「北斗サーガの補完的アイデア集」はこちら♪(^0^)/
 

●アルゼンチンの裕福な家庭に生まれたチェ・ゲバラは人々を救う為医者を志すが、

バイクでの南米縦断の時に農民達の虐げられた過酷な現状を目の当たりにする。
そしてキューバのカストロと出会い、革命に身を投じるのである。僅か82人で2万人以上の政府

軍に戦いを挑んだゲバラは天才的なゲリラ戦術を発揮し、1958年にキューバ革命を成し遂げる。

利発で、気さくだったゲバラは誰からも愛された。農民達に農地を与え、子供達には文字

を教え、喘息を患いながら休みも取らず明るく献身的に働いた。本当に魅力的な人物だ。 
同じ島国の日本に復興のヒントを得ようとやってきたゲバラは、政府の目をかいくぐって

汽車に飛び乗り、広島へと向かった。原爆慰霊碑に献花し、赤十字原爆病院で涙したゲバラ。 
しかしカストロはキューバ危機の時に、そんなゲバラに核配備のサインをさせる。ゲバラはカストロと袂を分かった。 
「他国には自分の助けを必要としている人々がいるんだ」。そう言ってアフリカや南米

での闘争に身を投じたゲバラ。 しかし1967年、ボリビアで捕虜となり処刑された。

キューバでの栄光も、何不自由ない生活も捨てて、ボリビアで一介の兵士として死んだのである。 
ジョン・レノンはゲバラの事を「世界で一番カッコイイ男」と言った。

レノンの「イマジン」の歌詞は、ゲバラが生前言っていた事とそっくりである。 
「安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませんから」という広島の慰霊碑について、「何故

主語がないんだ?反省すべきはアメリカじゃないのか?」と言ったのは他ならぬゲバラである。

●イスラムの断食月、ラマダン。アラブ首長国連邦が5月下旬と決めてる様に、ラマダンは1年に1度、1
か月間日中に断食をする、イスラム教徒の大切な義務の1つ。その期間中は原則レストランも日中は閉店する。
この断食月の始まりと終わりを告げるのは「月」。イスラム教には、断食の始まりと終わりは
月を見て決めるという決まりがある。イスラムの暦は月の満ち欠けを基に作られているのだ。
普通、新月の後の細い月が「1日」になる。イスラム教徒はこの細い月を確認する事が
義務となっているのである。こういう習慣は現在でもイスラムの国々で続けられている。
月の満ち欠けに対応して潮の満ち干きが起きる事は周知の事実で、出産等人の生理学的なリズムも月の
周期に重なる。「蒼天の拳」に出て来る西斗月拳の様に、イスラムと月には密接な繋がりがあるのだ。
●こういった宗教上の理由から中世のイスラム世界では天文学が発展し、世界の最先端を走っていた。
今に伝わる星座絵は、10世紀にスーフィーが著した「星座の書」がルーツ。「世界最古の星座絵」が
描かれており、スーフィーはギリシャ時代の星の位置を新しく書き換えた。イスラム天文学の集大成である。
●イスラムでは「アストロラーベ」という、複雑で精巧な観測器具が用いられていた。現在の星占い
のルーツも「イスラム占星術」である。実用的な占星術を行なう為にイスラムでは天文学が発展した。
●ウズベキスタンのウルグベク天文台は、イスラム天文学の最高傑作。望遠鏡が発明される
まで、ここが世界で最も巨大で、最も精密な観測器具だった。ここで割り出した「1年の長さ」
は現代科学で弾きだしたものと「29秒」しか違わない。驚くべき精度を誇っていたのである。
●コペルニクスの地動説にもイスラム天文学の観測技術が貢献している。
「アストロラーベ」もヨーロッパに伝わり、コペルニクスも使った。
彼の著書に書かれた「幾何学モデルの図」は、主に惑星の動きについて説明するものだが、
13世紀のペルシアの天文学者トゥースィーが発表した「トゥースィー・カップル」を拝借したものである。
トゥースィーが死んだのは、コペルニクスが生まれる200年も前。
16世紀のトルコで活躍していたユダヤ人天文学者モーゼズ・ガリアノの自伝によると、
イスラムの天文学者イブン・シャーテルは「トゥースィー・カップル」を更に発展
させた事で知られるが、これをガリアノがコペルニクスに色々教えた様なのである。
「科学史上最大の革命」と言われる「地動説」。これの誕生の裏にはイスラム天文学の功績が隠されていたのだ。
しかし16世紀以降、イスラム王朝の衰退と共にイスラム天文学も力を失っていく。
現在アラブ首長国連邦が、若いエンジニアを育成し、科学技術立国として復活させようと邁進している。
●「残留日本兵ウィキ」より抜粋。日本軍から多くの武器が独立派の手に渡り、
旧日本軍将兵が独立軍の将兵の教育や作戦指導をすると共に、自ら戦闘に加わる等した。
2014年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が94歳で死去。小野は行方不明者を除く
と最後の残留日本兵とされ、これで所在が確認出来るインドネシアの残留日本兵は全員死亡したとされる。
小野の葬儀はインドネシア国軍が執り行い、棺にはインドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地に埋葬された。

●沖縄の石垣島の白保人はインドネシアとか東南アジア(昔は「スンダランド」)の

人のDNAと一致するんだそうだ。台湾の八仙洞遺跡からは3万年前の石器がどんどん

見つかっている。3万年前に台湾から沖縄の島々に、丸木舟で黒潮を越えて渡ってきた、

男女5組10人以上の人々がいたらしい。彼らは「石斧」の発明で「丸木舟」を作った。

●2万5千年前に極寒のシベリアからも、北海道に入って来たホモ・
サピエンスがいたんだそうだ。彼らは「縫い針」の発明で「服」を作った。
●「集団行動」と「道具作り(縫い針の他に釣り針も)」に長けたホモ・サピエンス。
これにより「論理的思考」が出来る様になり、「言語」が発達した。
北と南から日本へと渡って来た彼らは、其々「縫い針」と「石斧」を、
「何も無い所からいきなり発明した」。最早彼らに行けない土地は無かった。
●ネアンデルタール人は3万9千年前に絶滅した。「ハインリッヒ・イベントが原因」という人もいる。
これは、氷山の欠片がスペインの方に漂着して起きた、長期間のヨーロッパ寒冷期の事である。
4万2千年前にホモ・サピエンスがヨーロッパに入って来た。彼らの侵略でネアンデルタール
人が絶滅したという人もいる。絶滅の時期と共存の時期が重なるからである。
しかし、食料も豊富だし、絶滅させるほどの戦争もやらなかったと考えられるので、この説は否定される。
ネアンデルタール人は病気に罹り易い事がDNA分析から判明した。「出生率の低下が絶滅の原因」という人もいる。
近親交配のせいで遺伝的多様性が失われ、病気への抵抗力が弱まった。
そこにホモ・サピエンスが持ち込んだ病原菌のせいで人口減少に拍車が掛かったのだろう。
●ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交配も行なわれた。
アフリカ以外に暮らす人類には、2%以内だが、ネアンデルタール人の遺伝子が入っている。
特に、ヨーロッパ人の色の薄い皮膚はネアンデルタール人から受け継いだものである。

●中国の推進する「一帯一路構想」は、「一帯(シルクロード経済ベルト=陸のシルクロード)」と「一路(21世紀

海上シルクロード=海のシルクロード)」だが、更に「第3のルート(北極海航路=氷上シルクロード)」も開発中。

●ホモ・サピエンスは6万年前にアフリカから大移動を開始した。
インドネシアのスラウェシ島のティンプセン洞窟に「手形壁画」があるんだけど、ウラン・トリウム法
で年代を割り出すと、これは、ヨーロッパよりも古い「世界最古の壁画(約4万年前)」なんだそうだ。
手形壁画は「私はここまで辿り着いた」という目印の意味があるんだそう。
スラウェシ島のブギス族には今も、新しい家を建てたら柱に手形を残す伝統が残ってるんだって。
4万年前のインドネシアは繋がっていて、この当時の東南アジアは「スンダランド」と呼ばれてたんだそうだ。
ブギス族は「海の民」。木をくり抜いて「レパレパ」というカヌーを作って使っている。舟の壁画も多い。
太古の人類も島伝いにオーストラリアまで行き、100kmの航海を小さな
カヌーで何度も往復していた。そこで役立ったのが「星」なんだそうだ。
オーストラリアのアーネムランドにも手形壁画が多数あり、同じ頃のものと考えられている。
ブギス族は遠くへ漁に行く時は「鎌の星座(オリオン座)」を見る。オリオンは必ず東から西へと移るから。
日の出の位置も利用した。乾季は東より少し北側から、雨季は南側から其々出る。それで季節毎に調節する。
太古の人類は、高い山から見た目標の島の上にあった星を目印にして航海していたとも考えられている。
因みにオーストラリアのアーネムランドの先住民アボリジニは
「オリオン座の三ツ星」を「3人乗りのカヌー」とする神話も残している。
アボリジニは1986年には昴(プレアデス星団)やベテルギウス、天の川やハレー彗星
を描いた点描画も作った。1986年はハレー彗星が南半球に最も近付いた年である。
因みに日本の「三種の神器」は「オリオン座の三ツ星」を表わしている。
北斗の「三斗(北斗南斗元斗)」もここから来ているんだろう。
●7万4千年前のインドネシア・スマトラ島のトパ火山の超巨大噴火では当時10万
人いた人類が1万人にまで減ってしまったんだそうだ。トパ湖はそれによって出来た
「世界最大のカルデラ湖」。この噴火によって生じた火山灰の厚みは500mにも及んだ。
火山灰が植物を痛めつけて食料不足を引き起こし、動物も「とがった火山灰」を吸い込んで
肺が傷つき、火山灰で生じた二酸化硫黄は上空5万mの成層圏に達して「硫酸エアロゾル」
に変わり、地球を覆い尽くして太陽光を遮り、寒冷化する「火山の冬」を引き起こした。
1991年のフィリピンのピナツボ火山も「20世紀最大の噴火」を起こして世界の平均
気温を0.4度引き下げたが、トパ火山の時の硫酸エアロゾルはピナツボ山の100倍以上。
2年後には平均気温を5度も下げた。人口が10分の1に減り、人類は絶滅の危機に瀕したが、
これを機に人類は「共喰い」をやめ、攻撃的なホルモンも減って、何とか生き延びたんだそうだよ。
●第2次世界大戦中のアメリカの科学者達は、研究資金を得る為に、レーダー、火炎放射器、焼夷
弾、原爆等を開発した。焼夷弾は、日本の家屋が燃え易い様にわざわざ中に油を詰めたものである。
「原爆の父」オッペンハイマーは、幼少の頃より「優秀でない人を辱める性格」だった。
彼はノーベル賞を取る程の研究成果を上げておらず、見下されている現状を変える為に原爆開発に賭けた。
軍に取り入り、所長に抜擢され、軍の言う事は全て聞いて、今の金で3兆円もの潤沢な資金を獲得した。それで当時
最高の科学者達を自ら集めた。かつての同僚は「彼は悪魔に魂を売るファウスト的契約をしたのだ」と言っている。
1942年、「ドイツより先に」をスローガンに、マンハッタン計画が正式に始動。
だが、丁度同じタイミングの同年6月、ドイツは原爆開発を断念し、それが米軍諜報部
によって知らされる。ドイツは戦費が膨らみ過ぎて、多額な予算が必要な核開発までには
手を回せなかったのだ。にもかかわらずロスアラモスに集められた科学者達は研究を続けた。
ドイツの敗色が濃厚になってきた時、ロバート・ウィルソンは「科学者達で話し合う集会」を開こうとした。
原爆開発を続けるか否かを話し合う為だ。オッペンハイマーは集会中止を要請した。
それでも集会を強行すると、集会を開催する度にオッペンハイマーが参加し、「戦争抑止力」
という「ボーアの考え」も使って皆の説得に当たった。最早「ドイツより先に」という本来の
開発理由からはかけ離れていた。そして、広島・長崎の「史上最大の大虐殺」へと繋がっていく。
ルーズベルトの科学顧問のヴァニーバー・ブッシュは、多額の予算を掛けた原爆は「使わなければ
ならない」と考えていたそうだ(呆)そして、事前に警告する事もなく、原爆は投下された。
投下決定機関の「暫定委員会」は「原爆使用推進派」で固められ、その場でもオッペンハイマー
は使用を強く訴えた。彼は誰よりも原爆の威力について知っていたにも関わらずだ。
新大統領のトルーマンはポツダム会談中の実験を何としても成功させる様科学者達に求めた。
「戦後世界の主導権を握る為」だ。最早そこに「本来の開発目的」は微塵も無かった。
原爆開発提唱者のレオ・シラードは「日本に直接投下する直接的軍事使用でなく、デモンストレーションの映像を日本に
見せて降伏を迫るべき」と訴えた。だが彼とて、スノーデンの様に「世間に公表してやめさせる」事は決してしなかった。
オッペンハイマーは投下担当者に「原爆に最大の効果を発揮させる方法」を教えた(呆)
ヒロシマの地表面は3000度に達した。報告を受けるとオッペンハイマーは祝辞を述べた。
科学者達も一番最初に思った事は「上手くいって良かった」である。ヴァニーバー・ブッシュが造った
会社は、現在、年間2兆円もの売り上げを誇る「アメリカ1の軍事ミサイル会社」になっている。
●フリーマン・ダイソンという高名な物理学者は「この世の最大のミステリーは人間
の精神・意識というものが確実に存在する事」と言っている。反物質や超対称性粒子
等の考えから「ミラーマター(影の宇宙)」「物質世界に対する精神世界」「霊的世界」
が存在すると主張する物理学者もいる。相互作用が出来ないニュートリノやダークマター
等があるなら、「最初の意志」「宇宙の意識体」というものもあるのかも知れない。
「万物の理論」として期待されている「M理論」(ミクロの標準理論とマクロの一般相対性
理論を内包)は「マルチバース(多元宇宙)」の考え方で、10の500乗個の宇宙が今も
生まれ、消えているそうだし、ブラックホールの特異点から別次元の宇宙が産み出されている
という人もいる。「平行宇宙(パラレルワールド)」「輪廻転生」も確かにあるのかも知れないなw

●1962年、ソ連はキューバに33基のミサイルを配備し、アメリカは海上封鎖を決行した。

元アメリカ国防長官ウィリアム・ペリーによると、「ソ連の船団には4隻の潜水艦が護衛についており、

これには核魚雷が搭載されていた。そしてモスクワに照会せずに核魚雷も発射する権限が与えられていた。

この時3人の士官が協議し、2人が反対した。あと1人が賛成すれば核魚雷が発射されていたのだ。

そうなれば核戦争の引き金になっていた」「最初の爆弾はワシントンを狙っていた」のだそうだ。

北斗世界ではこの「もう1人の賛成者」により「第1次核戦争」が勃発したという設定にすれば無理が無くなる。

●「北斗真君(北斗星君)」は、中国において、北斗七星が道教思想によって神格化されたもの。

「死」を司っており、死んだ人間の生前の行いを調べて、地獄での行き先を決定する

という、日本でいう所の閻魔(閻王)の様な役目を持つ。南斗星君と対を成す存在。

南斗星君が温和な性格なのに対し、北斗真君は厳格な性格をしているという。

一説によると、その姿は氷の様に透き通った衣に身を包む醜い老人とされる

(南斗星君の容姿は諸説あるが、北斗真君は醜い老人という事でほぼ統一されている)。

あの「密教占星術を究めた運命の道士」はこれに当たるんだろう。

●「南斗星君」は同様に南斗六星が神格化されたもので「生」を司っている。

生と死を司る「南斗と北斗の二人」が許可すれば人の寿命を延ばせるとも云われている。

容姿については諸説あり、その姿は炎の様に燃え上がる衣に身を包む

醜い老人であったり、北斗真君とは逆に美しい青年であるとも云われる。

●秦はCHINA(チャイナ)の語源。秦は中国統一後僅か15年で滅びた。秦始皇帝は紀元前221年に中国を統一。
郡県制を敷き、文字・単位・通貨を統一して効率良く税を集めようとし、北方の民族・匈奴とも大掛かりな戦争をやった。
秦の後再び中国を統一したのは漢。前漢の中国統一は紀元前202年。漢は400年続いた。
その第七代皇帝の武帝は儒学を国の学問とし、人々が共有出来る思想を作った。
そして塩・鉄・酒の独占販売を始め、充実した国力で匈奴との戦争にも勝利し、支配地域を広げた。
武帝の時代には司馬遷(前145~前86)も「史記」全130巻を著した。
泰山は中国歴代皇帝が信仰の対象とした、山東省の世界遺産の山。武帝もここで天と地を祀る儀式「封禅」を行なった。
●インドネシア・ジャワ島の「イジェン火口湖」の火口近くから硫黄を運ぶ仕事をしている人達がいる。1回に運ぶ量
は80kgで、どんな屈強な男でも2回運ぶのが精一杯。硫黄は砂糖の精製や化粧品、かゆみ止めの薬等に使われる。
イジェン火口湖は夜になると硫黄が燃えて蒼い炎を出し、幻想的な風景を醸し出す。
古代王朝が信奉したヒンドゥー教では、青は空の色、海の色、聖なるものの色として尊ばれている。
因みに「ジョグジャカルタ」は「平和で良い」という意味。これらもリジェネシスに生かそうぜ♪
●シルクロードが通る中央アジアのウズベキスタン。綿花畑の中に、「ズルマラ仏塔」という「ストゥーパ」がポツンとある。
「ストゥーパ」とは、インド発祥の、土の塊の仏塔の事。ウズベキスタンはイスラム教徒が殆どなのに、何故仏塔か?
ウズベキスタンは「文明の十字路」と呼ばれ、ユーラシア大陸の文明が交差する場所で、インドの仏教
が東へ広まる際にも重要な分岐点となった。ストゥーパの中でも、ズルマラ仏塔は最大の規模を誇る。
普通、「仏塔」と「僧院」はセットなので、このズルマラ仏塔の隣にもかつては僧院があったと思われ、
現在発掘作業が行なわれている。しかし、ズルマラ仏塔にはヒビが入っていて、いつ崩れてもおかしく
ない状態であり、「20ミリの雨が降っても崩壊する」と言われている。かつてここら一帯は「一大
仏教都市」だった。「蒼天」に出て来る「ヤーマの墓」は、このズルマラ仏塔がモデルなんだろう。
 

「北斗サーガの補完的アイデア集2」に続く。

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