Mちゃんが私の教室に来た時は中学2年の後半だったと記憶してます。
体が弱く、学校にあまり行けてない状態でした。
学校に行ってないから、髪の毛もバザーと伸ばして、挨拶ももじもじしていて、服装は今時の服装で、少しお化粧もしてました。
まず、ピアノをするんだったら、そこから直すように言いました。
ピアノも然る事ながら、中学生らしい、清楚な格好をすること、挨拶をきちんとすること、言葉使いなどもとても厳しく指導しました。
中学生でバイエルをはじめたのに、どんどん成長していき、ピアノが彼女の生き甲斐になりました。
本当に体が弱くて休みがちだった彼女ですが、ピアノを練習したいという一心で、少しずつ元気になってきました。
自信がついてきたのでしょうか、礼儀正しい清楚な少女に変わってきました。そして、「ピアノの先生になりたい」という、夢ができました。
それなら、電子ピアノではなくて、ピアノで練習しないと、ということで、夜の7時から8時は、私の教室の2階にあるピアノを使って練習しました。練習が終わったら、その部屋を、心を込めて丁寧にお掃除をしてくれていました。
普通の高校への進学は、出席日数が足りなくて、通信制の高校にはいりました。
「母子家庭なので母に迷惑をかけないよう、成績優秀者として奨学金をもらい、音大に行きたい」
その一心で、勉強とピアノをものすごくがんばりました。
高校は、午後からなので、午前中は青少年センターでピアノを借りて練習、そして、夜遅くまで、電子ピアノで練習したり、勉強したりの毎日でした。
高校の勉強は、普通の高校のなかでも優秀な成績を修めることができました。
中学の遅れを取り戻すのはとても大変だったと思います。
大学は徳島の大学に決めていました。
オープンキャンパスの時は無料の送迎バスがありますし、レッスンも無料です。
オープンキャンパスに通って、無事、ピアノ科に合格しました。
どこに出しても恥ずかしくない素敵なレディになってます。
大学に入るとしばらく会えないので、頑張ったご褒美
にランチをご馳走しました。
卒業後は徳島で仕事をして、奨学金を返す計画もちゃんと立てていました。
先生に出会えなかったら、今の自分はないと言ってくれて、非常に胸が熱くなる思いです。
これからも頑張ってね。松山に帰省したら、また、ランチ行こうね🎵
竹本喜代美


