人は「動く」ために、「食べる」。

「読む」行為は、この「食べる」という行為に似ているのではないか。


このように「食べる、動く」、「読む、書く」の関係のような「入力と「出力」の関係は、人が生きていく上でのいろんな場面でみられる。


最近、このことについてある仮説を立てた。

それは、“「入力」は、「出力」に比例するのではないか”というものである。


例えば、大学の授業でも、先生の話を一方的に聞く講義形式は、「入れる」方を重視する形式だといえる。ゼミでは、発表など自主的に働きかける必要がある。これは「出す」方を重視する形式だ。

この二つを比べると、一般的に「入力」に対するモチベーションに違いがあるように思える。


その要因は、求められる「出力」の量が違うからだ、とするのが、僕の仮説である。もちろん個人差はあるが、おそらくゼミの方が大きいと思う。(その人の意識次第だと言う人がいると思う。ただ、一般的にこういう傾向にあるのではないかということである。)


そして、その「出力」の量にともなって、「入力」に対するモチベーションも上がるという効果が生まれているのではないだろうか。だから、講義形式に比べ、「入力」も自然と多くなっているのではないだろうか。少なくとも僕自身はそうである。


ということは、意識的に「アウトプットを想定して、インプットに取り組む」ということをすれば、アウトプットに引っ張られて自然とインプットに対するモチベーションが上がるという効果を利用できるのではないか。


この仮説に沿って考えた具体的な提案が、「書く」ために、「読む」なのである。

単に「読む」行為に取り組むのではなく、「書く」ことを想定して「読む」ことで、「読む」ことに対するモチベーションを上げていきたいと思う。

そして、これからは、「よく読むから書ける」ではなく、「よく書くからよく読む」という意識になっていきたい。


※これを読んで「何を今更アタリマエのことを偉そうに」と思う人や「いや、間違っている」と思う人、いろいろいるでしょうが、まぁ、あたたかい目で見守ってやってください^^