1月17日 | みんきの徒然日記

みんきの徒然日記

好きなことをただただ書き綴っていきます。
好きなこと→京都、寺社、御朱印集め、日本史、アニメ、漫画、読書、阪神タイガースetc

皆さまこんにちは、

こんばんは。


今回の記事は参加ジャンルや

普段紹介している京都のことは

まったく関係ありませんし、

この記事を書くかどうか迷いました。

この記事によって傷つく人が、

不快に思う人がいるかもしれません。

でも、自分の気持ちを整理したい。

少しでもこういうことが

あったと知ってもらいたくて記事を

書き、アップさせていただくことに

しました。


上手くまとめることができないかもしれません、

誰かを傷つけてしまうかもしれません。

でもよければ最後まで読んでください。



さて、今日は117日です。

25年前の今日、阪神淡路大震災が起きました。


私は当時、3歳でした。



私の家は神戸の中でも被害の多かった

地域にあり、倒壊したのち

火事で燃えてなくなりました。


家族4人、倒壊した家の瓦礫の中に

閉じ込められましたが、

大きな怪我もなく家族4人とも

無事に救出していただくことができました。


地震が発生したときはまだ幼かったこともあり

記憶が朧げな部分があります。


ですが、年齢を重ねていくにつれて

自分が震災で家を無くした被災者で

あることを自覚していきました。


例えば、小学校のとき震災の学習の際に

先生から「お家が無くなってしまったんだよね?」と言われたことがあります。

そのとき、なぜか自分でもおもいがけずに

泣きそうになってしまったことを鮮明に

覚えています。


被災してから

そんなに年月が経ってない小学生ごろまでは

ただ単純に震災のことを考えると心が重くなる、

悲しいという思いでした。


しかし、さらに年齢を重ねていくと

たくさんの方の尊い命が失われた中でなぜ自分は

助かったのか?

自分と同じように瓦礫の下に生き埋めになって

そのまま亡くなられた方だって沢山

いらっしゃいました。

そんな中、なぜ自分は助かった?

自分が助かった意味は?

亡くなられた方達の分も一生懸命生きているのか?

自分には何ができる?


うまくいかない日々を送っているときには

特にそんなふうに感じるようになりました。


表現が適切でなかったらすみません。


亡くなられた方と自分には何の違いもない、

たまたま助かった、自分。

助かった命なのに、現状に満足できずに

不満だらけの毎日。

社会にも何の貢献もできてない。

周りにも迷惑ばかりかける。

そんな自分が生きてていいの?

震災で亡くなった方々に顔向けできる生き方か?

その人達が生きたいと願った命を、人生を

しっかり生きてない自分はとても罪深い人間なのではないかと心の奥で悩んできました。


人には言えません。

地域差や年齢差があるのは仕方ありませんが、

いつまでも震災を引きずってるて思われるのが怖かったし、被災者ぶってて思われるのも嫌でした。



でも、最近本当に少しだけそれに対して自分で

答えというかそういったものを見つけました。


たくさんの方が亡くなったことは事実。

その方達の分まで毎日を大切に生きていかなければなりません。

そして、被災したからこそ命の大切さを知っています。当たり前が当たり前じゃなくなることがあるということを知っています。

何気ない日常がどんなに尊いものかわかります。



でも、被災者だから、あのとき助かった命だからこうしなければならないとか気負いすぎるといつかの自分のように辛くなります、しんどくなります。


だから、まずはどんなときも側にいてくれる、ささえてくれる家族、友人、周りの人のために一生懸命生きようと思いました。この人たちをまずは笑顔にしたいと思いました。

そしてこの人たちを笑顔にするには、自分自身ができるかぎりずっと笑っていようと思いました。


震災から25年経った頃に自分がこういう考えを

持つようになったことも何か意味があるのかもしれないと思い、記事にさせていただきました。



もちろん、これからもきっと震災のことは忘れません。

自分の生きてる意味も、自分にできることも探していこうと思います。


そして私が偉そうに言えることではないですが、

命を大切にしてください。

周りの人を大切にしてください。

些細な日常も幸せだと感じてください。

そしてどうか、生きたくても生きれなかった人たちとその人たちのことをいまでも大切に思い続ける人たちがいることを忘れないでください。



この記事をよんで不快に感じる方がいらっしゃいましたら誠に申し訳ありません。

最後まで読んでいただきありがとう

ございました。