わかってくれたらいいの | みんサルの旅

みんサルの旅

旅をしなくても、旅してるように生きる。。

そして「財産と未来、どっちがいい?」

そう言った後の答え。

「どっちもいやだ。どっちも意味ない。結局同じだ。人生なんて意味ない。」

すごいな。

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就職に受からず、彼女にふられ、やけになって身投げしようとする大学生をみて、
脳研究で大金持ちになったが年老いた孤独な老人が人格交換を持ちかけたときに、
問いかけた言葉だった。

「そりゃもちろん財産でしょ」

人格交換。

そう、ありきたりな展開な気は漂った。
でも、それ以上に、映像から迫力と勢いを感じた。見続けた。

老人となった大学生は、
ある種予想通りだけど、
盛大にお金を使ってもおじいさん扱いされるだけ。
健康でない病気の体でまともに走ることもできない。
若者には、じじいは家にいろよ、と馬鹿にされる、
そんな辛そうな様子が描かれた。

逆に大学生の体を手にいれた老人。
生きてるって素晴らしい、
ご飯をお腹いっぱい食べれるって幸せ、
アルバイトでもなんでも働けるのが嬉しくてしょうがない、
といった感じ。

老人、大学生。
この役者さんたち、見てて、とても素敵な感覚がわいてきた。
セレクトしたひとに賛辞を送りたい。

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終盤、老人の体になった大学生は、絶望し、同じように身投げしようとする。
そこに現れた大学生の姿の老人は、また問いかけた。

「財産と未来、どっちがいい?」

そこに冒頭の、どっちも意味ない、という、
元大学生の答え。

若さがいい、という結論を持ってくるかと思ったら、
その上を越えてきた。
越えようとする意識を感じた。

そして、失ってしまったのに、
「お前もがんばれよ、いつかまた老人になるし、おんなじさ。」
と言い放つ。

物語は、悪態をつく老人の姿となっている大学生を、
大学生の姿の老人は何も言わずに抱きしめて、元の体に戻す。
で終わる。

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「若さというのは、あまりに素晴らしすぎて、
 不公平な交換だった」

どうして元の体に戻ったのか、を説明する、
死ぬ間際の老人の言葉。

こういう一面もあるのではないかと思う。
本当は失っていたけど、大人の配慮があって均衡を保った。

考えてみれば、
先の世代と今の世代は、このモデルかもしれない、と思った。

未来ドロボウ。
藤子不二雄さんの原作みたい。

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NHKのおわこんTVでは、

遊んでばかりいる小説家なんて絵にならないから、
こちらでかっこよく、編集してやった、
孤独で病気な老人が、かわいそうだから、テレビに出すのはひどい、

ひとを勝手な解釈に当てはめては、怒らせてしまう、
わかってないテレビ制作会社のディレクター役、
小泉孝太郎さんの演技は素晴らしかった。

僕も同じような悪いところが多く、
痛みを感じながらも、目を離せなかった。

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勝手に決めつける、
そんな悪いところに気づいて、
謝ったときに言われた言葉。

「わかってくれたらいいの」

こういう奴だ、こういうことだ、と決めつけてしまう思い出。
たくさんある。

まだまだ勉強中。

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「したいこと」と「やりたいこと」
前者は、すぐに、近いうちに、というニュアンスがあるな。

散文な文章は鼻に付く、という意見。
蹴る技術の問題じゃなくて、それは人柄とか、他も付いて回るという意見。

コンテキストとコンテンツ。
コンテキスト重視の時代は、まさに資本主義。

それでも、
体を休めることができるし、
おいしいご飯をいただくこともできる。
では。