龍谷大平安の原田監督が就任1年目の時、野球部だったという方とお話ししました。
初めて原田監督に3年間教えてもらった世代ということになります。
当たり前ですが、原田監督にもそういう時代があったんだなあ。
就任1年目は2、3年生は前の監督さんに教えてもらっていたということで、そんなにいろいろ言わなかったらしいのですが、学年が上がるごとにどんどん厳しくなったと仰っていたような気がします(ちゃんとメモ取れや案件)。
その方曰く「強豪校あるある」、1年生は夏頃に50人くらいいた部員が半分になったそうです。
原田監督はだいぶ「丸くなった」と仰っていました。
私は原田監督は優しいイメージでしたが、人に歴史あり、ですね。
大垣日大の前監督の阪口監督も、東邦の監督時代は「鬼の阪口」と言われていたという話もありますしね。
学校が終わって専用のグラウンドに着くのが16時半くらい、練習が終わって学校に戻ってくるのが10時くらい、その後は自主練という名の強制の練習があったということ。
始発で行って終電で帰る、その生活を3年間続けたというのだからすごいです。
私は見ているだけの人間ですから、そういう選手たちの大変さを知らずにいましたが、話を聞くとやっぱり過酷なのだなあと思います。
知らずに見るのと知って見るのと、実際に経験して見るのとは全然違うと思います。
そんなことを言いつつ、センバツの頃には忘れて普通に見ていそう(汗)。
いい話聞けたなあ。
ありがとうございました。
↑86回センバツの準決勝の時の写真。
龍谷大平安がセンバツ初優勝。ああ、気づいたらこの時から10年経っているのね!