こうすれば幸せになれるっていう道みたいなのが文化的に決められてるので

多くの人が勝手に盲信してやってるだけのことが

どれだけ唯唯諾諾としているかを

現実見てるとわかってくる。



恋愛や友人恋人作り結婚子育て全部そうだが

やった結果がどうであるかが個人でわからない以上は経験しないとわからないんですよね。

で、その経験っていうのが自分にどう言った影響を及ぼすかどうかが非常にピンキリなので

行う前にきちんとそれがいい方向にいくように可能性をあげてあげる裏付けをしなければいけない。



経験するという行動の中で

なんにもせずに惰性で取り組んでも報われるわけが無いのはそうだけど

現実問題の中には、自分以外の要因で起きうる自体は数多くある。

また最悪なのは、文化で指定されているようなものに限って

他者の介在が必要不可欠である前提が多い。



他者の影響というものが結構な確率で

残念なことに不可抗力的な不遇をもたらすことも多いし

その可能性というのも分かりにくい。

幸福っていうものが指定されている理由とその文化として普及されているのは

簡易で取り組みやすく才能や能力が極端に低くても

妥協すれば手に入れるには余りにも容易いからで

だから結婚も子育ても普及している。



現実にはそれが幸福にならずに

思っていた理想と違いましたという部分が多い反面は

その裏付けが甘く確率や可能性を見なかった例が多すぎるという部分が俺の経験としても他人の経験としても多い。

子育てひとつにしても

相手との相性や相手の性格や心理とか

経済問題、仕事、年収、持続力、そして自分自身が適応できる能力や全体のキャパシティを保有と保持できるか

子供への躾と道徳模範があるかどうか

等考えて準備するということが必要なのに対して

俺の周りに多いのは自分の意思や都合を優先させて

自分の感情を前提とした話でことを進めて失敗するという事実。



欲しいから作るという自己都合は誰しもがあるとしても

命を天秤にかけているのに

そこに用意したものが軽すぎるということ。

また失敗を前提として考えたりもしない。

自分の都合で産んでいる事実なのに

障害があったり自分の望んでいた形と違ったりするとそこに責任を持とうとも思わない。

自分の感情を優先する人間は初めから責任の自覚がない。



自由にやることの責任は当人が負うのは当たり前だが

それができない人間が多いという事実。

その結果が責任の分散。

幸福を求めた人間が

幸福になれず他人を不幸にする。



人生においての大体のイベントにある結婚とか

恋愛などが社会的に推奨される理由が

凡人でももしかしたら簡単にそれなりの幸福が手に入るかもしれないっていう暗示で

もちろんできない人もいないし選ばない人もいるし

別の形で違う幸福を得ることもできます。



一般的に文化になるということは

社会の大多数の人間の共通認識になることで

そもそも結婚にメリットがなければしないので

大多数が結婚をするという文化が持続されているということは

結婚自体が人にとって良いものとして扱われているのですが

それはだけの話です。



こうしなければいけないっていう決まりはなくて

幸福のルートの保証などないので

全部博打みたいなものです。

大多数ができているということは誰でもやろうと思えばできるようなことなんですが、

自分が特別な存在だとか秀でたものだと思い込んで生きている人が多いから

その裏付けを失敗するんです。

自分もひとりの凡人のくせにやけに理想が高かったり、凡人が求める世界なのに求めるものが高いくせになんにも返さない返報性の原理を無視した奴とか

自分の価値を高めて生きてきた訳でもなく

社会のひとりの人間であるだけの人が

凡人同士が求め合う幸福の中で自己中心的に動き回る。




努力しなくても結婚できたりするのが簡単なのは

価値が高い人だけで

価値を持ってない人間が大半の社会で

努力もしないで高慢ぶってる凡人が

普通に生きてる凡人やそれなりに頑張っている凡人と一緒の処遇を受けることが出来ると思って

同じ土俵で生きてること自体がお門違い。

凡人が文化として得られる幸福なんて

頑張らなければ

きちんと裏付けをしておかなければ

いいものになんてなるわけない。



幸福そのものがいいものとかじゃなくて

段々いいものに変わっていくように育てないと

雑巾みたいに汚くなる。

それをわかってないやつが踏み込んで怪我をする。

クラスのマドンナなのような存在とかギフテッドのように

元々何かしらの価値や才能を持ちえていて

人から必要とされる場合に得られる幸福を取りやすいだけの話で

自分が同種と思って生きてると道を踏み外す。



それをわかっているから

女は化粧するし、整形して自分の顔面加工して

そもそもの潜在価値を高めたりするし

男も格好つけるために女の前ではイキがるし

能力高めたり外見に力入れたりする。

自分のためとか主張するが

その中に確実に他人を意識した自己顕示欲は入ってる。

外見などは特に他者と比較しないと何が良いかが判断つかないから。



勿論表面性も価値基準になるが

結局いくら自分の体を改造したところで

根っこの部分は自分で制御できてるようで

いざ都合のいいように作り替えるとなると

上手いこといかないもので

それが人間性であって本質なんですよね。



主体として多くの幸福を得る手段に人間が絡む以上

その人間の本質を相手がさぐり合う状態が正規するのだから

どれだけ美しいダイヤモンドの原石でも中身が空っぽのスカスカな状態だったら誰も見向きもしてくれない。

でも自分は中身の詰まったダイヤモンドですという

自信に満ち溢れた人ばかりがこの世には沢山いる。



人間は強欲なのですごく期待するし

期待を裏切る行為には酷く怒るし失望するし

信用や感情とか共感とかもそうで

心理的な部分が絡んだ場合に絶対に相性や

その人間の思考や主義を見るわけで

結局は何を主張するにしてもどこかしらで

浮き出てくるんですよ。お互いに。



裏付けって色んな部分がある。

で、その上で成功する確率が高そうなものに目星をつけてスロット回しますみたいなことしたって

当たるわけないんですよ。

価値高い人は同じくらいかそれ以上の高い何かを求めるであろうことだし。

自分の価値がどれだけあって

自分にしかない取り柄があって伸ばせば尊くて

何か良くなるならそうすればいいのであって。

さっき言ったように凡人同士でできる簡易な降伏追及のプロセスである以上

高望みできるようなものじゃないんですよね。



でも最近はその基準自体もかなり上がってて

凄く難易度が跳ね上がっている現状だと思う。

価値の提供のやり合いだから

恋愛をするとかよりもパパ活で体を提供する代わりに金もらうみたいな

そういう幸福の追求が浮き彫りになってるし

経済格差で金銭的な部分で脆弱な若人が増えてるけど結婚するとなった時やそもそもの恋愛自体で

相手に求めるものが大きすぎること

与える人より一方的に受け取る人間が余りに多いこととかが

段々顕著になっている。



だから結婚自体が難易度の高いものになってる。

本当は別に難易度なんて高くないです。

そもそもひとりで生きていくことが前提の社会なんでお互いがお互い結婚しようと

普通にひとりで生きていける人間同士が結婚したところでふつーに生きていけるんですよ。

カスみたいなプライド持ってて

自己中で身勝手な奴が理想や期待とか要求が極端に多い上に自分の責任も持てないアホも増えてるだけで

難しいという概念にさせてるのはそういったアホのせいです。



特に女は男が奢れだの生活費は稼げだの

給料少ない、休みもっととれ

男なのに頼りない

献身意欲がないとか

根っこの部分で持ってるやつがあまりにも多い。

やってもらって当たり前みたいな部分で

とにかく責任を持とうとしないし卑下する部分で男以上の価値を提供することができないやつがうだうだ言ってるだけだし。

フェミだの反出生主義だの増えつつも

とにかく自己中でテイカー気質があまりにも多いし

利用されやすい奴も逆に多い。

やたらと甲斐性や能動的な行動を要求しすぎてるせいで不可具合が著しく偏ってる。



男も男であまりに結婚に興味ある人がいない。特に遊ぶことばかりが主流で若いうちに準備することを準備したりもしないのに行き当たりばったりで

場当たり的に始めたりする例も多いがそこは男女一緒だと思う。

恋愛における部分で言えばとにかく男が女に対して尽くす割合も多ければ

そういった男の提供ありきで成り立つ関係にほかならないから

目的がないのに進んでやろうとする人間は少ないと思う。



謙虚になれと言っても歳重ねて自我が確立してしまった人間には無理なので

そういった固定された価値を基準に、

相手に納得されないと成立しないものを築くために

大体の人は簡単な見た目の誤魔化しをするに過ぎないわけです。

それは男も同じで

自分の本質を変える努力を根っから諦めすぎていて

だから先々に結局困る。



また、価値が変わらないだけマシで

歳を重ねるごとに人間としての価値は落ちます。

加齢していく事に見向きもされず

同じような人間が残りそこでの取り合いになる。

プライドの高い人間は価値の高い人を取ろうともがいても自分の価値が低くなっていることを自覚するからサバを読んだりするんでしょ。

自分を偽ったり

自分のダメな部分を隠してもいずれにしても

最後まで隠し通せる能力なんて

凡人にはないんですよ。



散々いいように言われている結婚とか恋愛とか

友人作りとか共通して

価値がないと可能性がないという部分がある。

そこは平等に不平等なので

努力で補えることもあれば生まれた時から治せないこともある。

それを認めて一緒に分かちあってくれる人が現れるかもしれないし

それはわからない。すごくいいようにしてた人が

途中で乗り換えることもざらにある。

そりゃそうです。多くの人間が感情で動いているので。

結婚も初めは恋愛からだと思いますが

それも好きか嫌いかの損得勘定で決めてるに過ぎないなんにも美化されるような美しいものはない人間のエゴとご都合の決めつけに過ぎない行為ですからね。



そういったことを大前提として始めた行為である以上

幸福を追求する幸福ビジネスのパートナーが人間であるという非常に不可解かつ不信用な部類の幸福に

なんの根拠をもってして

どれだけ幸せになれるかという裏付けを取るのを

簡単そうに思ってやってる世間の人はホントすごいですよねえ。

俺からしたらすごいなーと思います。



俺は自分に合わない合理的じゃないことに首突っ込むのは辞めたので

散々経験してきましたが

人間という不可解な生き物から幸福を生み出すように生きるのはすごく難儀だと思いました。

いじめや浮気、裏切り、色んなこと体験しましたが

どれだけ言葉で繕ったっていいように見せたり

根がいいとしても人間が自分の都合で生きる以上は

どうなるかなんてわかるわけなくて

そこに信用なんて置けないので。



俺はね

文化的な幸福の追求はやめました。

色んな幸福や求めるものがある。

正しい行いは無いので、やりたいようにやればいいと思います。

やりたいようにやった結果で

虐待やDVとかハラスメント行為に繋がったり

望まぬ産物を出したり

たった一時の感情ですぐ壊したりして

まあそれはそれでいい人生だったと思えるように

自分のことだけ集中して生きていくと思うので

いいんだろうけど。



俺はまあ他人に影響もなく

自分のやりたいことを

できる範疇でやることに微かな幸福を積み上げて生きているので

苦しいことが多い世の中ではすごく自覚が湧きにくいです。

大事な人でも適当な他人でも責任のでかいようなことでも平気で巻き込んでヘラヘラ笑って生きてる人が多い世の中ですから

多分きっと多くの人は

人生辛いとか言いながら楽しく生きてんですよ。

世界ってすごい美しいですよね。



幸福に色々な概念を持ってしても

俺は他人の人生をどうでもよく思っていて

そういうどうでもいい人から崩されたり

取られたり

元通りに戻せなくなったりすると

俺許せないんでね。

だからそういう世界で生きる上で

ひとりで生きる人生を選びました。