イ・ミンホのお母さんが語った「花より幼いミンホ」プロローグから①~⑤まで一気にUP! | JapanMinoz白銀の月明かり

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배우 이민호 씨의 모든 걸음과 모든 시간을 응원합니다.

俳優イ・ミンホさんのすべての歩みとすべての時間を応援します。
~イ・ミンホ 이민호 LEEMINHO 李敏镐~

おそようごじゃいます(*^-^*)

 

今日も宜しくお願いします<(_ _)>

 

以前からやりたかったミノのお母さんがメディアに語った(花より幼いイ・ミンホ)をまとめて、ようやくひとつのブログ記事として完成させることが出来ました。

 

以前、UPしたものはあるにはあるんですけど、タイトルに関しても翻訳に関してもUPする日に関しても、ばっらばらで統一感がなく、自分でもブログ記事を探し出せないという始末・・・( ̄▽ ̄;)

 

なので、翻訳も今は少し進歩しているし、一つにまとめた形に再構成してお送りいたします。

 

構成としましては、プロローグ記事+花より幼いイ・ミンホ①~⑤となっております。

 

ここに来られる皆様にミノのお母さんが語った幼い頃のミノや大きくなってからのミノの話をぜひ読んでいただけたらと思います。(*^-^*)

 

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プロローグ「花より幼いイ・ミンホ」 成長ストーリー

 

イ・ミンホの子供の頃はどうだったのだろうか。 KBS2TV月火ドラマ「花より男子」ク・ジュンピョで最高の人気を享受している彼の過去に関心が集中している。

高校時代の姿からガールフレンドとの愛情の写真まで、最近の彼の昔の姿は「ネチズン捜査隊」の標的1号として浮上している。 ISはイ・ミンホ幼年期の頃の写真を単独入手した。

初誕生日の姿から幼稚園の遊戯、小学校時代の家族旅行まで、彼の子供の頃のすべてを写真を通して再構築した。イ・ミンホの母が所属事務所スターハウスを通じて明らかにした「息子イ・ミンホを育てながら楽しく幸せだった日々」の所感とエピソードを付け加えた。 ISは16日からイ・ミンホの成長過程を振り返って見るスター物語 「花より幼いミンホ」を連載する。



▶1歳、初誕生日

目が大きくて目鼻立ちがはっきりしたイ・ミンホは断然引き立つ新生児であった。生まれたときの体重は3.2kg。

平均をやや上回る程度で幼い時は大きな身長ではなかったが、育つほど背も高くなり体格も良くなった。ソウル市内の宴会場を借りて行った初誕生日のミンホは
1鉛筆を握った。ミンホの父は優等生の息子を期待して非常に喜んだ。後に育てておいてみると、子供の才能は勉強ではなく、演技であった。

祝い金もかなり多く入ってきたし、最初の息子だったせいか
※2石指輪もたくさん入ってきた。ワカメスープや各種餅、自宅で丹念に準備した膳など1歳の宴上位に置かれた他の食品にイ・ミンホは関心がなかった。横で姉が食べていたコーラ味の※3チュチュバーを欲しいと駄々をこねて口に譲ったらとても喜んで笑った。


▶2歳、家のベッドの上で

家族が呼ぶミンホの子供の頃のニックネームは「
※4カムシ」だった。目があまりにも大きいうえに、他の子供よりも浅黒いので可愛くつけたニックネームだった。クリスマスを控え、キルティング服を着てベッドの上でポーズをとった「赤ちゃんミンホ」のキュートな表情がかわいい。


▶5歳、父親が買ってきたケーキを姉と食べる直前

姉ユンジョンとは仲の良い兄妹だった。幼い時に戦ったことは数えるほどだ。父がケーキを買ってきた日には、リビングルームのテーブルの上に二人姉弟が座って並んでポーズを取った。



▶6歳、清平家族旅行


「花より男子」劇中のキャラクターのようにミンホは水泳が全くできない。幼い頃から恐怖が多く、バナナボートなどの水遊び遊具に一度乗せるには、家族が総動員され、なだめてあやさなければならなかった。母と姉が水に入るのは怖くないと説得すると、やむを得ずサングラスと救命胴衣を着用したが、着てふてくされた。


▶7歳、幼稚園の誕生日パーティー

ミンホは恥ずかしがる事が多くて芸能人になるとは夢にも思わなかった。幼稚園の誕生日パーティーで歌一曲を歌うも何度も家でお母さんと練習をした後になってようやく一小節を切り出した。

韓服を着て練習した曲を歌うミンホを見ながら胸がいっぱいになったが、途中で歌わなくなるかもしれない思って、後からどれほど緊張したかもしれない。ミンホは子供の頃、恥ずかしがることが多い性格だったが、中学校入学後に友人にたくさん会って、積極的で外向的な性格に変わった。



▶9歳、小学校2年生の校庭裏庭キャンプ

小学校入学後、サッカーを学びながらミンホは山や野原を出歩くのが好きだった。

積極的な性格で大きくなるとお母さんが、週末には頻繁に登山へ連れて行ってたりした。食べるのも肉食が好きで、青唐辛子の牛肉やサムギョプサルを焼いてくれれば座った席で2〜3人前をさっと片付けた。

夏になると昆虫採集をすることが好きだった。日焼けしたように銅色に焼けた肌に気後れするたびに写真撮影用「V」の字のポーズがおもしろい。 「花より男子」の巻き毛とは全く別の直毛ストレート髪が目立つ。



▶18歳、高校の卒業式

中学生の頃からミンホはハンサムな容貌に男女の友人からかなり人気があった。姉ユンジョンの友人の間でも「ユンジョンのイケメン弟」と呼ばれて人気があった。

高校2年生から練習生として演技者デビューを始めたミンホは、学校生活にも充実した方だった。普通にクラスメートともよく似合った。今と目鼻立ちは同じだが、色とりどりのにきびが出た顔が面白い。

 

文章中の補足(※1~4)

 

※1 韓国では1歳のお誕生日に子供の将来を占う「トルチャビ」というのがあり、子供の前に色々な物を置きその子が何を掴むかによって将来を占うというもの。(鉛筆を掴んだ場合:頭の良い学者)

 

※2 石指輪(トルパンジ)を1歳のお誕生日に将来沢山の富に恵まれお金持ちになるようにという意味を込めてプレゼントする風習がある

 

※3 チュチュバーとは、吸いながら食べるアイスの事

 

※4 カムシとは、浅黒い色をした人を指す言葉

 

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そして、5日間に渡って連載がスタートします。

 

「花より幼いミンホ①~⑤」として、再翻訳+再構成したものをここにまとめてUPしますね(*^_^*)

 

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花より幼いミンホ① 「補薬を口にしながら暮らしていた」

 



ISは16日からKBS第2テレビ『花より男子』イ·ミンホの幼い頃の話を聞くスターストーリー『花より幼いミンホ』を5回にわたって毎日連載する。 イ·ミンホの母親が所属事務所の「スターハウス」を通じて、彼を育てながらのエピソードや特別な教育法などを紹介する。

出生から22歳の現在に至るまで、一度も公開されていないイ·ミンホの様々な姿を母親の声で描いた。 イ·ミンホの母親が息子のアルバムから直接選んだ子供時代の写真も一緒に添える。

ミノの幼児期0歳-4歳

ミノの胎夢は唐辛子畑の夢だった。病院で性別を教えてくれなかったので、息子なのかは分からなかったが、胎夢を見た後は息子のような感じがした。唐辛子畑に赤唐辛子がふさふさとぶら下がっている夢だったが、とてもきれいで見事に見えた。私のかごいっぱいに唐辛子を与え入れた。本来肉類が好きでなかった私は、お腹の中にミノを抱いている時、肉を本当にたくさん食べた。なぜか三日に一回は三枚肉と牛肉を食べた。ミノは、最近も青唐辛子の牛肉などの肉のおかずを最も好む。

ミノは3.2kgで生まれた。通常の子供よりも小柄だった子供は、小学校入学前までずっと虚弱な体質だった。気管支が弱く季節の変わり目にはいつも風邪にかかり、どんなに食べさせてもぽっちゃりする方にはなれなかった。 A型である私の体質と性格とほとんど似ていて弱かったし、しばしば辛かった。

食べるのも一度にたくさん食べることができず、季節ごとの補薬は欠かせないものだった。 サプリメントも飲ませたが、他の子のようにたくさん飲ませてもいつも肉が付かなかった。 人見知りも激しく子どもが敏感なので、いつも胸に抱いてあやしてやらなければならなかった。

ミノは、男の子にしては本当にきれいだった。姉のユンジョンよりも目が大きく、鼻柱も高かった。ミノが演技者としての資質が見えた最初のきっかけは、つぶやきであった。姉ユンジョンも言葉は上手だったが、ミノは言葉を学ぶのが速かった。新生児の時には動く物体に焦点も早く合わせたし、「ママ」と最初の一言を発するのも、他の子供たちよりも3-4ヶ月ほど早かった。 (次回に続く)

 

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花より幼いミンホ② 「イ·ミンホ、5歳の時に道に迷って迷子になるところだった」




ミノは新聞を読むのが好きだった。 ミノのハングル会得は、新聞と一緒に配達された色とりどりの広告チラシの中の大きな文字を読むことを始まりとした。

その勉強に興味を持った子どもは小学校に入学すると、子ども新聞や日刊紙の社説を読むことを習慣化した。 足し算、引き算など数字の演算も速かった。 暗記も上手で九九と漢字なんかも簡単に覚えた。

もちろん、親の目に自分の子供が得意なことだけが見えたはずだが…。 とにかくミノは小学校低学年までは勉強の才能も多く成績も良かった。

小学校低学年時は、出るのを嫌う内向的な性格だったが、対人関係は良く友達が多かった。幼稚園の時からミノは女の子の友人に人気が本当に多かった。

他の子供よりも少しくらい背が大きく目鼻立ちがはっきりして子供たちと混じっていても外観が目立った。季節が変わるたびに新しい同じクラスの女の子の友達に囲まれておままごとをしたくらいで、クラス内でミノを独り占めしようとする子供たちの競争もあった。

テコンドーを習ってからは体格も良く、もみ合いにもならないほどよくやった。 子供たちと喧嘩して勝ってきても気が済まないと、最後まで泣き悔しがったりした。

ミノの将来の夢はサッカー選手だった。車範根監督のユースサッカーチームで4年間学んだ経験をもとに、弱かった子供は体育も上手で、友達も多く積極的な性格になった。


ミノが5才の頃に、迷子になりかけた事件も経験した。幼いミノも驚いたのか、これまでにも時々話をするエピソードだ。私がよそ見をしている間に、ミノが近所の遊び場で遊んでいて道に迷った。幸いなことに袖口の金のブレスレットに住所と名前が書かれており、近所の住民が家に連れてきたが、今でも忘れられない、くらっとしてぞっとした瞬間だ。 

涙と鼻水がごちゃごちゃになって、ごちゃごちゃした汁が顔いっぱいで「ママ」と泣きながら抱っこしたが、子供の表情が忘れられない。(次回に続く)

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花より幼いミンホ③ 「イ·ミンホ、前歯が抜けてもやっぱりイケメン!」

 

 

小学校に入学してからミノの関心はもっぱらビデオとコンピューターゲームだった。 恐ろしく叱らなければゲームを一日中しようとするので困ってしまった。 鞭を打つ前に息子が私の目つきを見て言うことを聞かせた。ミノのお父さんは優しい役、私が仕方なくミノとユンジョン、二人の子供たちに厳しいお母さんの役をした。

ミノはつつましかった。 家庭の暮らし向きはあまり豊かではなかったが、私たち夫婦は息子の気をくじかないようにと10万ウォンずつ手厚い小遣いを与えることが多かった。 ミノはそれを全部使わずに通帳に貯金した。 ぶっきらぼうな性格で、両親の日、たまにカーネーションをくれながら「ママ、これつけて通ってください」と一言言って消えた。

車範根監督からサッカーを習ってからミノは体力がぐんと良くなった。 体育はいつも秀で、数学も90点以上をよく上回った。 他の科目は優·美·良で多様だった。 中学校へ行きながら1、2年生の時背がぐんと高くなり、その時ほぼ今の背ぐらいまで伸びた。

小学校まで芸能人になるとは全く想像もしなかったミノは、中学校に上がってからは、通いながら路上キャスティングが頻繁になった。 芸能プロダクションのマネージャーから「芸能人の考えがあれば一度来なさい」と名刺をたくさんもらってきたが、最初、私たち夫婦は「お前が何のタレントか」と無視した。

そんなことが多くなると、ミノは一人でオーディションを受けたり、マネージャーにも会ったりすることが多かった。 家に帰ってからは「ママ、オーディションというのを見たけど、ただ面白かったよ」と一言言ってしまったら、そんなことが多くなっていき本当に俳優になりたがった。

中学生の時はソル·ギョングさんを、高校に入ってからはキム·スロさんが好きで、彼らのような演技者になりたいとよく言った。

キム·スロさんが有名になった後、キム·スロさんはお母さんにプレゼントとしてリンゴを箱に満タン一杯入れてあげたというエピソードがあると、ミノが私たち夫婦を座らせ、ある日「私が演技者に落ち着いたら、ママとパパにもそれ以上のプレゼントをしてあげるから期待しろ」とよく話した。(次回に続く)

 

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花より幼いミンホ④ 「イ·ミンホ、日当5万ウォンのモデルとしてスタート」

 

 

今住んでるアパート(2009年当時)は事実ミノが準備した。 息子のミノは現所属事務所と契約をするやいなや、契約金の名目で受け取ったお金を全部、新しいマンションのチョンセ保証金(最初に一定額の保証金を預け契約終了時に全額返してもらう独特の賃貸借契約の方式)として私たち夫婦に出した。

思いもよらないお金をもらった私たち夫婦は、実は呆然としていた。 小さい息子が親に通帳ごと渡す時の心情は、経験してみないとわからない。 こんな時、息子を育てた喜びが涙で出るのかと思った。

ミノが小学校に通う時、教育問題でソウル舎堂洞から方背洞に引っ越しをしていた私たち家族は、新林洞近くで暮らしたが、現在の上道洞に定着した。ミノが渡してくれたお金で、以前の家よりも坪数も広げ新築の上道洞のマンションに移ったわけだ。

ミノは、そのように情の深い子供であった。高校に入学してアルバイトでファッション雑誌の5万ウォンのモデルとして活動したが、給与を受けるたびに姉と母に贈り物を買って来たりした。

びっくりするイベントや感動的な言葉はなかったが、無愛想に食卓の上にバラの花束を置いて立ち去るか、あるいは化粧品を買って、私の化粧台の上にこっそりと置いていく形であった。私一人でご飯を食べていたりすると、「ママ、なんで一人で食べてるの、私と一緒に食べよう」と言いながらそばに来て気分を良くしながら話し相手の役割もした。

高校2年生になってからは本格的に演技者の夢を育てた。数年の間は演技指導を受けながら練習生としていたが、ドラマ「秘密の校庭」(2006年)と「走れサバ」(2007年)、「うちの学校ET」(2008年)に連続的に出演して演技者の道を歩むことになった。

初めて「秘密の校庭」に出てきたときは、アパート町内会でもミノが大変な話題であった。 「あの家のハンサムな息子さんはタレントしているの?」「ミノは練習生として長くいたが、やっとテレビに出た。」と知人や親戚たちも関心が大きかった。

ミノが初めてメインモデルになって出てきたファッション雑誌は、数冊ずつ買って家に来る友人や近所の人たちにいちいち見せた。(次回に続く)

 

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花より幼いミンホ⑤  「黄金のうんこの夢、イ・ミンがスターになる吉夢」

 



ミノが「'花より男子」で初めての撮影に入る前に、母である私は吉夢を二つも見た。一つは、黄金のうんこの夢。 5歳前後と見られる幼いミノが母方の祖父・祖母の懐で遊んでいたが、母親の前に来て急にうんこをするが、黄金のうんこが次々に出てくる夢だった。

「この子は何しているんだ?」と言いながら拭いてあげるが、家の中のあちこちを回りながら、黄金のうんこをした。その夢を見て二日後ぐらいもう一つの夢を見たが、ミノの大型写真が家の前の写真館に大きくかかって近所の人が見て騒ぎながら立っている夢だった。

この夢のおかげなのかミノは「花より男子」で、本当にスターになった。 2007年「走れ!サバ」に出演する前は、生きているサバが水中でだんだん沈んでいく夢を見たが、数ヶ月も経たないうちにこのドラマは早期終了した。

上道洞家に引っ越してから一ヶ月もしなかった。最近ここには、記者が家の前で陣取って待っている。事実、普通の私たち家族が一生感じることのない新しい経験である。朝の番組でも、私たちの家族を招待したいという要請が相次いだが、私を含め、他の家族が恥ずかしがり屋で固辞した。

バレンタインデーにミノがファンからもらったチョコレートをいっぱいもらってきてマンションの住民たちに配っている。 量がどれだけ多いのか、食べても食べても減らない。 ブランド品のアクセサリーと衣類交換券ももらったが、あまりにも高価なプレゼントだったので送り返した。

ミノのデビューは最初から思い通りではなかった。 活動を始めて間もなく、大きな交通事故が起きて1年ほど入院治療を受けており、左足の膝と太ももには依然として鉄芯が刺さっている。

『花男』が終わり次第、再手術を行う計画だ。 「寝て起きたらスターになった」という言葉は、ある意味合っていそうだが、困難な過程の末に得た実という点で、家族やミノにはより意味深い。(完)

 

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息子に黄金のうんこをされた日にゃ~~、夢でも箒を持って追い回すに違いない・・・(; ・`д・´)←以前も同じような言葉を発しています。

 

ミノのお母さんが語ってくれた素のミノは、やはり思いやりに溢れたお子さんだったんです(*^_^*)

 

今じゃ~ミノは34歳ですからねw

 

立派な俳優として、最近では皇帝イ・ゴンを演じきりました。

 

 

あっという間だったのかもしれません。

 

今もお母さんに優しい息子さんであることは間違いないでしょう。

 

 

私も息子が小さい時は本当に病気との闘いの連続でしたけど、今はもう、病気と言えるのは1つしか残っていません。

 

それも、ある程度は自分でコントロールできるものですから、手が掛かった昔が懐かしいですね(*^_^*)←美談になりそうですが、その実、ストレスで気が短くなり怒ってばかりだったことは内緒ですよ?

 

それでは、皆様!!!

 

今日もミノと同じ空の下、それぞれの場所でファイティン!!(≧▽≦)/