生きることに可能性を持ってみようと生き始めると今ある自分自身と周りの環境や状況に目が行く。

そして途端に無理だろうなと悟る。

悟っても結局勝手に生きているので常に生きるだけハードルを乗り越えることの日々で

それを緩和させるために趣味や娯楽があるだろうが

色々な経験を境に何をしてもつまらなく感じなくなった。



新しいことを始めたり

今あることに全力を注いだり

自分を強くしようと生きていた。

自分の思考を強く持って一貫性を持って生きることをやめなかった。

あまり目を向けていないから考えもしなかったが

結局ただブレて適当な人と一緒にはなりたくなかったから、

自分で決めたことを貫くことにしていた。



でも何かをやっても全力を注いでも

年々自分が壊れていく過程にそれらの行動は弱小化し無力になり

なんの意味も成さなくなったように思う。

振り絞って頑張ろうと思う気持ちは

先の不安と過去の悲しみ辛さに釣られているように

同じ目に合うことがわかっている。

俺は人の残酷さがわかる。



大切なものから恨めしい物に変わったことの

記憶が思考も人間性も根本に直接触れるくらいに破壊する。

最近自己中になったように思う。

俺は良かったと思う。

ずっと我慢していたと思う。

身勝手に生きて壊した人が俺にそう教えてくれて

俺はもう人のために生きたり

人を愛したり好むこともなくなった。



一か八かに掛ける想いが本当の物だった時に外れたらその想いは本当に塵のように一瞬にして価値が無くなる。

もうこれで人を好きになるのは最後にしようと決めたこと

俺がいつまでも許せないのは

想いが強すぎた。



でもその想いを持つ必要がなくなった今

自由の気持ちをしった。

人のために泣く必要はなくなった。

楽しかった日々は悪夢に変わったが

楽しいことを予定することももう無くなった。

俺はただあの人しかいなかった。

でもひとりであることが俺を抱いてくれる。



特に後悔はない。

人は身勝手に変わるから同じ人間で万人に平等にいられることがおかしい。

一貫性を持とうとする方が本来はおかしい。

おかしい自分が生きていることに可能性とかない。

後悔なんてもはやない。



俺はここにいてもいなくてもどうでもいい。

生きることを満喫したいとも思わずそして現状していない。

この世界のまがい物のことに全力を注いで嘘であった侘しさに

多分もう立ち直れない。

人として当たり前の感性でせめて嘘を本当として馬鹿になって信じられたらいいなと思った。

ずっと思っていた。

馬鹿だから気づけなくて

気づけないから幸せだと思っている。



何も感じない。

普通のフリをする事が毎日で

疲れることをしたくない。

人に優しくするのもどうでもいい。

だからひとりになって

気づかれない場所を確立してそこで

安心できる場所で死にたい。



世間や周囲のことに無関心になって

重大な欠陥がもはや自分自身の形であることを認識した以上

この世にはそぐわない。

幸せのために生きても欠陥が変えられず一生幸せになれないなら

生きていても仕方がない。



死ぬことに急かされている。

早く死なないといけない。

なのに生きてるゴミ人間。

もう、常々思い続けているというのに。

おわりにしたい。