久山のマルキョウを過ぎた辺りで先を行く高校生の姿が見えました。
ニトリ前までに追いつこうと考えてスピードアップしましたが追い付くことはできず、交差点の信号待ちで終わりました。
彼女たちは喜々津駅から列車に乗って家路につくのでしょう‼️
その時の副産物として私の脳裏を過ったのは高村光太郎の「道程」という詩でした❣️👍
高校時代には好んで反芻し暗唱していた道程です‼️
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充せよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
1914.2.9
その時になぜこの詩を思い出していたのでしょうか?
歩いている時はいつも何を考えながら長時間歩いているのですかとよく人に聞かれます。
普段は浮かんでは消え、消えては浮かぶことを追いかけて追求することはありません。
つまり歩く坐禅を実践しているつもりですが、たまにこんなこともあります。
歩いている前方は未来です。目標に向かってひたすら歩きに集中しています。
だから、余程競り合ったレースでない限り、後ろを振り向くことはありません。
つまり、後ろはさっき通ってきた道なので振り返るということは後退りすることを意味します。
私たち人間は「過去」に戻ることはできませんので振り返ることは後退を意味すると思うからです。
私たちは今に最善を尽くす以外にできることはありません‼️