皆さんは食器はお好きでしょうか?
私は10代の頃より食器が大好きで、作家の作品鑑賞も大好き。
焼き物を作るのも好きで、主人と時々姉の住む岡山備前で作ったりします。
ちゅうことで、行ってきました。北大路魯山人展を行っている兵庫陶芸美術館に行って参りました。
この展覧会は全国5ヶ所で開催され、最後がこの美術館での開催として終了します。
5月23日で終了です。
没後50年を記念した特別展。
この魯山人の芸術に触れるべき出かけたここは、兵庫のかなり奥まったところにありました。
星岡茶寮で実際に使われていた食器や個人のコレクションなど、約250点もの作品には
陶器や磁器だけでなく、書や絵画、漆器も展示されていました。
ダァーさん連れての陶器展。
新鮮な山の環境の美術館は和を意識した現代的つくりで、とても広大な敷地でした。
さて、魯山人の作品。
今まで雑誌でしか見れなかったものが実物だとどんなだか、もうワクワクでした。
で、観賞後の感想は
「やっぱり、すごい!魯山人!!」
ダァーさんが観賞しながら私に言う。
「何がいいのか、オレにはさっぱりわかんない。」
「え?そう?」
「どこがいいんだ?」
「んーーー・・・。そうねぇ。じゃあさ、コレさ、魯山人と思わず、デパート売り場にあると思って!
そうしたらさ、魯山人の作品がそのなかにあるとして、
お、コレすごいって思わない?」
「・・・思わないなぁ・・。」
「そうかぁ・・・。」
で、観賞しながら、どこがどう他の食器と違うのかを言えと言われても、なかなか伝えれないなぁと悩みながら
観賞を続けた。
で、言った。
「ねぇ、ダァーさん。たとえばこの食器見て!
ほら、あの食器も・・・。
同じ葉っぱ型で家に備前焼あるよね。」
「おぉ、どこが違うのかようわからん、家にあるほうが形が綺麗だ。」
「うん。整ってるよね。でもさ魯山人のこれはさ、形を見ると、今にも魯山人の手のひらの形まで感じ取れない?
ほら、土を切り取って、両手でそっと包むように丸めてる。
そんな風にどの作品も、その作業が手にとるように感じ取れるない?
たとえば、あの壷だよ。
ざっと上薬をかけて、その水滴がそこでとまってる。
斜めから薬をかけたその方向までわかる。
そう、そうだよ。魯山人の器は、その工程過程、魯山人の作業が感じ取れる。
つまり工業的ではなく人間の作業そのものが伝わってくる、その人間くささだよ!」と言った。
「そうかなぁ・・。」
「ほら、この取り皿を見て。小さなお皿。
魯山人の花の絵付けがあるよね。でもさ、見て!ふちぎりぎりまで描いてる。
感じ様によっては、はみ出てるとも思える。
普通は余白をあけて描くよね。均整とれたようにさ。
でも、魯山人はそうしてないよ。
その結果、こんなちいちゃなお皿がうんと大きく見えるよ。」
こんな会話をしながら、自分で魯山人の魅力を感じ取れたようで、ちょっぴり嬉しかったりした。
多くの器には、魯山人の絵付けだけのものもあった。
器はひっくりかえすと、細かい松葉の絵がかかれていたり、
魚の形の器をひっくりかえすと、これまた魚になるという、なんとも楽しさを伝えてくれるものがあった。
繊細な絵付けもあれば、大胆な絵付けもあり、少し岡本太郎的だなと思ったりしたが
解説パネルに、魯山人が過去に岡本太郎の祖父に師事したことが書かれていた。
作品はどれもこれもにさまざまな試行で工夫がこらされてる。
魯山人が土からつくった器は、本当にでんと重みのある器で人間くさい。
雑誌で見るだけでは伝わってこないその重厚さにうなりました。
相当な苦労人で10代の頃から養子先の家業を手伝うために木堀の看板制作。
それをしながらさまざまな賞を受けてすでに頭角を表していた魯山人。
書も陶芸も絵付けもそのすべてが独学。
オリジナリティへの強い欲求は、師を持ってもうけつけない姿勢となり、
周囲からさまざまな反発を受けた紹介されていた。
ある芸術家が語った
『芸術は技巧なくしてありえない。だが技巧だけでは芸術に成り得ない。」
というその言葉に、魯山人は強い触発を受け、それが独学の道に進ませたという。
この展覧会に行って、私のなかで魯山人のイメージがうんと変わった。
本当に力強く大胆不敵でモダンでもあり、これでもかと人を楽しませる
田舎くさく、不器用な生き方で、常に挑戦しつづけてきた苦労人の芸術家に出会えた気がします。
近年、魯山人の器を復興させたようなレプリカ食器が販売されていますが、
実物には到底及ばないだろうと思います。
その質感、重厚さ、ほんとに素晴らしかった。



