袖すり合うも多生の縁と言いますが、この多生とは何度も生まれ変わると言うこと。

つまり前世で結ばれた因縁。今生でその縁で最も色濃く感じられるのが「夫婦」ではないでしょうか。

見ず知らず、赤の他人同士が出逢い「夫婦」の誓いを立て、今生の艱難辛苦を共に立ち向かう。「多生の縁」の最たるところではないでしょうか。

父母の生前は、私達家族にも色々とありましたが、前年父が8月29日(北朝鮮がミサイルを発射しJアラートが早朝に鳴り響いた日)に亡くなり、私達息子兄弟が手続き関係で毎日一緒だったときは良かったのですが、落ち着いてきてからは、生きる気力がなくなり、毎日ゴロゴロとしており日々の食事、入浴すらないがしろになってしまいました。要介護2でしたのでそれもあながち仕方が無い事かもしれません。「もう何もしたくない。早く迎えに来てくれ。」と父の遺影に話かけていました。

私達夫婦のささやかな楽しみとして、結婚記念日の食事と年に一回秋の2泊3日の旅行をしましょう。という約束が有りましたが、父は多臓器不全で亡くなりましたが、亡くなる5年ぐらい前からなぜかこの頃に体調が悪くなり入院するのでここ6~7年どちらの約束も実行できませんでした。更には、一時同居したものの、なみが人一倍身体が弱く普段血圧が100行かない人が常時180を超えてしまうほどに成り、医者から「このままだと貴方死ぬよ。」と言われ再度我が家に戻りました。その後亡くなったのですがお通夜が結婚記念日となりました。

父が亡くなってからは、毎週末は実家に行き、色々と家事をこなす日が一年続きました。3ヶ月前に何度説諭しても「俺はそんなところには行かない。」と言っていた母を何とかデイサービスにお試しに連れて行き、週2回デイサービスに通うようになり、その時だけでも綺麗に入浴が出来、まともな食事が出来、何よりも「見守ってくれている。」という安心感が出来ました。

今年は父の新盆。弟と私と母で父のお迎えに行き、弟家族、私達夫婦、母とで亡き父を囲み食事をすることにしていたので、母を残し弟と二人買い物に出て一時間足らずで戻ってくると、自分の定位置ではなく父の定位置(そこは親父の場所だからといってけして座ろうとしなかった)で仰向けに寝ていました。「そんなところで寝ていたら邪魔じゃないか・・・」と近づくと、口から泡を吹き・・・慌てて「お袋。」と呼び身体を揺すったけれども反応が無く、すぐに救急車を呼びました。結果、脳出血で手の施しようも無く亡くなりました。

話が長くなりましたが、「早く迎えに来てくれ。」と言っていた母が、お墓に父を迎えに行き、父もそれに応えるかのごとく母を迎えたようにしか思えません。

そして母は私を産んで54年経たその日に旅立ちました。

「多生の縁」を感じずにはいられませんでした。

ナミオ