「池上線」の歌詞は、男女の別れを描いたありきたりのものだ。
隙間風の入る古い車両の池上線に乗った男女が、とある駅で下車する。商店街を抜け
踏切を渡ったところで「待っています」と呟いた彼女を突然抱きしめる彼。去ってゆく彼の
後ろ姿さえ涙で霞んで見えない。池上線が走るこの町に、あなたは二度と来ることはないのね
という、女性の失恋話となっている。
作詞したのは、佐藤順英。彼の体験をモチーフとして書かれた事は知られていたようだが
本人が詳細を語らなかった為、純愛なのか不倫なのか、登場する駅はどこなのか等々
マニアの間で長く論争があったようだ。しかし、この曲が世に出てから30年以上経った2006年
ついにタウン誌の取材で編集者に真実を明かす事になる。これまで口を閉ざしていたのは
苦い思い出を固く心に仕舞い込んでいたからだった。
1971年、学習院大学の一年生だった佐藤は、他大学の同学年の女性と交際していた。しかし
国連職員を目指す佐藤は、その年の9月にハワイ大学に留学する。文通が続いていたが
翌年彼女から、待つ事に疲れたという手紙を受け取る。慌てて帰国したものの、誤解もあって
元の関係には戻らなかった。ショックを受けた佐藤は、大学を退学し、国連職員の夢を諦め
作詞家になると言って親から勘当されてしまう。この失恋は、佐藤の人生を大きく変えて
しまったのだった。
歌詞は、実話に基づくものだった。登場する駅は、池上駅。留学直前の最後のデートで
彼女を家まで送った1971年の夏の日の出来事を、別れを悟った1972年暮れ(若しくは
1973年初めの冬の日に置き換え立場を逆転させて描いた情景だった。『気持ちを曲にして
彼女に伝えたい、それだけを思って』書いた彼女へのラブレターだったのだ。電車の中で
彼女の黒髪がすきま風に揺れた。佐藤の心に刻まれた、忘れ得ぬ光景だという。
曲がヒットした後、佐藤27歳の時、彼女を食事に誘ってアルバムとシングルを渡そうとすると
彼女は既に持っている、と言って、就職したメーカーの男性と社内結婚する事を佐藤に告げた
それが彼女に会った最後で、その日以来、佐藤は彼女の勤めるメーカーの製品は一切使って
いないという。
推測だが、ヒット曲を手に久方振りに彼女の元へ向かう佐藤には、復縁の期待しかなかったのでは
ないだろうか。歌詞に込めた思いも、彼女には当然伝わっていたはずだ。そこへ予想だにしなかった結婚話。今明かされた佐藤の思いから推し量るに、その時の落胆振りは如何程のものだったろうか。