今していることは大抵過去から取り下げた情報を元に動いている。

今したことが過去になったらその続きをする。

未来とはその続きを予想することであり

不確かなもので

人間は安定したものが好きだから何かとルーティンや習慣化するように予想が当てはまりやすい独自の生き方を調整するものだ。



俺は安定が嫌いで

一言で言ったらつまらない映画みたいで

やってて飽きる。

人生を余生の暇つぶしとしか見てないので

それが安定していたらまるでなんの脈絡もない

一定線の映画で見応えがないだろう。

かと言ってルーティンのようなことが嫌いではなく

どちらかと言えば好きである。

合理的だからだ。



合理的とは非常によい。

合理を得るためにまずする前提は自分の軸の確立で

ある種人間味を取り外す工程が必要になるところもある。

支え合いも判断のひとつであり

ある意味そこに人間的な感情とは裏腹な本当に目的のための手段としてしか考えられないようになる

機械的な理屈や思考のひとつになるが

近年や昨今の人間は人間にある程度の人間味というのを押し付けすぎているのだ。

愛や情の期待値を上げすぎている。

常に他人軸である影響性がどこにでもあるということが

合理を省く時間の無駄になることが多い。



あくまでこれは実体験の検証の上での個人の感覚から来る証明に過ぎないため

他人軸が有意義である人間がいればそれでいていいのかもしれないが

心を持つだけ現実は悲しい体験が散らばっている。

それを見続けることに意味は無いと思う。

見ること自体が自分にとっての経験として良かったと思うがもう二度と見たくは無い。

常人であれば痛みを求めたいとは思えないだろう。

合理に常人とかは関係なく

それが利益や自己の報酬へと繋がるなら他人軸になるのも方法の一つではあろうが

個人的にはあまりプランにいれるとブレそうで困る。



安定した生き方に拘る人は

安定のメリットを語る。

安定を求める必要がある前提に囚われている。

生きている現代人はこれが大きい。

何かをチャレンジする余裕や力や時間がない。

だからその類に巻き込まれるのが嫌で

そういった種類に分別されてしまうのも

嫌だ。

そしてそれらの人の退廃的な人生への妥協と諦めが見えてしまう。

小さな救いのなさという部分が見えてしまって惨たらしいのだ。



現在公務員をやっているがそのような思考の人間は山ほどいる。十中八九洗脳かと思うくらいに同一の言葉をはく。

公務員は安定していていいと言う。

俺もやめたかった、今でもやめたい、でもやることもない、歳が歳だから。という。

こんなにいい所はないという。



家庭を持つ人は家庭の為にいきる。

妻子の生きるための金を稼ぐ上で安定していた方がいいと思うのは

自分の能力値に自信がないから。

そのような部分で嫌なのは

能力や成果で図られた時に無理だと思われる諦めがあるのもそうだが

自分で何かやることをみつけようともせずに

大抵がその安定で得た金で豪遊して

ろくな人生を歩まずに生きてきた計画性のない人々が大半だったところ。



今を生きるってとても大事で

時間が有限である価値に気づけないことほど愚かだと思う。

やめたいという感情が過去になった瞬間にそれはもうやり直しできない。

あの時したかった、こうなりたかった

そんな感情は永遠に死ぬまで残り続ける。



例えば子供が目の前にある玩具を見て泣いて欲しいという姿を見て親が我慢しろといって買い与えなかった場合

欲しかったものが手に入らなかったという気持ちは

永遠に晴れることがない。

その時だけの価値、その時に手に取りたかったもの、

我慢できないほどの強い想い、

それがある中で与えられなかった気持ちというのは本人の解釈によって

中和していくしかない。



やめたかった、したくなかった

別のことがしたかった、

その気持ちを別の解釈として紛らわしている。

公務員の実態はそんな感じだ。

道中で家族ができて安定していたので平和に暮らせたのでよかったとか

仲間と一緒にずっと仕事をしていられて良かったとか

この先も世界が安定しているとは限らない中で

安定とは1番いいとか

ある種の自身の思考の選択から目を背けてることで

何より重大なのは

逃げの行為に使っていることのほぼ全てが

自分を軸としていることがない。



やめたかった自分の気持ちを尊重せずに

家族や職場の人達を中心にした理由による解釈しかできない。

自分の気持ちと向き合ったら

今更どうしようもないとわかっているからせめて別の何かを基準によかったと思えるようにしたいと、

心の底がみんな色々と諦めている感じ。



そのような人間に計画的に人生計画を考えろとか言われたところで言語道断であり話にならない。

もったいない。視野も狭い。

安定がいいとか不安定がいいとかじゃなくて

自分にあった生き方を考えるところを省きすぎてきた結果が偏りなんだろうと思う。



寿命を全うするとか長寿が凄いこととか

偉業や大義のためとか世のため人のためとか

クソどうでもいいんですよ。

今まで自分に合わなかったものとか

これが正解だろうかという証明を繰り返す今が過去になって経験として自分に生きる付加価値をつけてくれるだけであって

他人の制定する理想像にあった生き方なんてなくて良くて

勝手にやっていればいい話。

やりたきゃやれば良くて

やりたくないのにやっててそれを続けなきゃいけないとかなってズルズルいくやつはもったいないし

弱者なんだろうとも思う。



生きることに対して暇つぶしとしてしか思っていないから

つまらないことが多ければ死んだ方がいいし

当然死に対する気持ちに対して抵抗はない。

今ある公務員という環境にすら嫌気がさしてるし

酷くつまらないから自殺したいし

いいものを見れて生きてて良かったと思えるものを掴めるなら暇つぶしになるのだからそうしたい。

ほんとそれだけ。



頓着がないので俺の未来にはあまり価値はない。

こうでありたいみたいなのも明日には死んでいてもいい考えだと効果的でもないのです。

老後までに生きているわけもないし

人に人生預託するくらい信用出来る人間というのを根本的に作れないから結婚もしないし

縛りがない分に生き方をもっと自由化したい。

反面正直もう飽きてきたから

自殺しようか検討している。



今はメンタルがマイナスだけどいい方なので

持続型のルーティンのような精神状態に直結するワークを出来たら

かなり自分の能力値と効率化を測れるからやりたい。

付け焼き刃というか行き当たりばったりで

調子がいいからやるというのはその都度プランと自分の調子でやることが決まるため

結構キツイから

合理的な安定を求めたい。

嫌いに好きが混ざっている。

これは多分暇つぶしになる。



そのために

この今の安定から抜けた方が俺にとってはいい。

ぜったい。



先の話に頓着のないこの先に当然決め事もない。

故にそれほど叶える価値のあるものもない

俺の思考にはその分価値がある。

それを続けている今現在に先にないだけの価値はあると思っているので

はっきりいってどれだけ良くしてくれたところで

それを邪魔したりするのなら

誰だって敵でしかないわけだ。

生きるとするなら宝の持ち腐れにだけはしたくないんだよ。