自分の気持ち次第で好きだの愛してるだの言ったって

都合のままに身勝手に言ってるだけなんだから

自分がその気じゃなくなった時は現実的。

勝手に好きとか嫌いとか

要素の粗探しと首肯に徹底していかに自分がどうして好きか嫌いかを納得させるための推理を行う

くだらない行為に思う。



永遠に愛せるとか

好きとか言ってもいざ別れたら

誰もが次の人間を探し回って

また同じ言葉を言い合ってるというのに

その現実を直視しないで愛されてるとか好かれてるという実感を持って恋愛でしか味わえないとか言ってる馬鹿。



結局は都合のいい感じにお互いが成立すれば

誰だっていい訳で

そこに拘りとか一貫性とかなくて

自分の利害として成立さえすれば

どこの誰であろうが変わらないんですよ。



恋愛の美化風潮に則ったって

その人でなければいけない理由なんてなくて

ただ自分の所有物としての価値が満足すればいいだけの話としてしか結局見てないんだから

自分のモノよりも価値のあるモノがあれば平気でどいつもこいつも寄って行って

それが浮気や不倫とかになって成立するんですよ。



それでいて永遠の愛とか言葉尻だけ綺麗に見せたって

拘りなんてほとんどの人間がない。

別れたあとも平気で切り替えたり次に邁進しようとする人間も自分の確固な意思もなく流れ作業。

なにもないよ。



恋愛をやってると雰囲気だけは通常とは違って現実的に勝手になってるだけで

こだわりや一貫性もないから別に特別でもなんでもないけどそれが素晴らしいと言っているのは

そこに自分の都合や利益が詰まってるからで

相手が満足できればいいなら結局そのパートナーとして自分じゃなければいけないということは完全否定される。

同じスペックがあればそいつが代わりでも結局は良かったんだし

そいつとデートしてそいつとキスしてそいつとセックスして運良ければそいつと結婚して子供でも産んだって結果的に満足出来た時に変わんないから

怖いんだろ。



年収が多いです

容姿がいいです

優しいです

そんなやつどこにでもいるわ。

その桁数の大きさでとりあって

傲慢にも選んで求めてる側に立たれるのもいちいちイライラするけど

損得勘定で考えたらそんなのキリがない。

上から下まで見ても分からないのに

基準はそんなもんだろ。



でもそこを抜いて変えられないものって

その対象者と築いた記憶であり

関わってみて良かったところも悪かったところも記憶として自分にインプットした時に

それは変わらないんですよ。

金も底を尽きるし容姿も寿命で変貌するし

性格も変わる時は変わるし常に一定であれる人は多くない中で

全部を見越して記憶として閉じた関わってきたことが

人を好きになる上での重要なファクターだけど

多くの人はそんなのあんまり重要視しない。



損得勘定の基準として見ても記憶というそれは変わらないのに目先のことばかり。

そもそも純粋な愛とかを求める気もない奴が多い癖に

自分の目先のことですら叶わなかったら被害者面をする。



たとえ記憶を基準に関係を結んだって結局は永遠なんてないし漠然としたものなのだからそれを基準に考えるのも難しいけどね

でも結局は終わった恋や感情にはみんな終止符をつけて

次に行こうとする。



恋が終わればその先はないと思ってる。

俺は終わった恋でもそれでもずっとまだ記憶の中に愛があって終わってるように思ってないから

次なんて考えたことは無い。

復縁を願ってはいない。

復縁を持ちかけられたらそこに愛はもうありません。



一貫性を持ってひとつの恋や一人の人に一途になり続けることは難しいから人は

そこまで重く見ていないし

合理的に次々と動くんです。

本当はその方が賢いけどそれが美しい綺麗な愛情に見えなくて

そんな愛はいらないなと思う。



俺をふったあの人はまたどこかで別の他人を性懲りも無く好きになるだろうけど

ひとつの焦点に持続させる愛は孤独で辛いものです。

自分だけが引き摺って自分だけでなんの為にもならないけど

綺麗でありたいから、綺麗なままで崩したくないから。



だから死ぬまでこの先は人を好きにはならないし

愛というのは愛とは呼べないでしょう。

多分人がいう愛とは都合です。

そして俺がやってる行為も自己満足の都合という塊であり

愛なんてこの世にはありません。

永遠なんてありません。

永遠が続いた人はただの運です。



もう次期に死ぬでしょうが自分だけでも一貫させたいので

そのままでいようと思います。