変化。 | Mの独り言

Mの独り言

高校野球好きなシンガーソングライター藤川麻理麻(ふじかわまりお)の日常生活のちょっとした出来事を綴っています。

今朝の3時くらいまで作業していて、なのに朝8時に目が覚めて。
どうせまた夕方くらいに睡魔に襲われるんだろうな、だったらもうちょっと寝ようかなと思うのに全然眠たくなくて。

そんな状態の朝。

最近、私のツイッターのTLで「永遠」問題というのを見かけておりまして。

これが何かというと、私はダルビッシュ有投手をフォローしているのですが、過去のツイートの「永遠〇〇する」という表現に対して、それは「延々」の間違いだという指摘が入り、いや、これは大阪では普通に使っている方言みたいなものだ、というやりとりをしているというものです。

私はよく言葉の意味を間違って覚えて使っている誤用多用人間ですが、これでも大学では国文学科で国語学を専攻していました。

私が国文学科を選んだのは「正しい日本語を学びたい」というところが出発点でした。

でも、大学で学んでいくうちに「正しい日本語」なんてものは存在しないんだという結論に達した訳です。

正しい日本語を考えるのはナンセンスだなあって思ったのです。

「正しい日本語」を使うのが一番いいとは思いますよ。
じゃあその正しい日本語って何ですか?という話になる。

文法も発音も言葉の意味もどんどん変わっているのにどこを基準に「正しい日本語」っていうの?

言葉は変化するもの。
だから古典は勉強しないとわからない。
変わっていなければわざわざ古典なんて勉強しなくていいはず。
助動詞の意味とか覚えなくてもいいのよ(もう忘れた)。

結局言葉は通じればいいものなので、意味がわかればどんな言葉遣いをしていようが全然いいと思う。
言いたいことが伝われば言葉として成立する。
これが誰にも伝わらなければ意味ないけど。

だから、「正しい日本語を使え」と上から目線で偉そうに言っている人は万葉集くらいの言葉を使えばいいんじゃないかな。
その辺りの言葉を使っていれば誰も文句は言わないでしょう。

一応国語学を勉強した国語が全然できない私が思うのはそれくらいです。
「正しい日本語を使え」と言っている方は、面白いので一度日本語の歴史を学んでみるといいと思います。

だいぶ生意気なことを書いたけど、これは誤用多用の私に対する擁護です(結局そこでした)。