■#005 北条氏康、わが子の食事で将来を憂える■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

相手の気持ちを思いやったり察してあげたりすることは、

人として大切なことだと思います。



上に立つような人間であれば、

尚更それができなければならないのではないでしょうか。





戦国武将の先駆けともいうべき”北条早雲”(ほうじょうそううん)に始まり、

二代”北条氏綱”(うじつな)が関東に勢力を拡大していき、

その跡を継いだのが”北条氏康”(うじやす)
北条氏康


















元服間もなくしてその手腕を発揮し、

家督を継いでからの”河越夜戦”では、

北条軍一万に対して敵軍八万の大軍から見事に勝利を勝ち得ました。



また、武田家・今川家と”甲相駿三国同盟”を結んだり、

検地、税制整理や通貨の統一も行い領民に慕われてもあり、

内政・外交ともに優れた人別でした。





ただ、気がかりだったのは嫡男”北条氏政”(うじまさ)のことでした。

氏政がご飯に汁をかけたものの、

足らずにもう一度かけたのは見た氏康は、


「毎日食べているにも関わらす、

どのぐらいかければ良いかわからぬとは。

そのようなことがわからぬものに、

領民や家臣を推し量ることができようか。」


と嘆いたそうです。



実際、北条家はこの氏政によって”豊臣秀吉”から”小田原攻め”にあい、

氏政は切腹、その息子”北条氏直”(うじなお)は高野山で謹慎となり、

北条家の輝かしい歴史に幕を閉じることとなったのです。





北条家の家訓には「領民に対して誠実であること」とあるのですが、

氏康はそれを実践できたからこそ領民に慕われ、

亡くなった際、死を惜しまれたのでしょう。





小さなことではありますが、

どれだけ物事を理解しているか、

それが人への気遣いにもつながるのではないでしょうか。