葛飾北斎の90回以上にはとても及びませんが、私も17回ほど移動してきました。

①生まれは終戦直後の昭和20年1945年10月で、蒲田に住んでいた戦時中に
母親の実家のある伊豆の韮山に疎開していた時に生まれました。
昔の住所は 「静岡県田方郡韮山村山木」だったと思います。


東京の蒲田ではトラックを何台か持っていて、運送業をしていたそうです。
焼けなければ、今の佐川急便くらいにはなっていたかもしれません。

母親の実家は米農家をしていたので戦時中でも食べるものに困らないと聞いています。
伊豆の韮山と言えば、幕末の有名人でもある#江川太郎左衛門の家がある近くです。
また、近くには反射炉があり、子供のころに行った記憶があります。

②2歳くらいになると、父親の仕事の関係で横浜市の鶴見に引っ越しました。
小さな家に住んでいたそうですが、その時のことはほとんど覚えていません。

③父の勤めていた横浜ゴムの社宅があった横浜市の白幡に移りました。
4,5歳くらいで、その頃のことはかすかに覚えていて、兄二人と将棋をやっていました。
近くの浦島中学に遊びに行ったことは覚えています。亀の格好をした滑り台がありました。

④6歳になると平塚に引っ越しました。横浜ゴムの平塚工場に転勤になったのです。

平塚には高等学校までいました。

続きは次回

以上