辛さや苦痛は人それぞれで

自分にとって大したことではなくても音を上げる人はいる。

特段弱いとか強いとかじゃなくて

普通じゃないことからいかに離れるかで決まるだけ。



その環境が普通だった時に耐えうる精神的な部分を元々持っているかどうかにもよるが

対抗策がないとそれらが弊害になってストレスとして与えられる場合が多い。



だから毎日安泰な日々の人にとって

それが持続する限り

厳しい日々が訪れる可能性を考えて

常に打開できる政策を持っておかないと

実際に訪れるそれらに対して成すすべがないために

苦痛や辛さとしてのしかかる。

平和でなんの苦痛もない生活しかして来なかった人にとって

当たり前じゃないことが課されてそれを克服することは不可能であり

だから苦しい。



辛さには色んな克服の仕方がある。

慣れや適応することもそうで

ただすぎていくだけの苦痛であれば時間の問題で解決できるが

自分で消去できなければいけないのも事実で

それをどうするかというところも色々な方法はある。



わからないことというのが多い時期は主には

幼少期から成人するまでの間で

その理解をする必要がある中で色々な経験をして

その中で苦痛や辛さというのは

この現代では余りにも覚えにくいと思う。



平均化や同調性を見る限り

大体の人間が同じような境遇

同じような生活、環境で

それらに対して付随する不幸や苦痛も平均的で

本当に元々の産まれをもって得たメンタリティが脆弱な人間を除けば

耐えられるレベルの苦痛しかない。



皆同じで皆同じようなレベルの生き方や標準的な辛さしか覚えないのだから

本気で苦痛から脱却するために血反吐を吐いてどうにかするみたいな意思もないと思う。

そして何より一部分のマイノリティが多くの苦痛を受けるような社会体制の中で

苦痛を多く受け取った人間が血反吐を吐いて努力してどうにかなるように構造上できていない。



集団や全体主義的な部分でいうと

全員が不幸になった上でどうにかしないといけないという危機感が顕著に馬鹿でもわかるように見えない限り抗う術を考えようと動かない。

周りがいいと思っていれば

ちょっと耐えればいいと思っているし

結論言えばその程度。

やれ困窮だやれ貧困だ、経済が低迷してる

政治が悪いとは言えど

日本人でちゃんと大義を持って動く人間なんていなければ

異分子は淘汰しようとするくらいには排他的。



大きなものを変えようとする時っていうのは

自分ひとりで変えれる可能性は規模がでかくなるほど極めて難しくなる。

日本人というのはあまりにも苦痛や幸福という感情論は説くけど、それに付随する問題に対して視野と関心が余りにも狭く一過的すぎる。

辛いとか苦しいとか思う原因がなんなのかを1個ずつでも考えた時に

それらをどうにかしなければ現状が変わらないなら動くしかないけど

大体の人が静かに絶望しながら文句を垂れ流し

他人や世の中を憂い

つまらない生き方をして小さい人生を終えるんだと思う。



なにかのせいにして

たとえそれが本当にそれのせいだったとしても

世の中は動いてくれませんよ。

誰も悪いものを裁いてくれないし

本当に辛い時はひとりきりですよ。

それを誰かのせいにして誘導して叩くように誘発させたり

他力本願になって誰かに頼ったり

そんなんばっかりしてるからいつまでたっても

人も世の中も変わんないんですよ。