想いって、いつかは伝わる……って思っていた、その昔。
でもいつの頃からか、想っていても伝わらないこともある、と気付いた。
~人は誰しも生きる以上、ひたすら自分のために善かれと思い、
自分の幸せを願っている~
トルストイ『人生論』より
あぁ、なるほどな、と妙に納得。
人はみな、異なる。
姿かたちも、思考も嗜好も。
異なるものが共通項を見つけて交わり、生み出し、慰めあう。
そして、心地よい場所に終着できれば、これ幸い。
一方、相違するところでは、反発や憧憬を行きつ戻りつ。
最終的に、諦めという、ひとつの保守手段に不時着。
好きや嫌いとは違う。
“異なる” ということ。
それを、認める、受け入れる。
言いかえれば、諦める。
言葉にすると
いとも簡単なように思えるが、
実作業としては、いと難し、悲し。
なによりも、寂し。
そう、寂しいという感情がしゅ~っと
心のなかを駆け抜けてゆき、
ずきん、という
ひと刺しされた感覚が残る。
駆け抜けたものを追いかけず、
ただやり過ごすことの、
ある種の罪悪感。
避けては通れぬ道だと分かっていても
いつも毎回、ずきん、と痛む。
とはいえ、認めねばならぬ。
受け入れねばならぬ。
”異なる”んだという事実を、現実を。
~自分の幸福への願いは他人の幸福への願いに切り替えられるものだ、
と心の中で思いさえすれば、生活はこれまでの愚劣さとみじめさの代りに
合理的で幸福なものになることは、理性のある人なら分からぬはずはない~
『人生論』 より
年を経るごとに、
心の痛むことが増える一方、
“異なる”ことの意味や意義、
それを受け入れることの意味と意義を思う。
ただ、ただ、日々精進……。













