ですアップ

 

私達とは、

サイコロで、飛行機で、

ミラーボールな、シャボン玉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サイコロ正6面体から始まり、
飛行機の液晶TV、ミラーボール、
そして、もはや球体のシャボン玉。


写真のシャボン玉、

綺麗な七色に輝いて綺麗ですねshine

 

 


ストローを吹き空気が送り込まれ、
シャボン玉が膨らむ時、

その色彩模様虹は「無常」に変化し、
そのヴァリエーションは無限∞ですアップ

 

 

 

その表面の無限の色彩模様虹である私。
シャボン玉そのものである1つなる私。

 

最初は6面体サイコロで6色だった私。
それが、ゴルフボールで、
ミラーボールで、シャボン玉な私。

 

 

   ーーーーー

 

 

宝石緑宝石緑ここで 連想ゲーム宝石緑宝石緑

 

 

◉大きな全体性の私は:
ソレ・コレ「固有(個性)」であり、

また、ソレ・コレの「全て」です。

 

私(達)は、森羅万象の何者でもあり、

私(達)は、何者でもありません。

 

在る(有る)けど、ない。

ないけど、在る(有る)。

 

 

 

shineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshine

shineshineナンジャ、ソリャsign02  shineshine

shine真顔shineニヤニヤshineポーンshineウインクshineちゅーshine

shineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshineshine

 

 

 

では次に:

 

トンボの目は複眼です。

小さな1つ1つの眼のレンズから、
視えた景色の信号を送ります。

 

つまりソレ(レンズを通した信号)は、
「私たち1人1人個人夫々の在り方」。


その送られたデータが集約され、

『全体ソノモノで在る私』が、
ソレら全体像を認識(=存在)します。

 

 

 

 

 

 

 

 

在る(有る)けど、ない。

ないけど、在る(有る)。

 

   ↓↓↓↓↓

 

『上の如く、下も然り』

 

 

 ーーーーー

 

 

 

連想ゲームを続けましょうアップ

 

では次に、逆バージョンですドンッ

 

 

 

液晶TVの画面があります。

 

 

 

 

 

 

 

画面は画素ピクセルといって、

複眼と同様「小さなコマの集まり」
その集合体が「画面」となって、

大きな1つの絵世界を表現しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『空即我・我即空』

 

★『空(複眼・画面)』

★『我(単眼・画素)』

 

般若心境で言う所の、

『色即是空、空即是色』

 

『複眼・画面』と『単眼・画素』とは、

表裏一体で、ソノモノで、同じであり、

「ソレ(サイコロ)」が、
違う側面で1、2と表現されてるだけ。

 

 

 ーーーーー

 

 

宝石緑宝石緑宝石緑さらに宝石緑宝石緑宝石緑

 

時空の流れを「切り取る」と静止画。

動画を止めると、静止画の画像写真。

動画として再生されて、
初めて時空を認識する。

 

つまり、TIME IS NOW、時は今。

 

★静止画=今=TIME IS NOW

★我(個人)=視点=無常
(動画や紙芝居のように常無し)

 

 

★我に「機能」を持たせる。

★機能とは個性。

 

 

★魂を輝かせる

=機能をプログラム通りに実行する

=心❤️のままに表現すること。

 

 

★画面の一番左下隅っこの画素が

貴方だとする。

⇩⇩⇩

ずっと赤色でなければならない、

のは嘘。

⇩⇩⇩

場面によって、色とりどりに変化する。

 

★つまり、

『私は⭕️⭕️だ』の内容とは、

赤でも白でも黄色でも虹色でも、

如何様にでも成るという事。

 

『私とはこれこれこういう人間だ』と、

頭では、そう思っていたかもしれないが、

実は、的外れだったかもしれないのです。

 

モニター画面の中の1つの画素である私。

必要によって、何色にも輝けるのです。

つまり『自由自在』。

 

 

  ーーーーー

 

 

鑑賞している映画・番組は、
チャンネルを変えれば、
当然映像は変わりますし、

 

一方で「変えない」を選択し、
そのまま鑑賞する事も可能です。

それこそ、まさしく、自由、

どっちでもナンでも、自由。

 

 

 

しかしソレが飽きたのなら、
自分が見たい景色じゃないなら、
TVのチャンネルを変える。

 

リモコンのボタンを
ピピっと押すだけで変わる、
それは瞬時に。

 

あくまで自分自身が、
見たい居たい体験したい、

その世界のチャンネルを選択する。

 

 

 

        

 

 

 

それには、

自分の今見て居る世界がどうなのかを、

まず認識する事が必要です。

 

 

 

貴方自身は、
私は、これこれこういう人間だと、

そう思っていたのかもしれないが、

2でも3でも4でも5でもいい。

 

 

ナンでも良かったのですアップよねキラキラ

 

 

 

 

 

 

私達は、

丸っとサイコロそのもの。

丸っと金魚鉢そのもの。
丸っと地球そのもの。

 

丸っと太陽系惑星そのもの。

丸っと天の川銀河そのもの。

丸っと宇宙全体そのもの。

 

 

 

 

 

 

 

その宇宙のサイコロの全体性で、
個々ソレゾレが個性豊かに、

八百万の存在として存在している。

 

1chでも2chでも3chでも、

赤でも白でも黄色でも、
緑でも紅ででも、

 

チューリップの

「どの花見ても綺麗だなー」は、

『柳は緑、花は紅』の如く、

「皆違って素晴らしい」

を表現している歌なのです!

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

見たいチャンネルを変えるだけですが、
しかし貴方は『変えられない』と、

そう仰るかもしれません。

 

『不自由の自由』に然り。

何れも「全て」が、
「ご自身の選択」によるものです。

 

 

 

物事や状況や人様のせいに、
それが原因でこうなったとか、

それが原因で『出来ない』とは、

実は嘘なんですよね。

 

「口」+「虚」=『嘘』

 

 

 

そもそも、起こる出来事とは、
「宇宙の中での事」ですから、

「宇宙=生命(私自身)そのものですから、

ズレた事は、何一つ起きていないのです。

 

 

 ーーーーー

 

 

では、

宇宙の世界の全部丸ごとな私と、

機能を果たしている個人の私とが、

大きな調和で一体を計るには はてなマーク

 

 

エゴ暴走で、

私利私欲、我欲の暴走で、

その視点で「何でもアリ」じゃ、

調和は取れませんしねダウン

 

自由自在を取り違えると、

ハシゴを掛け間違えると、

起動修正が大変&厄介です 滝汗

 

 

 

 

宝石白宝石白宝石白ヒント宝石白宝石白宝石白

包括されていきます。

つまり全体が拡大されていきます。

 

 

 

次回の選択の自由④に続きますアップ