【格言】Time is money | 中島稔の『勝手な事を書くブログ』

中島稔の『勝手な事を書くブログ』

仕事の関係で一年間の2/3は、
ベトナムはハノイを拠点に、
主に東南アジアを訪問しています。
その日の気分で勝手な事を書いています。

 

 

【格言】Time is money

 

こんにちは、中島でございます。

 

早いもので、3月30日にベトナムへの渡航を2年ぶりに再開し、すでに半年が過ぎました。

 

この間、幾度か日本との往復をしましたが、9割がたはベトナムのハノイに滞在し、新コロで凍結停滞していた仕事をしています。

 

さて、今日のブログですが、少し乱暴な表現というか、傲慢な内容になると思いますので、最期まで読むと、私のことが嫌いになるかもしれないので、途中で嫌になった方は、最後まで読まないでくださいね。

グラサングラサン

 

 

時は金なり

 

この言葉、

 

日本ではことわざのように使われていますが、ご承知のとおり、実はことわざではないんですよね。

 

『時は金なり』という言葉は、

 

アメリカの政治家で、アメリカ合衆国建国の父の一人とされる、ベンジャミン・フランクリンの言葉で、

『Time is money』

の日本語訳です。

 

【その意味】

時間はお金と同様に貴重なものだから、決して無駄にしてはいけないという戒め

 

※ベンジャミン・フランクリンの事を知りたい方は↓クリック

 

今回、何故この言葉から始めたかというと、やっぱりこの新コロで完全に停滞していた2年半余りの時間を、我々はどう使っていたんだろうと考えているからです。

 

私も、私の会社もそうですが、この2年半という時間は、本当に新コロにいじめられ続けられました。

 

国の助成金、新規事業の補助金や、新コロ融資の特例的な措置で、なんと事業をつなぎ止め、最近になりようやく止まっていた時間が動き出しました。

 

 

この状況は、たくさんの企業が経験したと思います。

 

そして、今年に入りようやく経済が再開され、『新コロ=怖い怖い病』に対する政府方針も緩和方向に向かい、2年半以上たった先月から、観光産業への光も射し、ほぼ全職種で正常化に向け進みだしました。

 

それでも、なお新コロに関連する企業倒産が多く、加えて、個人の自己破産の数も増加しているそうです。

 

なぜ、企業も個人も、新コロが明けてなお負に苦しんでいるのか?

 

ここから個人的な考え方を書きますので、不愉快にもなり、当然ながら異論もたくさんあると思います。

 

ですから、今回のこの新コロに対する考え方を、自分なりにきちんと持っている方は、この先は読まないでください。

 

 

【もう決着はついている?】

 

今回の新コロで痛いほど個人や自社の力というか、体力(資金力など)の大切さを痛感している方がと多いと思います。

 

漏れなく私自身も、そのことをものすごく痛感しましたし、今なおその苦しみというか、将来展望に対する悩みは続いていると言ってもいいでしょう。

 

まぁ、新コロで受けたものと言えば、個人も企業も助成金や補助金、そして責任が付きまとう融資しかないので、新コロの真っただ中で、本当に苦しい時は、それは恩恵なのかなって感じていましたが、実際には来年あたりから本格的な返済が始まる企業が多いので、本当の苦しみはこれからなんですよね。

 

だから、新コロが明けるこの2年半で、こう考える人が多かったのではないか?

 

「自分たちが悪いわけではなく、防ぎようがない。」

 

「国の対応が悪いから、国が助けるのは当然だ」

 

たしかに、そうかもしれないけど、自然災害でも同じことが言えるんだろうか?

 

単に新コロに責任転換しているだけではないか?

 

私はそう考えている。

 

だから、何の対策や思考の変化もなく、唯々じっとしていた個人や企業にとっては、これからもっと辛い時代になり、すでに淘汰され始めているのも事実だ。

 

 

以前から書いていますが、新コロは良くも悪くも世界を変えました。

 

世界的にも、政治ばかりではなく、経済に対する考え方も大きく左右に分かれました。

 

なにより、我々人間の思考回路そのものが変えられました。

(日本人だけかもしれないけど)

 

特に、我が国 日本は、若い世代の考え方が一気に変わり、私たち昭和中期の世代が親の世代の子供たち、俗にいう平成世代が中核層となっていきます。

 

40年代から上は、昭和の高度成長期からバブル期に生まれた世代なので、こちらはこの間の世代層でも全く考え方が違い、ここに平成の世代が加わっている。

 

我々、昭和の40年~50年代の世代の人生は、ここから劇的に大きく変わることはないのかもしれない。

 

そう、50を過ぎると、よほどのことが無い限り、99.99999.......%以上の人の人生の大勢は決まっている。

 

人生に勝ち負けはないけれど、

 

それでも・・・・・・・・・・。

 

 

世の中の勝敗は、

いったい誰が決めるんだろう。

 

単にお金がたくさんあれば勝ち組なのか?

 

幸福度が高い方が勝ち組なのか?

 

 

こんなことを考えている時点で、精神的な部分で負け組なんだろう。

 

以前のブログで、もしも過去に戻れたらをテーマにしたことがある。

 

内容はというと、読み返すと恥ずかしいくらい稚拙な内容で、かっこいいことを書いているようで、全く反省している内容にも思えない。

 

このブログを書いてから1年以上経過し、その後もコロナ禍が続き、よもやここまで長く続くとは思いもしなかった。

 

この間、全く何もしてこなかったわけではない。

 

他の人にしてみれば、無駄な事だと思われている指示なんかも、私自身はそう思ってはいなかった。

 

だから、会社も倒産してないし、まして誰一人従業員を解雇することなく経営を続けることができてる。

 

 

私は、時間は限られた資産だと思っています。

 

生きている中で、その時間の1/3は寝ることに使い、1/3が仕事で、1/3が私的な時間に使っていると考えると、ビジネスに使える時間は本当に少ないと思う。

 

『Time is money』

 

『時間の使い方とその価値』

 

こう解釈すると、その少ない時間で、

 

考え、行動し、答えを出さなければならない。

 

これはビジネスばかりではなく、私的な時間も一緒なんだろう。

 

とはいえ、1/3の時間割りの中で、その答えを出すことは、最も難しい問題なのかもしれない。