⑰奥の細道(関ケ原-大垣)ー3 | 日本全国ぶらり街道一人旅

日本全国ぶらり街道一人旅

タイトルを変更しました、寄る年波には勝てず長い距離を走れなくなってしまったため、もうマラソン大会に出られるような走りは出来なくなてしまった、近頃は走ることもままならずもっぱらウオーク&ジョグである、ただ街道の旅はやりたいのでタイトルを変更しました

2005年12月18日、午前7時起床、昨夜はかなり雪が降ったようだ

大垣迄残り15k位、慌ててもしょうがないので今朝は少し朝寝をした

 

8時に朝食を取り、少しくつろぎ、8時45分、いよいよ最終章の出発である

今回の行程、木之本から大垣までは60kほどなので1日で行ける距離だった

 

最後なので一回で終わらせるのは勿体無いのと、天候不順が予想されたので

二日に分けて行く事にした

 

少し雪が降っているので最初から合羽を着て行く、そう云えば、宿の女将の話では

私と似たような事をしている人を何人も泊めたと言っていた

 

雪の降るこんな季節に来たのは私一人らしい、昨夜の泊り客は私と、雪の為待機している

JRの職員が二人泊まっていただけだった

 

なにはともあれ、最後の旅館だから写真を撮り出発、旅館の前が21号線である

車道に雪はないが、道はびしゃびしゃ、歩道がないので車道を行く

 

今日はまだ交通量がさほどでもないので安心して走れる、旧中山道に入る少し先に

徳川家康最初陣地「桃配山」があるので行って見た

 

        

雪で覆われているので定かではないが、ガソリンスタンドの敷地と接している所に家康の

最初陣地があり、その上が「桃配山」になっているようだ

 

雪が深くて登れない、「桃配山」の由来は、壬申の乱のとき、大海人皇子(天武天皇)が

陣を構え桃を配って大勝したのにちなみ、家康もここに最初陣地を敷いたと云う事である

 

   

少し戻って、旧中山道を行く、昨夜の雪で道路も真白、車が通って踏み固められたようで

走るのに問題はない、こんな道は田舎で何度も経験しているので、逆に走りやすい

 

但し登りは滑って走れない、今日の天気は曇っていて、少し雪が降っているが空には

明るさがある、もしかしたらこの後晴れて来るかも、風もほとんどなく穏やか

 

昨日今日と、寒波襲来の予報とは裏腹に、雪は多少降ったものの、見事に避けて

その間隙を縫って走れているようだ、大変助かる

 

そして本当に太陽が顔を出し晴れてきた、中山道沿いには民家が寄り添って

風情のある風景をかもし出している、この辺りはまだ関ヶ原宿だろう

 

   

少し途切れて、「旧中仙道松林」の名残りがあったりする、やはり旧道はいいな~

北側に面した民家の屋根の下にはツララが出来ていたり

  

南側に面した家には干し柿が吊るされたりしている、間もなく21号線に合流する所

日守の交差点、ここで中山道は終わりのようだ

 

この後は21号線を行く、ここで大垣迄10kの看板が目に入った、惜しむように歩いた方が

いいのかな~、などとボイスレコーダーが言っている

 

しかし、のんびり歩いているような状況ではない、この辺り歩道はあるが積雪していて

車道を走るしかないので、最後だし緊張して走る

 

          美濃の国宿場の軒の氷柱かな みのさん

 

10時13分、綾戸口、ここを右折で、県道31号線に入る、ここまで来れば残り6k

いよいよ大垣に入った、大垣に入るやいなや太陽がまばゆいばかりに顔を覗かせた

 

鮮やかに晴れ渡り、まるで旅の終わりを祝福してくれるかのようである、大垣市内の

歩道には積雪が見られない、快適に走る事が出来る

 

10時20分、杭瀬川、この川で、関ヶ原の決戦前日に小競り合いがあり、光成の家臣

島左近の活躍で西軍が勝った、ここが西軍唯一の勝利となった場所である

 

今日は12月18日、全日本実業団の女子駅伝が、岐阜-大垣間で行われているようだ

看板が出ていた。遭遇するかなと思ったが、道が違うのか会う事はなかった

 

船町の地名が出てきた、もう間もなくゴール地点と思われる、いよいよゴールも近しの頃

再び雪が降ってきた、先ほどまで快晴であったのに、突然天候が変わる雪国の気象条件

 

私の旅の波乱万丈を示すかの如くである、11時03分、高橋の交差点の下に

「奥の細道むすびの地」の道標と矢印、遂にやって来た

 

ここを左に曲がる、少しは走るのかと思いきや、曲がって直ぐそれはあった

時に、2005年12月18日、午前11時05分、「奥の細道、むすびの地」に到着した

 

       

水門側のほとりに「大垣の俳人谷木因」とともに佇む芭蕉像、その和やかな顔に雪が舞う

2005年4月17日芭蕉庵跡から旅立ち、600里2400kを駆け抜け7ヶ月を要した私の奥の細道

完踏です

 

降りしきる雪の大垣水門川の「むすびの地」に、しばし呆然と立ち尽くし、芭蕉像を眺め

手を合わせ、訪ねて来ましたよと、小さく囁く、寒さのせいか感情の昂ぶりか、体が震える

 

        

水門川のほとりには、芭蕉の句碑が、奥の細道の行程順に立ち並んでいる、雪が激しさを

増してきたが、余韻に浸りながら、ひとつずつ写真を撮っていく

(数が多いので写真の掲載は割愛させて頂く)

 

その度に手袋を外すが、雪が手に触れ冷たくて凍えそうだ、大垣の駅に近づく頃

雪は一段と激しさを増してきた、寒さに耐えられなくなり、見学はここまでにし

 

調べておいたスーパー銭湯に向かう、行く途中に、何やら巨大な郊外型店舗があり

ふと見ると、この中に天然温泉がある事が書いてあったので中に入って見た

 

何と、昨日オープンしたばかりだと云う温泉が本当にあった、ラッキー

雪も激しさを増してきたのでスーパー銭湯はやめにしてここで入る事にした

 

さて芭蕉、むすびの地には大勢の人が出迎える、曽良も伊勢より馳せ参じ

皆と一緒に芭蕉を囲み再開を喜び合う、風雅の交わりのさわやかさである

 

大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る

前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく且悦び

且いたはる

 

そして芭蕉は、大垣に数日滞在した後、大勢の人々の見送りを受けて水門川から

船に乗り新たなる旅へ向かう、人生は旅、旅の終わる所は死である、死ぬまで人は漂白し

流転し変貌しゆく

 

               蛤のふたみに別れ行く秋ぞ  芭蕉

 

走る旅人、みのさんも、感慨に浸っている暇はない、俳句を勉強する為新たなる

旅立ちをせねばならない

 

               走り終え雪の舞いたるむすびの地 みのさん

 

               新たなる旅の門出や冬晴れ間 みのさん

 

本日の走行距離(関ヶ原-大垣)16.86k

今回の通算距離(木之本-大垣)60.4k