⑤成田街道(日本橋-成田山新勝寺)-2 | 日本全国ぶらり街道一人旅

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タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

最初の宿場、千住宿に入って来ました、同じ江戸と言う事もあり雰囲気は
品川宿に似た感じがする、昔の屋号の木札も提げられ宿場の名残がある。

 

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やっちゃば謂れの案内板  子規、虚子、菖蒲園の俳句  芭蕉の句碑

足立市場の前に、やっちゃば謂れの案内板があり、子規、虚子、菖蒲園の俳句が
掲げられている、そして芭蕉の句碑もある

 

              「鮎の子の白魚送る別哉」

 

この句は奥の細道に旅立つ芭蕉が門人との別れの際に、千住で詠んだ句である
千住付近の墨田川は、しら魚も棲む清らかな流れであった

 

奥の細道には「行く春や鳥啼き魚の目は涙」が載せられ一般に広く知られているが
これは奥の細道紀行文作成の4年間に推敲して出来たものである

 

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     千住高札場跡                   一里塚跡

千住仲町商店街に入る所、交差点の左角に「千住高札場跡」の石碑があり反対の右側には
「一里塚跡」の石柱がある

 

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     千住仲町商店街                  東京芸術センター

商店街を通っていると左手に、下町に相応しくない巨大な建物が目に入る「東京芸術センター」
と書いてあった。

 

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横山家

9時55分、北千住駅前通過、少し行くと右手に由緒ありそうな古い建物「横山家」がある
古くは紙問屋だったそうである。

 

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    道標                          清亮寺

そのまま真直ぐ進み、土手に突当る少し手前、信号のある所右に入る細い道があり道標に
「東へ旧水戸街道」とある、この道が旧水戸街道「さくら道」でもある、ここを右に曲がる

 

道なりに進むと土手に突当る手前に「清亮寺」と言うお寺がある、この前を通り土手に
出るのが旧道のようである

 

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    荒川河川敷                     一輪車の駅伝競走

昔はここから船で小菅の方に渡った、現在では千住新橋で渡るしかない、荒川土手に
出てみる、河川敷では一輪車の駅伝競争が行われていた。

 

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    小菅万葉公園                    東京拘置所

千住大橋を渡り土手下の道を右に行くと、左側に何ともおくゆかしい名前の「小菅万葉公園」
がある、ここに小菅御殿の謂れの案内板がある
 
それによると、この小菅村の10万坪の広大な土地が、関東郡代伊奈氏に与えられ、そこに
下屋敷が設けられた、後にそこは、将軍の鷹狩りの際の休息所にあてられ、頻繁に狩をした
吉宗の命により小菅御殿が造られた由。

 

間もなく東京拘置所、田中角栄が、ホリエモンが、村上氏が入っていた所だ、悪い事をすると
みんなここに入れられちゃうんだよ~

 

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    東京拘置所                     小菅稲荷神社

赤レンガの塀に沿って進むと、団地のような建物が続く、あれは職員が住む住宅のようで
ある、拘置房は奥のほうにあるのだろうか

 

レンガの塀が終わる辺りの右角に「小菅稲荷神社」がある、ここを右に曲がり突き当りを
左に行き、綾瀬川を「水戸橋」で渡る

 

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     水戸橋                        蓮昌寺

その昔この川に架かる橋のたもとに妖怪が出没した、元禄8年(1695)ここを通った
水戸黄門がこの橋のたもとで妖怪を退治した

 

後日再び悪行を重ねることのなきよう、この橋を我が名をとって「水戸橋」と命名し後の
世まで調伏するものであ~る、と自ら筆をとったものといわれている

 

しばらく進むと、徳川家光が境内の蓮を愛でて寺の名を変えさせたという「蓮昌寺」が
左手に見える、小菅三丁目の交差点の、次の信号、二又になる所、左方向が旧道である
 
と言っても、この辺り西亀有の住宅街、旧道の面影は全くない、道なりに進と、やがて環七に
出るここで道を間違えた、旧道は真直ぐだが私は環七を右に曲がり、水戸街道で中川を
渡ってしまった

 

従って高砂まで旧道は通らなかった、目を瞑っても通れるはどうした~、すま~ん、高砂で
京成金町線の踏切を渡り、北総線を潜ると柴又通りに出る。

 

ここを左に行くと柴又帝釈天だ、毎年お参りしている、今年はまだなので行こうかと思ったが
時間がないのでやめにした

 

               冬晴や富士を望みて江戸の川