20歳を跨いで21歳となった。

死んだ方がいい人間が生き恥を晒しながら歩いて21年を過ごし

変わらぬ毎日だと言うのに

こんな人物に祝いの言葉をくれる人がいるという事実に俺は悲しさを覚える。



自殺を考えている。

仕事を辞めたら死のうと思っている。

自分が祝った人が死んでしまったらきっとそれは悲しい。

俺は人に嫌われなければいけなかった。



この1年の間に色々あった。

経験は自分を変えてくれる。

思考や価値観は流動して自分の信念を固めていく。

日を超えるだけでは分からないかもしれないが

年数で捉えると少しわかる。

たった1年にあったことで

自分になかった新たな感覚や感情を覚えたり

生き方の確立になった。



21年で何かやりきれたかな。

のほほんと生きていた。

自分の感覚や内面を見てぼーっとしていた。

将来などないように考えてた。

次のステップが何通りも枝分かれしてたとして

大きな道として絶対に自殺の道を置いている。



やりきれたこと

ないかも。

目的もないのだからやりきることがない。

生きることを欲しないから目的がなく

死ぬ事が最初で最後のやり切れることみたいになってる。

若さしか取り柄がなくとも

かなしいものだな。



感情も日常も

自分自身も本当はなんにもないのだけど

何も無いのに

こんななのに

声をかけてくれてありがとう。



憎んでいて嫌ってる人も

死んで欲しいと思ってくれる人も

ありがとう。



俺はこんなんです。

だから生まれたことの祝いをもうなくしたいものなんです。

どうかもう解き放たれたい。

どうかもう何も無いところにもどりたい。



かえりたい。