いつも通りの、朝ごはん。
今朝はバナナとヨーグルト。
髭は青い。
笑顔は明るい。
いつのまにか肌寒い朝。
最後の朝。
部屋を出れば、この部屋にもう入ることは二度とない。
昨夜は、泣いたみたいだった。
目が重たい。
鏡を見ると、髭も青いし目が腫れているし、彼以外にはとても見せられない顔だった。
泣いたのか。
昨夜、なにがあったっけ。
記憶を辿ると、悲しかったり嫌なことかあった感触はない。
どちらかというと、心地よい感触が残っている。
どこに?
唇に。
寝る間際に送られてきた血液と体温が、僕の中で生きている。
残っている。
育っている。
ドキドキしている。
朝ごはんを食べ終わっても、
歯を磨いても、
もう一度顔を洗っても、
彼の血液は消えることなく僕の中で生きていた。
心地よい感触は、残っていた。
生き残ってくれていた。
いい感じ。
『昼過ぎので帰ろうか、』
『はい、』
彼の荷物もまとめられた。
もう、お互いの手荷物ぐらい。
よくできました、主に、僕。
着替えて、テレビを消して、電気も、ガスも確認して。
部屋のカギを閉めると、またひとつ、終わったなって気持ちになる。
早めに出て、ゆっくり向かって、ちょっとご飯。
他愛のない話をして、
でも僕たちは手を繋いで。
行き先の違う切符を買って、
同じ改札に入る。
そして別々のホームに向かうの。
電光掲示板に、それぞれが乗る新幹線の情報。
いよいよなんだ。
終わるんだ。
いつもと同じ朝を迎えたのに、
いつもとは違う場所に向かうの。
教室じゃない。
あの部屋じゃない。
廊下でもない。
エスカレーターの下でもない。
今、二人で立ち慣れない場所で向かい合っている。
『行くヨ、』
『うん、』
うんて言うけど、なかなか離れられなくて。
『チャミナ、』
『はい、』
彼に困った顔をさせてしまっている。
不特定多数の人が行き交う。
人の流れの中洲に取り残されたような僕たち。
他人は僕たちの姿なんて目に入っていない。
みんなみんな、忙しく歩いているだけ。
僕たちだけが、惜しむことで足を止めてしまっている。
『ユノ、』
『うん、』
お互いの名前を呼ぶけれど、その先に続く言葉が見当たらなくて。
二人で困っている。
僕と彼の発車時刻は三分差。
彼の方が三分早い。
今朝、なんで目が腫れていたのか。
なんで腫れるまで泣いていたのか。
ただ単純に、寂しいからだ。
信じている。
彼のことを、
彼の言葉を、
彼の熱意を、
彼の信念を、
彼の優しさを、
彼の真心を、
彼の誠意を、
彼の広さを、
信じている。
けれど、
そう、ただ単純に、寂しいからだ。
目の前に居ない。
おはようが言えない。
お疲れさまが言えない。
いただきますが言えない。
ごちそうさまが聞こえない。
大好きが言えない。
大好きが聞こえない。
好きだよが言えない。
好きだよが聞こえない。
手が握れない。
手を握ってもらえない。
抱き締められない。
抱き締めてもらえない。
一緒に眠れない。
一緒に起きれない。
一緒に登校できない。
一緒に帰れない。
寂しい。
『寂しい。』
言ってしまった。
困らせるだけの、言葉。
『離れたくない。』
困らせるだけの、言葉たち。
『イヤだ、離れたくない。』
そんな言葉だけが、生まれてくる。
頬を流れるものが生まれてくる。
きっと最後のハグ。
彼の腕が僕の腰と背に回ってくる。
抱き寄せられて、優しく包まれる。
慰められる。
人の流れの中洲のなかで、少しだけ注目されてしまう。
それでも、頬を流れるものは次から次へと生まれ続ける。
耳元に唇。
『大丈夫、チャミナ、大丈夫だから、』
慰めの言葉。
彼の背に、僕の腕。
僕の馬鹿力の発揮のしどころだったかもしれない。
『顔、上げなヨ、』
ようやく見上げた時に見えた顔は、
泣き出しそうな笑顔だった。
貴方は泣かなくてもいい。
僕が代わりに泣いてるんだから。
貴方に泣かれては僕は絶対乗れなくなる。
発てなくなる。
中洲のなかで、血液が送られる。
閉じた目から、涙がこぼれた。
こぼれた涙が、それで最後だった。
この場所では。
提供される血液に心が乗っていた。
彼の心も、泣いていた。
僕を惜しんで、泣いてくれていた。
その激しさは、キスに乗って、僕を慰めた。
目尻にたまっていた涙が、溢れる。
涙はそれで、おしまいだった。
『行こう、すぐに電話するから、』
頷くしかできなかった。
我慢じゃなくて、落ち着いたから、頷けたんだ。
『半年だ、年末も会えるヨ、』
また、頷くだけ。
『クリスマスは一緒だ、』
明るい慰めの言葉だった。
『チャミナ、好きって言って、』
僕は大きく頷いた。
『ユノ、好きだよ、大好きだ、明日も明後日も、大好きだよ。』
もう一度、キスして、彼を取り込む。
これが最後、これが最後。
もう一度だけ、ちょうだい。
時間だ。
『チャミナ、好きだ。』
時間なの。
行かなくちゃ。
『ちょっとだけ待ってて。』
行けなくなっちゃう。
『すぐに迎えにいくらから。』
すでに彼を掴む手が、離せない。
でも、離すの。
行かなくちゃいけないから。
僕がケジメをつけたら、また会えるから。
そのために、行かなくちゃいけないの。
『今夜、電話するから。』
『うん、』
頬にひとつ、ふたつ、キスの交換。
離れる指先。
別れる爪先。
別な向きに歩き出す。
振り返らない。
ふたつ向こうのホームに彼はいる。
姿は探さない。
僕を乗せる箱に乗り込む。
まだ滲む視界で席を探す。
ただ座って、時間を待つだけだ。
何も、考えられなかった。
彼の発車まであと一分、
三十秒。
どこかで発車のアナウンスが鳴った気がした。
行ってしまうんだ。
終わってしまうんだ。
ただ単純に、この瞬間が寂しくて、明日の希望があるのに、見えなかった。
ほらね、僕はネガティブな人間なんだった。
彼がずっと居てくれたから、そんな自分も忘れられていた。
すごいね、彼の影響力。
ああ、好きなんだ。
彼が好きなんだ、
ユノが好きなの。
彼は三分先に行ってしまった。
そして僕が起つ。
手が震えた。
手の中の、スマホ。
【着信 チョン・ユンホ】
嘘つき、今夜って言ったじゃない。
デッキに移動して、着信に出る。
同時にこの列車のアナウンス。
ガタンて揺れて、電話の向こうの音も声も何も聞こえなかった。
『もしもし、ユノ?』
『来ちゃった、』
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140923/23/mino-cotty/34/f1/j/o0480048013076286617.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140923/23/mino-cotty/8b/19/j/o0480048013076286626.jpg?caw=800)
なんで、
『寄り道しようと思って、』
なんで、
『一晩泊めて。』
彼は言う。
『どうしても、あと一日、離れたくなかったから。』
明日も、おはようが言えるのかもしれない。
明日の朝も、好きって言ってもらえるのかもしれない。
抱き合ったまま、発車したんだ。
キスしたまま、通話中だったんだ。
心の準備をしに、地元に寄り道。
二ヶ月間、走り続けたご褒美くらい、もらってもいいよね。
どうか彼に、有意義なご褒美になりますように。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140923/23/mino-cotty/ba/da/j/o0480048013076286635.jpg?caw=800)
信じている。
明日が待っている。
始まるから、
始まっているから、
明日は待ってる。
信じているから、
明日が待ってる。
二人で同じだから、
明日を想える。
僕たちは、育ち続ける有機体である。
ご愛読、ありがとうございました。
楽しんで頂けましたら押してやってください(*^^*)
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