死ねと言われてきた苦しさがあっても生きています。

産むんじゃなかったと言われた記憶の中で

他人や世間に価値がないと言われても

無価値のまま生きています。



俺を散々否定した人に一矢報いるために必要なのは

その否定した真逆の方向性に変えることだと思い生きていました。

俺は俺を馬鹿にして笑いものにしている奴を笑ってやろうと思っていたし

いじめてきた人や集団を作って弱さを補う人間が強さを誇示して攻撃する姿を見て

こんな奴らよりも強くなろうと思って自衛隊に入隊したし

色々大変だったけど

ひとりで生きていけましたよ。



悪いことをされてそれを許してくださいと言われて

どうして許せるのかがわからない。

自分が心の底から羞悪し

トラウマや苦しさに縛着され

それを引き摺って生きることになったとして

それをなんかを対価に許してもらおうとする人間なんて腐るほどいるけど

それで今も苦しんでいる現実があって

許してしまう人の決断が俺は無性に腹が立ってきます。



孤独の中で生きていくと

人生の邪魔をしてくる人や酷いことをする人なんて

山ほどいる。

本当に辛いことがあった時や

悲しい時は誰も助けてくれません。



俺は少なからず復讐するために生きてきた人生です。

自分の復讐のためには自分の命捨ててもいいと思っていたし

俺が死ぬつもりなのは

それも入っているんですよ。



自分が恨み骨髄に徹すことをされて

それを示談成立させたりして合意の納得した人に限って

あとから本当は嫌だったとか言って心の底は違うと開示する人はいますが

だったら尚更相手に復讐しないと

永遠に後悔するんですよ。



復讐したことによって過去がいいように改ざんされることはないし

その時の恨みって永遠に忘れることなんてないんだけど

その恨んでいるという重く価値が高いものなら

そのために一矢報いないと

自分で自分の尊厳を無くしているのと一緒なんですよ。



いくら戦おうが変わらないものは変わりませんが

自分に対して辛い、悲しい、という大事な感情を与えてきた相手の行為に対して

報復という選択肢以外に幾分かマシになる選択肢なんて

どこにもありませんよ。

少なくとも俺はそうでした。



過去に心理的に作用するほどのことなら

それらは墓場まで持っていくことになる。

それくらい大きくて生きる上での弊害にもなれば

それは経験にもなって

一生涯それを基準に考えが一変することだってある。

そんな重たくて持ちたくもないものを持って生きていくのは大変で

誰だって持ちたくないものを与えられてますが

そこで泣き寝入りして黙っているという選択肢は

同じことを繰り返す思考回路の完成であり

悲しさをまた生み出すんですよ。



本当にひとりで生きているという実感を持つ経験をすると

他人という存在の無意味さに反吐が出ますよ。

自分で自分の仇は打たなければいけないし

誰かが代わりになってくれる事もない。

自分の尊厳は他人にとってはくだらないことだから誰かに穢されているだけ。

心に傷を負ってボロボロでも

自分の尊厳を守りたいなら

生きるのやめてでも復讐しないといけないと個人的には思います。

どうせ最後まで、自分が負った傷や自分が苦しい意味も理由も納得できないで皆死ぬんだから。



変えられないことに泣き寝入りして一生涯それで苦しむか

相手に少しでもやり返して相手の行為に対して自分の命の尊厳を自分だけでもいいから守ろうとするか

というふたつはどっちみち変わらないものであるために虚無感や無気力や鬱は残るけど

どの道泣き寝入りするという人は

自分の尊厳を奪われに奪われて

戦えなくなっていくから

それに気づくところから始めないといけない。



この社会では個人の命に尊厳なんてないけど

自分で守る権利は少なからずあるし

勝てる見込みが全てのことにある訳じゃないけど

大事な人や尊重するものに置き換えて考えた時に

失って奪われて壊されて

俺は黙っていられないですけどね。



俺に大切な存在はいませんが

人生はずっとそんな孤独の戦いでした。

俺に死ねと言っていた人が生きていてよかったと言うから

俺の中では今すぐにでも死んでやりたいと思いますが

まだ色んなやらなければいけないことがあって

25までは生きるつもりです。