やがて「苦の坂峠」に着く、「えらや苦しや この苦の坂は金のちきりも要らぬもの」
厳島神社の祭神である市杵嶋姫命の伝説の峠、頂上から先は下り、行く手を塞ぐ竹が
横倒しになった所もあるが、もうこれ位ではびっくりしない、何度も経験した
やがて、国道に出て来た、国道に出る角に「長州の役戦跡」がある、慶応2年(1866)
6月14日、苦の坂では、幕府軍と長州軍の激しい白兵戦が行われた、戦いを制したのは
新式装備の長州軍だった、両国橋を渡る、広島県大竹市から山口県岩国市へ入る
右に旧山陽道跡の説明板と、吉田松陰の歌碑があるこのあたりに小瀬一里塚があった
この先は「小瀬峠」の上りが続く、現在では県道として舗装されているが、左に「歴史の道
旧山陽道跡」と書かれた白い標柱があるので左の山道へ入って行く、この山道は間もなく
ガードの切れ目から舗装路へ出る、舗装路をしばらく上っていく
なおものぼって行き下りになった所に、旧山陽道の案内板があり、左下に戻るように
案内されている、しかし私の調べではここは真っすぐに行き、関戸宿本陣跡に到達する
はずなので真っすぐ行くと関戸宿本陣跡の前に出た、関戸宿には駅家が置かれ、20頭の
駅馬を常備していた、本陣、脇本陣、旅籠、茶店などが充実していた、ここから西へは
野口(玖珂郡玖珂町野口)に至る