はじめに
この記事は不快と思われる内容があるかもしれません。
でも、同居する家族がいないと、
こんな事が起こるという事をお伝えしたくて
記事にしています。
あくまで叔父と叔母における事例です。
すでに二人とも亡くなっていますで、
これは回想記録です。
この時叔父は亡くなり、
叔母は1人暮らしになって、
介護サービスを使うようになりました。
79歳‐レビー小体型認知症
本態性振戦もちで、
いつも身体が左右に大きく振れています。
歩行はすでに困難を極めていました。
栄養不足のため、体重は30㌔を切り、
骸骨のような姿でした。
息子は叔父の死後、
お嫁さんと息子がそれぞれ週に一度
隣の県から見にきてくれますが、
しょせん週に一度の数時間、
大ざっぱに分かっても、
詳細は把握できません。
結局、介護に関するキーパーソンは、
隣に住む姪の私が
担わざるを得ませんでした。
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お立ち寄り頂き、ありがとうございます。
いつも記事が長くてすみません。
戸惑わず、記事を続けて書く事にしました。
この記事の時、
私は叔父と叔母の面倒を丸4年みました。
叔父の硬膜下血腫の手術入院の時も
保証人になり、
退院時には通院のための車の送迎。
叔母が見舞いに行く際の車の送迎。
病院の社会福祉士との面談
担当医師とのカンファレンス同行。
その後の介護保険への橋渡し。
ケアマネや訪問看護士さんとのやりとり。
叔父の救急車の際の同伴。
介護認定での立会い。
叔父の車の売却。
ゴミだらけの清掃3回。
叔父の歯科通院の送迎と付き添い。
介護保険でリフォームの手すり工事提案。
自宅療養のための家具設置。
医療控除のための確定申告3度。
叔父の死後においては、相続手続き。
持ち家の登記変更のための法務局手続き。
ガス電気火災保険などの名変手続き。
年金事務所へ叔母の年金変更手続き。
これらを始め、
ありとあらゆるお世話をしました。
到底、ここには書ききれません。
叔父の死後は
介護のために買った高額商品のメルカリ出品、
叔母の介護認定のためのケアアネ手配。
介護認定調査の立ち合い。
大学病院の認知症外来への勧めと付き添い。
白内障手術全身麻酔可能な病院探しと、
手配、手術日当日の同伴、
入退院前後の5回の付き添い。
この4年間のうち、
最初の1年は、夫の抗がん剤治療が
重なっていたため、
叔父の介護と並行していました。
これが何よりきつかったですが、
夫の意向で、病気の事は
なんとか隠し通せました。
私の母以外、誰も知りません。
本当に色々な事がありましたが、
この間、息子は自分の親に関する、
面倒臭い事には関わらず、
お嫁さんへの遠慮もあって、
ほとんどスルーでした。
よく介護における家族のレスパイトの必要性が
言われますが、
息子は、レスパイト(休息)は不要です。
なぜなら、病院の保証人にもならず、
親の入院にもほとんど見舞いにも来ず、
介護に全く関わっていないのですから。
マザコンだけど、母親思いではない
って、コレ解ってもらえます?
叔父も叔母共に、そんな息子の事を
『当てにならない!』と言い、
『何もかもminnちゃんにまかせたい』
と叔父から懇願された事がありましたが、
私は娘ではありませんし、
その義務はなく、
その気持ちもありません。
見るに見かねて、誰もしないから、
せざるを得なかった、それだけの事です。
ただ、叔父の事は大好きでした。
叔父はいつも周囲に
笑顔と感謝を向ける方で、
認知症ではなかった。
接すると、いつもこちらが
癒されてましたから。
叔父の死後、
栄養失調で被害妄想が出てきた叔母。
レビー小体型認知症によるものなのか、
聴力がない事から誤解が生まれるのか、
或いは元々そういう性格だったけど、
叔父がいた事で
目立たなかっただけかもしれません。
叔母は、
『施設入所』という言葉を
ケアマネから提案される度に、
「アタシは独りでも暮らしていけるんや!」
と憤慨し、罵り、
人への陰口、被害妄想が激化。
どんどん暴走していきました。
もうここまできたら、
命を守るためにも施設入居しかないと
ケアマネは息子に提案するものの、
息子はその話が出ると、
「お母ちゃんが嫌がってるから。」
「また考えときますわ。」
と毎回、はぐらかしていました。
人任せで何も苦労してないから、
他人事なのです。
ちなみに当初、私の母は
アルツハイマー型認知症の
『疑い』程度でしたが、
毎回、隣家の叔母から呼び出され
聞かされる内容に心を痛め
急速に認知症が加速し始めました。
それもあり、私は母の為にも
この親子と一切の関わりと断とうと決め、
それには絶縁する宣言をするしかない!
と思い、
『今後は叔母の面倒を見ない事、
息子ともども、関わる事をやめた事』
を手紙にしたためて、
叔母宅のポストに入れました。
きっかけは前記事での出来事でしたが
それがなかったとしても、
すでに限界でした。
ちなみに、私の出した叔母あての手紙、
叔母はこれを壁にガビョウで貼りつけ、
通ってくる訪問ヘルパーやケアマネに
「これを見てや、
こんな仕打ちを受けたんや!」
と手紙を指さしながら、
涙を流して
私を、ののしっていたそうです。
今まで尽くしてもらった恩など、
叔母にはさらさらないようで、
そういう人だと予感してたから、
差し出された謝礼金も、その都度
返していてよかったと思いました。
こうして、今まで面倒をみてくれていた
姪の私から縁を切られ、
家に尋ねても居留守を使われる叔母は、
私への仕返しと、
周囲からの注目を浴びたくて
身体の異常などどこにもないのに
ある夜、119に電話をし、
救急車を呼んだのです。
これが息子から捨てられる
きっかけとなりました。
今回も長い文章をお読み頂き
ありがとうございました。
続きは次に記事に記させて頂きます。