令和2年3月11日。
第92回センバツ高校野球大会の中止が発表された日。
偶然関西に用事があった私は、甲子園球場でその発表を知った。
泣きながら帰ったのを覚えている。
私の中でこの日が「コロナ騒動」の幕開けだった。
大人の都合で青春が奪われた日。
今思い返しても悔しくて悔しくてたまらない。
何で気づけなかったのだろう。
何で何もできなかったのだろう。
「あの頃は仕方なかった」。
ふざけるな。
「仕方なかった」では済まされない。
仕方なくなんかなかった。
本当は奪われる必要のない多くのものが奪われた時代があった。
その象徴となる日が「令和2年3月11日」だと私は思っている。
最近「コロナが奪った青春」のような見出しの記事を見かけた。
見出しだけで読む気が失せたので、読んではいない。
奪ったのは「コロナ」じゃない。
奪ったのは「大人たち」だ。
「コロナ」を利用して、あの空気を作り出した「大人たち」が奪ったのだ。
わからないままその空気に流されていた私もまた、加害者である。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思い。
今年ももうすぐセンバツが始まる。
この当たり前の光景が奪われることがないことを願う。
こんな思いを子どもたちに二度とさせないために、あの時代のことは決して風化させてはいけない。
あの頃、状況を受け入れた子、反発した子、様々いたと思う。
どんな子も、あの理不尽な中耐えていたと思う。
当たり前の青春を過ごさせてあげられなかったことに大人として申し訳なく思う。
3.11に思うこと。
毎年同じ内容のことを書いていると思うけど、大事なことだから忘れないように記しておきたい。
