6月18日、三日目の出発です、午前7時12分の岩国行が遅れていて焦ったが30分遅れ位で
出発、30分位なら我慢せねばならない、今日の西国街道はほぼ岩徳線に沿って続いている
昨日終わらせた玖珂まで行くんだが、観察していると一駅一駅の間隔が長い、こりゃ歩けば
一駅1時間以上はかかるな~と、電車に乗りながら思った、徳山まで行く予定だが、いつでも
ギブアップして電車に乗れそうなので安心ではある、8時35分、玖珂駅に到着、直ぐ出発
どこまで行けるやら
玖珂の町には宿場町を偲ばせる街並みは残されていないようだが、落着いた町並を感じる
「ふれあい笑顔の玖珂町」と書かれたアーチを潜って行く、右手に「高村酒店」がある白壁土蔵
造りの伝統的な商家建築
左手に「藤川醤油味噌醸造場」がある入母屋造で明治建築仕様、右手に菅原神社がある
真直ぐな道が左にカーブする所、岩徳線の電車が通ったので1枚撮っておいた、東川橋を渡って
高森宿に入る、落ち着いた高森宿の街並みを抜けて行く
脇本陣を務めた「受光寺」がある、その先には復元された本陣跡があった、その先右手に
「宇野千代文学碑」がある、「その高森の廣い往還を思ひ出すたびになぜあの山奥に・・・」
宇野千代は岩国市川西で生れ、子供の頃母親が亡くなったので父の生家である高森市の
伯父に育てられた、「吉田松陰常宿の地碑」は見落とした、と言うより発見出来なかった
こうゆう歴史的な物は分かりやすい案内板を出しておいてもらいたいものだ
街道は島田川に突き当たり、右に曲がって行く、左に赤い橋が見える、橋を渡ると
「周防用田城跡」がある、源平合戦のとき、西国に下向する源義経が一夜陣宿を構えた所と
伝えられる、その先は島田川沿いの道になるので土手の上を歩く
街道歩きではほとんど人に出会わないが、この土手沿いでは数人の人に会った出会った皆さん
向こうから挨拶をして来る、この辺りの人はみんな礼儀正しいな~と感心していたら
看板があり「あいさつ通り」と書かれている、積極的に挨拶の励行を行っているんだなと
またまた感心しきり
左に「孝行塚」がある、江戸時代、差川村の旧家三右衛門に仕え、主家の恩に酬いるため
一意専心働いて主家の没落を救った六松の彰徳碑である、街道は岩徳線沿いに続いている