やっぱり、2日で1冊は無理だな・・。(苦笑)
今日は、内田樹さんのブログでの素晴らしい記事から抜粋します。
題は「そのうち役に立つかも」というもので、勉強をするにあたっての心構えについて書かれたものです。
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あらゆる受験生は「なぜこんな勉強をしなくちゃいけないのか」という根源的懐疑につねにとらわれている。
当然ですね。
もちろん、受験勉強の必然性はわかっている。
それができないと大学に入れない。いくつかの教科に現実の実用性があることもわかっている。
・・・・(中略)
知的パフォーマンスの向上というのは、「容器の中に詰め込むコンテンツを増やすこと」ではないからである。
ぜんぜん違う。
容器の形態を変えることである。
変えるといっても「大きくする」わけではない(それだとまた一次方程式的思考である)。
そうではなくて、容器の機能を高度化するのである。
問題なのは「情報」の増量ではなく、「情報化」プロセスの高度化なのである。
・・・・(中略)
そういう具体的な「モノ」をあれこれといじくりまわしながら、モノのそれまで気づかれなかった潜在可能性を掘り起こしてゆくのが「情報化」する人の構えである。
情報化する人がかかわるのは「未だ数値化されていないもの」である。
情報化する人の口癖は
Ça peut toujours servir
である。
レヴィ=ストロースがマトグロッソのインディオたちの生きる構えを評して述べた言葉だが、訳して言えば、「これ、そのうち何かの役に立つんじゃないかな」である。
「これ」が何に役立つのか、それは今はわからない。
というのは「これ」が蔵している潜在可能性を考量する度量衡を「私」はまだ有していないからである。
そのうち、ある状況において「こんなかたちの、こんな材質の、こんな化学的特性の」ものがジャストフィットするような「欠落」に出会うことがある。
・・・・(中略)
「これはそのうち何かの役に立つかもしれない」というのは、「これ」の側の問題ではなく、実は「私」の側の問題なのである。
「これ」の潜在可能性が発見されたのは、「私」の世界の見方が変わったからである。
「私」が変化しない限り、その潜在可能性が発見されないような仕方で「私」の前に隠されつつ顕示されているもの。
それをとりあえず「ほい」と合切袋に放り込むこと。
それを「学び」というのである。
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全文が気になる方は、http://blog.tatsuru.com/2008/07/07_1711.php を見てください。