ここに挙げた人たちがもう少し長生きしていたら日本も随分変わっていたと思います。

1)織田信長(48歳)(1534.06.23-1582.06.21)

 本能寺の変で明智光秀に打たれず、あと10年生きていたら日本史ががらっと変わっていたと思う
 豊臣秀吉が天下を取ったかどうかも怪しく、朝鮮出兵もなかっただろう。
 世界を広く見る視野もあり、宣教師からも世界の情勢を聞いていたと思うし、
 日本の戦国時代もなかったかもしれない。
 とにかく、秀吉の天下がなかっただけでも、日本にとっては良かったに違いない。

2)坂本龍馬(31歳)(1836.01.03-1867.12.10)

 時代はずっと後になり、幕末に活躍した坂本龍馬は日本の将来を考えていたと思われる。
 京都の寺田屋て刺客にあうも辛くも逃れ、近江屋で中岡慎太郎とともに打たれてしまう。
 龍馬は、海援隊を組織し、海軍の始まりだったり、銃砲を仕入れたり、随分と進んでいた。
 徳川幕府を倒し、その後の日本をどうするのがいいのかを模索していた。
 「日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべく・・・」という有名な手紙も残っており、
 日本全体のことを考えていたと思われます。

3)吉田松陰(29歳)(1830.09.20-1859.11.21)

 吉田松陰と言えば、松下村塾で若者たちが学び、明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。
 亡くなったのが、若干29歳であったとに驚く。
 自ら密航を企て、外国船に乗ろうとしたが、拒否され、失敗してしまう。
 のちに老中暗殺計画を企てたことを告白して、現在の小伝馬町で死刑となってしまう。
 松下村塾では、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など。山縣有朋、桂小五郎なども明倫館時代の
 弟子といわれている
 もし、松陰があと10年長生きをしていればと思ってしまいます。

4)樋口一葉(24歳)(1872.05.02-1896.11.23)

 樋口一葉は貧乏のどん底にあり、書き出した小説がやっと売れるようになり、
 一息つけると思った矢先、結核に侵されてしまい、24歳の若さで亡くなってしまう。
 もっともっと書きたかったであろうと思うと残念でならない。

5)瀧廉太郎(23歳)(1879.08.24-1903.06.29)

 瀧廉太郎はドイツに留学し、道半ばで結核に侵され、帰国している。
 23歳の若さで亡くなったものの、日本人なら誰でも知って歌える曲を
 いくつも作っている。
 有名なものでは、荒城の月、箱根八里、花(春のうららの墨田川)、鳩ポッポ、
 お正月等など。あと10年生きていたらと思うと残念でならない。

6)金子みすゞ(26歳)(1903.04.11-1930.03.10)

 金子みすゞは26歳の若さで自死したものの、詩に関しては、我々が思いつかないような
 優しい心が見られます。
 私が一番好きな詩は下記の詩です。
 大漁
  朝焼け小焼けだ大漁だ
  オオバいわしの大漁だ
  浜は祭りのようだけど
  海の中では何万の
  いわしの弔いするだろう
 お魚
  海の魚はかわいそう
  お米は人に作られる、
  牛は牧場で飼はれている、
  鯉もお池で麩(ふ)をもらふ
  けれども海のお魚は
  何にも世話にならないし
  いたづら一つしないのに
  かうして私に食べられる
  ほんとに魚はかはいさふ
魚になり切った詩だと思います。

7)河島英五(48歳)(2001.04.16-1952.04.23)

 河島英五は私の好きな歌手の一人です。散歩をしながらよく聞いています。
 以前は、旅のレポーターをしているのを見たことがあり、本当に素直な人と思いました。
 彼の歌は、歌詞、曲、歌い方どれ一つとっても素晴らしい。不思議な魅力があります。
 顔も何とも言えない雰囲気を持っています。
 その彼が、ある日突然肝臓疾患で48歳の生涯を閉じてしまった。
 彼の歌の中で特に好きなのは
 ・酒と泪と男と女(特に好きな歌です)
 ・野風増
 ・時代遅れ

 今はCDで聞くしかありませんが。