■#061 黒田官兵衛 最後の賭け■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

軍師黒田官兵衛
黒田官兵衛















織田家へ仕える事になった官兵衛は、

豊臣秀吉の軍師として、

あまりある活躍を続け、

秀吉を天下人へと押し上げたのでした。



しかし、晩年の秀吉の振舞にはさすがの官兵衛も、

はなはだ手がつけられず、手をこまねいたのでした。



そんな秀吉が没したのは慶長三年(1598年)。

秀吉のおかげで平定されていた天下が乱れる事は、

誰しも感じるところであり、

豊臣家五奉行石田三成と大老徳川家康との対立は明らかでした。



ここで第三勢力として、天下取りを目論んだのが官兵衛でした。

この時官兵衛が準備した兵の数9000。

これが九州を平定していくに連れて数が増して行き、

その軍で関ヶ原で疲弊した、

三成・家康の勝った方へ攻め入るという算段でした。



ところがここで、名軍師官兵衛でも予想し得なかった事が。

なんと関ヶ原の合戦がわずか1日で決着がついてしまったのです。



長期化を予想していた官兵衛にとっては大誤算。

ここで官兵衛の天下取りは潰えたのでした。



天下を取る実力があった官兵衛でしたが、

最後の最後に運は官兵衛に味方しなかったようですね。



天下を治めることに関わらず、

トップに立つような人は、

やはり運も兼ね備えていなければならないのですね。










●お知らせ●

大河ドラマ軍師官兵衛は今日が最終回です。
お見逃しなく(笑)
軍師官兵衛



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