特養で今でも腑に落ちない事-⑥誰も対応しない | あなたに,も一度恋をする

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頚椎骨折を経て入所できた特養。

そこは広大な病院に隣接した美しい建物。

建物の中に入ると、ホテルのラウンジのように

白い色を基調にした清潔な空間に

グランドピアノが置かれてる。

時間が来ると、ピアノは自動演奏され、

ソファにかけて耳を傾けると

自宅にいるよりもリラックスできる。

病院診療日の日には、

(特養の棟から診察待合室までの移動)

診療が終わると、いつも母とこのロビーで

母の好きな杏仁豆腐を買って、

食べていた想い出があります。

 

クリスマスの時期には、

ここに映画に出てきそうな

巨大で美しいツリーが飾られて、

夜に面会に来た時には、

それはそれは見事なイルミネーションでした。

 

 

特養の住まいから、

身体拘束をしないという理由で、

利用者な自由にこのロビーまで歩けるし、

行動を制限される事もない。

ここで飲み物を飲んだり、

館内にあるファミリーマートの中の

カフェコーナーでもお茶やケーキを楽しめる。

 

建物の前には、

いつもお花の先生がお弟子さんを連れて、

季節の花々を飾り付けしていらした。

 

 

美容室も完備されていて、

どこかの美容師さんのように、

高齢者だからと、男性も女性も一律同じの

介護が楽になる見るも無残な

五分刈りにされる事もない。

 

ここの特養を見学に来られた方の多くが、

こんなにゴージャスな施設を、

前金もなく、立派な個室ユニットで、

20万円を超えない特養料金で使えると知り、

「将来ここを使いたいわ。」と言って帰られる。

私も同じく、見学させてもらった時、

母の友人が利用していた施設や

叔母が息子に放り込まれた施設と比べ、

入り口に鍵がかかったハイツ型ホームよりも

解放感に満ちたこの施設で、

母に過ごしてほしいと思ったものです。

 

実際にお世話になった敷地内の病院は、

すばらしい病院でしたし、

看護師さん達も一流でした。

今でもお世話になった事に感謝の気持ちでいっぱい。

でも、特養の棟は違ってた。

 

同経営でありながら、

ショートステイ用の1階で働く

特養施設のスタッフの人達は、

生活指導員のWさんと

一部の介護士さんを除けば、

何から何まで至らない、

怠慢きわまりないスタッフばかりでした。

 

母の度重なる転倒をへて、

ここで見切りをつけるまでの2年半。

この期間を過ごせたのは、

汗をかいて働く生活指導員のWさんと、

ほんの数人の介護士の方、

そしてショートで利用されていた、

利用者のお仲間のおかげだと思っています。

 

前置きが長くなってしまいましたが、

補聴器の続きをお話したいと思います。

 

母がこうした外部で過ごす時、

補聴器の電池が切れないように、

私はいつもカレンダーに

次に電池が切れる日に印を入れ、

その前日に施設に行って、

電池交換していました。

 

その頃の補聴器は、装着が目立たない、

小さなサイズのものだったため、

その分、電池のサイズも小さく、

かつ母は音量も大きくしているため、

4日間で消耗してしまうサイクルでした。

 

また、夜中も補聴器がない事で

介護士の声掛けが聴こえなくならないよう、

安全のためにも補聴器はつけたままで

就寝をお願いしていたので、

なおさら持ちが短かったのです。

ですので、交換の日は

何が何でも面会に来るように

していましたが、

どうしても交換にこれ無い日がありました。

 

ここの方達に口頭でお願いしたところで

『申し送り』というのが

全く機能していないところですから、

誰もが目に付くように、

私は補聴器の電池を透明の小袋に入れ、

油性マジックで、

2日後の

『●月●日、補聴器の電池交換をして下さい。』

と書き、さらにメモにも同様の内容を書いて、

母の部屋の洗面の鏡に貼り付けておきました。

これなら必ず毎朝、母の洗面介助に

嫌でも介護士の目に止まると思ったからです。

そして念のため、帰り際に介護士の一人に、

その旨を口頭で伝えて帰宅したのです。

これなら大丈夫だろう・・・と。

 

それから4日後、母の面会に行き、

ダイニングに座った母に話しかけると

私の声が聞こえていない。

補聴器が機能していないとすぐに判る。

補聴器を取り出してみると、

案の定、いつも鳴るアラームが鳴らず無反応。

電池が切れている。

 

すぐに母を個室に連れて入ると、

なんと、洗面に取り付けていた電池も、メモも、

私がはりつけたままの状態でした。

 

その時、初めて私のなかで

沸々と『怒り』のような感情が湧いてきましたが、

どうしようもないね。ここは…。

と、すぐに諦めの境地に達する自分がいました。

 

このあと、だまって電池とメモをはがし、

母と話をして、

その電池を母の補聴器に入れ替えて帰宅しました。

 

それから1年半後、

いよいよコロナが蔓延し、

私は施設内で母との面会が

出来なくなるのですが、

その時の電池対応については、

長くなるので、次の記事で。。。

 

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今日も長い記事をお読み頂きまして、

ありがとうございました。

寒くなってきました。

コロナも蔓延しています。

私も先々週、罹患してしまいました。

どうぞ、充分予防の対策をなさってくださいませ。