5西国街道番外編―江田島(海軍兵学校) | 日本全国ぶらり街道一人旅

日本全国ぶらり街道一人旅

タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

街道走りに於いて私はほとんど寄道はしない、しかし今回は最初から江田島へ行く事を

決めていた、今回の旅で最も楽しみにしていたのが「江田島の海軍兵学校跡」を見に

行く事であった、西国街道とは全く関係のない番外編、なぜ江田島に行きたかったと言うと

実は私の父がこの「江田島海軍兵学校」を卒業しているのである、どうしても行って見たかった

 

   

広島駅から広電と言われる路面電車に乗り広島港へ、広島宇品港から高速船で江田島の

小用港へ、ここからバスに乗り第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)で下車、平日3回行われて

いる見学ツアーに参加、一回目の11時15分に間に合った

 

  

海軍兵学校は、明治21年(1888)8月、東京築地から江田島に移転してきました、アメリカの

アナポリス、イギリスのダートマスと並び世界3大兵学校として知られることとなりました

終戦により昭和20年12月1日、約60年の幕を閉じ、以後10年間は連合軍が教育施設等に

使用しました。昭和31年(1956)1月に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転

その後、昭和32年5月10日に幹部候補生学校が独立開校しました(江田島市観光協会HPより)

 

  

大講堂                       大講堂内部

 

  

幹部候補生学校

江田島の海軍兵学校と言えばこの印象的な赤レンガの建物、旧生徒館が一番有名なのでは

ないでしょうか。観光パンフレットなどにも常に登場する迫力ある建物は明治26年に建てられ

通称「赤レンガ」とも言われています。建物に使われている赤レンガはイギリスからわざわざ

輸入されたという説や広島で作られたという説があります(HPより)

 

  

江田島幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)廊下、「同期の桜」のモデルとなった桜が

長い廊下の向こうに、その木があります

 

  

教育参考館             戦艦陸奥の砲塔など

 

  

後方には古鷹山                       たまたま出くわした現代の幹部候補生たち

「古鷹山(ふるたかやま)」標高394mは、江田島市のシンボル的山であり、本校の背後に屏風絵の

ように聳えている秀峰です。名前の由来は、その昔一葉の小舟が荒れ狂う暴風雨のため難破

寸前にせまった時、どこからか一羽の大鷹が現れ、波静かな入り江 (江田島湾)に導いて

小舟を助けた後、この山中に姿を消したことから、いつの頃から「古鷹山」と呼ばれるように

なりました。(HPより)

 

  

お土産コーナーもあります                         幻の海軍カレー

全て見学も終え、最後に楽しみにしていた海軍カレーを食べようと食堂に行ったら、食堂は廃業されていた、昨今のコロナの影響で業者が商売にならずと撤退したそうだ楽しみにしていたのに残念

 

  

それにしても父はこうゆう所で学んだんだな~と感慨もひとしお、印象としてはもっと鄙びた所を

想像していたが、意外にも江田島はちょっとした町ほどの住宅は密集しており道路も完備信号も

ある立派な街でした

 

街道走りでは余り寄り道をしない私だが、今回だけは特別な意味があったので江田島へ行って

見ました、帰りは小用港から呉港へ出て呉から広島へ、広島から新幹線で帰京