岐路に立つ日本を考える -5ページ目

岐路に立つ日本を考える

 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 東京オリンピックを巡るエンブレムに関する騒動は、昨日佐野研二郎氏が自らのデザインを取り下げたことで、一応の決着をみた形となりました。

 この一連の騒動の中では、佐野氏のデザインのパクリ疑惑の真偽が争点となりましたが、問題はそこだけにあったわけではない点を私たちは忘れるべきではないでしょう。佐野氏のデザインに決まったことが報じられ、このデザインだと示された段階で、このデザインに対する強烈な違和感が私の中ではわき上がりました。そしてそのような違和感を感じたのは私ばかりではなかったと思います。ネットにおいても「お葬式エンブレム」といった批判ばかりが目立ち、なぜあのデザインが選ばれたのかについての疑問が噴出していたものの、あのエンブレムを高く評価する意見を目にすることはありませんでした。

 一般国民の多くが違和感を抱き、心から支持する気持ちになれないようなデザインが採用されるに至ったことを考える時、問題の根源が佐野氏個人にあったわけではないことが浮かび上がります。問題はむしろ選考過程にあったと考えざるをえないわけです。

 東京オリンピックの招致の際に利用したエンブレムは女子美術大学の学生だった島峰藍さん(現在は東京芸術大学大学院生)が手がけたものでしたが、今回のエンブレムには彼女は参加資格がありませんでした。ちなみに長野オリンピックのエンブレムを手がけた篠塚正典氏にも参加資格がありませんでした。というのは、今回の応募資格は、東京ADC賞など7つの特定されたデザインコンペのうち、過去に2種以上受賞(佳作対象外)しているデザイナー・グラフィックデザイナー・アートディレクターに限られるという厳しい制限がついていたためです。

 また佐野氏の案は原案通り決まったわけではなく、原案から大幅に修正されたものだということが報じられましたが、そもそも原案がアウトだったと判明した段階で排除されるべきものだったとはいえないでしょうか。佐野氏に対して極めて甘い対応をしている経緯を見れば、初めから出来レースだった疑いをもたれても仕方ないようにも思います。

 ネットでは、多摩美大の佐野氏の教授仲間に永井一史がおり、その父親の永井一正氏が今回の選考委員長を務めていたこと、佐野氏の実兄で経済産業省キャリアの佐野究一郎氏は「永井一正ポスター・ライフ1957-2014展」の取り計らいで一正氏と深い関わりを持っていたこと、博報堂時代の佐野氏の部下だった長嶋りかこ氏やサントリートートバッグデザインなどで深い関係を持っていた高崎卓馬氏も選考委員であったことなども指摘されています。そして、こうした人的関係の中で、相互に審査委員と応募者の立場を順繰りしながら受賞歴を積み上げていっているのではないかとの疑惑も具体的に提起されています。

 人数も限られた業界での話ですから、有名デザイナーであれば、佐野氏と同じような人的関係があるのは珍しくない話かもしれません。しかしながら、佐野氏に有利になるような枠組みが作られ、佐野氏が特別扱いされて今回そのデザインが選出された疑念は、先にも書いた選考過程の不自然さから見てぬぐえないわけです。

 新たに選び直すエンブレムについては、公明正大なデザイン選出という仕組みづくりを徹底的に意識してもらいたいと思います。

 同時に、同様に韓服への酷似を指摘されることもある、東京オリンピックのボランティアの服装デザインについても、国民の賛同がどの程度得られるか、世論調査を実施してみてはいかがでしょうか。国民の賛同が得られないようであれば、こちらについてもあっさりとデザイン選考をやり直してもらいたいと思います。


(http://i.ytimg.com/vi/BNh-rz9VjJU/maxresdefault.jpg)


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 国連のパン・ギムン(潘基文)事務総長が来月中国政府が開く「抗日戦争勝利70年」の記念行事に出席することについて、日本の国連代表部は27日、国連事務局に対し、「いたずらに過去に焦点を当てる行事に対し、国連は中立的な姿勢で臨んでもらいたい」と懸念を伝えました。外務省幹部は潘氏の対応について、「天安門事件が起きた場所で軍事パレードを観覧するのであれば、判断に疑問符をつけざるを得ない。自由や人権といった国連の精神を体現しているのか、国際社会が非常に懸念するのではないか」と不快感を示したとされます。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150828-OYT1T50111.html

 日本の外務省としてはよくやったと、今回は外務省の動きについて評価したいと思います。

 さて、これに対する潘基文事務総長の反論はどのようなものであったでしょうか。

 潘基文事務総長は、「第2次世界大戦における中国の貢献や犠牲は世界の人びとに認められ、感激されるところである」とするとともに、「中国は世界第2の経済大国であるとともに、平和を熱愛する国である。このような急速に変化する時代により大きな貢献を果たすことができる」との認識を示したのだそうです。その上で、「持続可能な発展目標の実現、気候変化などといった世界的な課題において、われわれは中国が引き続き世界でリーダーシップを発揮することに、大いなる賞賛と期待を寄せている。これが中国の戦勝70周年イベントに出席する理由だ」とし、「習主席と再会するのを楽しみにしている。中国による国連に対する多くの貢献に感謝」しているとした上で、「記念イベントに出席して歴史の教訓を汲み取るのは、国連事務総長として然るべき義務」だと述べました。
http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/427527/

 巨大な軍事力と経済力を背景に、領有を巡って対立している海域に一方的な埋め立て工事を行い、軍事施設化を押し進めることを現在進行形で押し進めている中国を「平和を熱愛する国」としてここまで一方的に持ち上げた発言を行っていることに、われわれは着目すべきでしょう。

 そして、その上で、外務省には再度厳重に潘基文事務総長に対して抗議することを求めるとともに、この件に関してアメリカとの連携行動を迅速に取ることを求めたいです。


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 天津市の爆発事件に関して、江沢民派と習近平派との権力闘争との関連を指摘した記事を以前にアップしました。
http://ameblo.jp/minna4970/entry-12064613786.html

 その後漏れ伝わってきた内容を見ていくと、やはりその通りであったようです。

 まず、中国のネット環境では「江沢民」をキーワードにしての検索ができなくなっていることがわかりました。
http://www.j-cast.com/2015/08/24243380.html

 そして、大紀元が、江沢民元国家主席とその長男の江綿恒の身柄を拘束し、元国家副主席の曾慶紅も自宅軟禁に置いたと報じました。大紀元は海外を拠点に反体制派の声を伝える中国系の新聞社です。
http://www.epochtimes.jp/2015/08/24376.html

 そして本日(8月24日)、「現代ビジネス」に近藤大介氏による秀逸な記事(『【天津大爆発の真実】爆心地には巨大な「毒ガス池」、消されたスクープ映像、狙い撃ちされた「隠れ江沢民派」』)が掲載されました。この記事はぜひご覧いただきたいです。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44854

 私がこの記事で新たに学んだことはいろいろとありますが、神経ガスの検出を報じた中央テレビの番組の放送内容が詳細にわかったのが特に大きいものでした。

 お忙しい方のために、私が新たに学んだことの要約を以下にまとめておきます。

 北京から駆けつけた北京公安消防総隊は「核生物化学処理部隊」であること、その部隊が猛毒ガスのシアン化ナトリウムと神経ガスを2日にわたって検出していることを同部隊の李興華副参謀長が番組の中で証言していること、公安部消防局の牛躍光副局長が爆発した瑞海公司の巨大倉庫の配置図を黒板に描いて内部のどこに何が保管されていたのかを詳細に述べていること、中央テレビのウェブページではこの内容を報じた『焦点訪談』が17日と18日だけ放映されなかったことになっていること、番組は存在しないことになっているのにその内容を否定する記事だけが大量発生して拡散されていること、政府首脳で現地入りしたのは李克強首相だが、それは事件から4日目で、4日目になって天津市民は空気を吸えると安堵したということ、中国トップセブンの1人で、江沢民派の張高麗について、「張高麗を打倒せよ!」と市民たちが叫んでいる映像が兵器でテレビ映像に映し出され、ネットでも張高麗を侮蔑する書き込みが野放しにされていること、通常は公開されないトップセブンの会議内容をわざわざ公開扱いにし、その中で「事故の責任者を一人も漏らさず徹底追及する」との文言を入れておいたのは、張高麗に対して江沢民への裏切りを求める「最後の警告」の可能性があること、です。

 現実的に考えると、この事態を対岸の火事としてのみ見てはいられないでしょう。江沢民派がこのまま大人しく引き下がるばかりとは考えにくいところです。場合によっては内戦に発展する可能性もあるわけで、邦人や日本企業をなるべく多く、かつなるべく速やかにどう日本に撤収させるかは、最低限日本政府がまじめに考えておかなくてはならないことではないでしょうか。


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 自衛隊の統合幕僚監部が、安全保障法制に関わる法案成立を前提に新たな部隊運用などの資料を作成していた件に関して、憲法研究者からなる65人のグループ「国会の立法権の重大な侵害」であり、「議会制民主主義を軽視し、『軍部独走』の批判を免れない」との緊急声明を発表しました。

 正直に言わせてもらいますが、こうした「憲法研究者」を名乗る人たちが何を問題にしているのか、私にはサッパリ理解ができません。彼らが言いたいのは法案が成立するまで、行政府の側は何も対応してはいけないということなのでしょうか。

 もしそうであるならば、現在国会で審議されているマイナンバー制度についてはどうなんでしょうか。マイナンバー法案はまだ国会では未成立ですが、「政府公報オンライン」ではマイナンバー法案の成立を前提とした広報をスタートさせているのです。
http://www.gov-online.go.jp/tokusyu/mynumber/

 そして、「政府公報オンライン」でマイナンバー法案の成立を前提とした広報を行っているということは、この法案の成立を前提とした検討を行政府において綿密に行っているということですが、法案成立前にこのような検討を行政府側が行うことは「国会の立法権の重大な侵害」であり、「議会制民主主義を軽視し、『行政府暴走』の批判を免れない」ということになるのでしょうか。

 法律の制定によって行政府の活動に大きな制約や変更が生まれる以上、どのような制約や変更が生まれるのかについて、法案成立前であっても綿密に検討をすることは当然のことではないでしょうか。そもそもそのような検討を行わないとすれば、そのことの方が遥かに不自然ではないでしょうか。そんな単純なことが「憲法研究者」の方々は理解できないのでしょうか。

 統合幕僚監部が政府提出法案の検討を行っていながら、仮に法案が結局成立しなかったとしましょう。その際に統合幕僚監部がその場合でも法案成立の場合と同じ運用を開始するというのであれば、それは議会制民主主義の否定だということになるでしょうが、統合幕僚監部はそんなことは一言も言っていないわけです。国会が決めたルールに従って行動しないと言っているのであるならば、『軍部独走』と言えるでしょうが、そういうわけではまったくないわけです。

 なぜここまで針小棒大に滅茶苦茶な論理を押し通すようなことを、左側の人たちは行うのでしょうか。そこまで無茶苦茶なことを声高に主張しないと、彼らが望む状態を維持できなくなってきているからではないかと、私には感じられます。

 そしてそのことは、彼らの立場がもはや極めてもろいところにまで追い込まれていることを表しているとも思います。彼らの主張に何となく載せられてしまう人たちはまだまだ多いとは思いますが、あまりに滅茶苦茶な論理に気付いてしまう人もどんどん出てくることになるでしょう。そして、一旦そのことに気付いてしまったとしたら、二度と彼らを信用することができなくなるのは理の当然です。

 そしてこうした無茶苦茶ぶりに気付いた人が周りに増えれば増えるほど、左側の人たちはますます焦って無茶苦茶な論理をさらにエスカレートさせようとするようになり、その結果ますます多くの人たちに容易にその無茶苦茶さ加減に気付かれてしまうという悪循環に陥っていくでしょう。あと5年もすれば、世論の流れはガラッと変わってくるのではないでしょうか。

 かつては良識的な知識人といえば左寄りの見解であることが前提とされましたが、そのような風潮が今急激に崩壊過程に入ってきたことに目を向けておきたいと思います。


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 天津市の大爆発事故に関連して、中国共産党中央規律検査委員会は国家安全生産監督管理総局の局長の楊棟梁を「厳重な規律・法律違反で調査している」と発表、拘束しました。

 当初、このニュースを聞いた時には、トカゲの尻尾切りのようなものではないのかと短絡的に思ったのですが、どうも話はそれほど単純ではなかったようです。

 大紀元日本によると、楊棟梁は爆発発生直後にチームを率いて現場入りし、救援・事故調査活動の陣頭指揮を執っていたのだそうです。つまり、事故後に現地に派遣されたのであって、事故発生時の現場の責任者ではなかったわけです。

 楊棟梁は石油業界の出身者であり、天津市の副市長も11年務めた立場にありますから、そういう点では爆発事故との関連は疑われる立場にあったのかもしれません。少なくとも、住宅街に近い場所に危険な化学物質が大量に保管されているのを許すないし見逃す行為を働いていた疑義を持たれることは自然なことかもしれません。ですが、そうであったとしても、この大爆発事故の収束の責任者となっているわけですから、事故処理のめどがつくまでは任務を全うさせるというのが筋だと思われるわけですが、そのような流れを敢えて無視して慌てて解任に至ったことが理解されます。なお、国家安全生産監督管理総局の局長というと、数多くある行政機関の一つのトップのようにしか思えませんが、中国国内では閣僚級に相当するそうで、かなりの重職だったといえます。

 この事件に関連して大変不思議に感じたのは、国営中央テレビが北京公安消防総隊の李興華副参謀長の話として、爆発現場の空気中から「シアン化ナトリウムと神経ガスという二つの有毒物質の値が最高値に達した」ということを報じたことでした。中共のいつも通りのやり口ならば、検出結果がそうであったとしても公表は絶対にしないでしょう。しかも「最高値」といった刺激的な表現を使うことは通例ではとても考えにくい話です。

 実際、国営中央テレビが報じたこの内容を、新華社通信も天津市も即座に全面否定し、中央テレビも後にネットに掲載された動画を削除したようです。

 こうして見てみると、楊棟梁の失脚とこうしたメディアの報道の混乱ぶりの間に大きな関係があるように思えてなりません。つまり、習近平によって追い詰められている江沢民派が、この事故を利用して逆に習近平を追い詰めるように動いているのではないかということです。つまり、江沢民派が神経ガス検出のニュースを中央テレビを使って刺激的に報道させ、政権への打撃に利用したのではないかということです。実際、北京公安消防総隊を率いて天津入りしたのは楊棟梁であり、楊棟梁は江沢民派の幹部でもあります。そもそも今回の爆発自体が江沢民派が仕掛けた陰謀ではないかとの話もあります。また江沢民派の陰謀ではなかったのせよ、習近平派は爆発を江沢民派のせいにして、一気に江沢民派の完全追い落としを図っているとの憶測もあります。

 中国共産党中央規律検査委員会はこの爆発事故に関連して、「調べを受けてはならない、触ってはならない特権者はだれ一人いない」と、非常に意味深長なことを述べています。これを受けて政府系メディアも「周永康すら完全調査を受けた。よって、天津の事故を隠ぺいする必要はない」との報道を行っています。江沢民派トップの江沢民さえも拘束する可能性を示唆したものではないかと受け取るべきではないでしょうか。真偽のほどはわかりませんが、江沢民とその長男が身柄を拘束されたとの情報も流れています。

 事件の真相は藪の中であり続けるでしょうが、今回の事件に習近平派と江沢民派との派閥抗争が色濃く反映されているのは確実と言ってもいいのではないでしょうか。

 この争いに腹心の令計画の失脚によって大打撃を受けた胡錦濤派がどう絡んでくるのかも、大いに注目されます。令計画の弟の令完成が膨大な機密書類を持ってアメリカに亡命申請をしたこととも絡めて、中共を舞台にした権力闘争の激化は、体制崩壊に向かって動き出すことになる可能性も秘めているといえそうです。


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 今回の安倍談話について、マスコミの中には相変わらず否定的な論調が多いのには閉口します。

 反省はなにゆえにすべきなのかといえば、それは将来を誤らないためでしょう。その点で、どのような将来を作ろうとしているのかというメッセージが最も大切なことだと言えます。

 安倍談話が今後あるべき姿として描いているのは、「自らの行き詰まりを力によって打開しよう」とすることを否定し、「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべき」との原則をこれからも固く守り、世界の国々にも働きかけていくということでした。

 日本の主要テレビ局や朝日新聞、毎日新聞などは、こうした将来へのメッセージを明確に示していることをどう考えているのでしょうか。彼らはこうした将来へのメッセージに対して十分な肯定的評価を与えることを全くしていません。

 こうしたあり方からすると、彼らはどうもこうした将来メッセージが必要なものだとは考えておらず、とにかく「戦前の日本=悪」との論調をより明確に位置づけるべきという立場に立っているように見えます。そこにあるのは謝罪のための謝罪であり、決して将来に活かすことを前提とした反省ではありません。

 このように見た時に、彼らがこのようにあるべき将来像について明確なビジョンを示した安倍談話を肯定的に評価しないことの陰に中国を感じざるをえないのです。突出した軍事力を背景に、どの国のものか確定していない海域を埋め立てて自国領化を押し進めるような行為を今まさに平然と行っている中国。力による打開を現に行っている中国の問題は、まさに現代の課題でしょう。こうした中国を牽制するような側面を持つ談話には、彼らは無条件に抵抗を感じるようですが、現代的な問題の拡大を防ぎ、今後の世界に平和をもたらしていこうという立場に立つならば、むしろ今回の安倍談話のような将来メッセージこそが求められていたと言うべきでしょう。

 今回の談話に対しては、私心としては積極的に肯定できないところもありますが、民主政治のもとで多くの声を反映させねばならない立場にある首相の談話としては、よくできたものだと評価したいと思います。戦前・戦中に対するお詫びをすべての出発点にする戦後のあり方に一区切りを付けようとした総理の見識にも高い評価を与えたいと思います。

 ただ、それでも私が将来のことを考えて懸念しているのは、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との文言を入れてしまったことです。憲法9条の改正を目指すに際して、この文言の削除に待ったをかけてしまったことが正しかったとは私は思えないのです。

 外交において理性的な話し合いのみで解決を見いだせるのは、極めて限られた話にすぎません。北朝鮮との拉致被害者の返還交渉が難航しているのは、日本の外務省が誠実な話し合いを行おうとしていないからではないでしょう。武力の威嚇が時に必要になる現実の否定は、拉致問題においても、東シナ海、南シナ海をめぐる中国の強権的な動きの抑止においても、いい効果を持つことはないでしょう。この点だけは決定的に残念に思いました。


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 京浜東北線の架線切断により、首都圏の交通網が大混乱する事態が昨晩発生しました。事故原因についてもようやく明らかになってきたようです。架線のつなぎ目の区間では2本の架線の電圧が異なることがあり、その区間で電車が発進するなどして強い電流が流れると、ショートを起こす場合があるそうです。その場合にその熱で架線が溶けて切れたのではないかという推察がなされているようです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010178841000.html
 
 ところで、今回の事故で私がよく理解できないのは、京浜東北線と並行的に走っていて、京浜東北線が何らかの原因で動かなくなった場合に代替輸送路として活用できるはずの東海道線や湘南新宿ラインまでなぜ止めなければならなかったのかというところです。京浜東北線にしても、横浜から北側にまで影響を及ぼさなくてもよかったはずで、横浜駅まで何らかの手段でたどり着けば、横浜駅の折り返しである程度の運行はできなかったのかとも思います。

 もちろん素人には理解できない事情がJR側にはあり、それに沿った処置だったのだろうということは想像できます。従って事情を知らない者が軽々に口を挟むなとの見解もあるだろうと思いますし、それにも一理はあるでしょう。ただ、私が問題にしたいのは、このような有事が発生した際の混乱回避策というものを念頭においてJR側が全体のシステムの設計を行っていたわけではないのだろうという点です。有事が発生した時に、どうすればその有事をできる限りリカバーして、社会的混乱をできうる限り小さくできるかという観点が抜け落ちていたと考えざるをえないのです。

 平成23年に起こった東日本大震災の際にも、首都圏の電車はほとんどが止まってしまい、大混乱が発生しました。私は地震発生時に武蔵野線に乗っており、ちょうど東川口駅に到着した時に地震に遭遇しました。確かに随分揺れたのは間違いないですが、地震が鎮まって東川口駅からあたりの風景を眺めてみても、倒れている建物も地割れしている道路も何一つ見えず、しばらくすれば運転は再開されるはずだと勝手に思い込みました。それでそのまま電車の中に居続けたのですが、駅員がやってきて告げたのは本日中の運転再開の見込みはないとのことで、大変衝撃を受けたのを覚えています。

 あの時に例えば時速10キロ程度まで速度を落としつつ、目視で線路の歪みがないかどうかを確認しながら運転させることはできなかったのでしょうか。スピードが遅くとも動くということと運転が完全に止まることとの間にはとてつもない落差があるのはあまりにも明らかです。しかしながらJRには平時の発想しかなく、有事においても平時における安全確認が完璧にできないと動かせないというところから一歩も抜け出せなかったわけです。そしてそれがどれほどの社会的混乱を引き起こすかという想像力にも欠けていたのでしょう。

 今回の京浜東北線の事態に対する対処から、大震災から4年以上経っても平時の運行のことしか頭にないというあり方からJR側が全く抜け出ていないことが明らかになりました。そして恐らくこのような状態は、決してJRに限った話ではなく、「危機管理」だの「有事」だのという言葉にアレルギー的に反応する、平和ボケした日本社会全体を覆っている問題でもあるのではないでしょうか。

 東京オリンピックに向けて、テロ対策の強化の必要性が言われ、テロをどうやって未然に防ぐかという点に関して社会的な関心が高まっています。そしてそのこと自体についてはもちろん決して悪いことではないのですが、テロの未然防止と同様にもうひとつ大切に見ておかなければならないのは、テロが発生した際に波及的な影響をどうやって食い止めるかという観点ではないかと思うのです。有事にどう対処するのかということに対して日本が致命的な欠点を抱えていることを浮き彫りにしてくれた事件という位置づけで今回の京浜東北線の架線切断事故を見ておかないといけないのではないか、そんなことを思いました。


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 有事の際に民間船を容易に軍事転用できるように、船を新造する場合には国防上のニーズを満たす設計基準でなければならないという指針を打ち出している国があります。
http://www.afpbb.com/articles/-/3052053

 隣国が実効支配していた岩礁に軍を派遣し、体を張って守っていた隣国の軍人64名に100ミリ砲を容赦なく浴びせて全滅させ、実効支配を奪い取った国があります。
https://www.youtube.com/watch?v=Gz_mo9lhe0E

 隣国の国防予算について自国の1/200にも満たないから自国の国益を害する力を持たないと平然と言ってのけ、隣国の抗議をものともせずに隣国を圧迫する政策をとり続ける国があります。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2015&d=0726&f=business_0726_006.shtml

有事が発生した際には、金融機関、陸・海・空の交通輸送手段、港湾施設、報道などに留まらず、水利や貿易に至るまであらゆる分野を統制下に置き、これら物的・人的資源を全て徴用できることを規定し、その統制の対象には自国に進出している外国企業も含まれる他、海外に出ている自国民もその動員対象となることを「国防動員法」によって規定している国があります。
http://www.data-max.co.jp/2014/06/26/post_16457_hmg_01.html

 自国のみならず外国のマスメディアにおいても自国に有利な情報を流させるように工作し、世論誘導すること(世論戦)や、恫喝や懐柔によって相手国の国民が戦う意志をくじけさせる工作を行うこと(心理戦)などを「政治工作条例」で規定している国があります。
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2014/pc/2014/html/n1132000.html

 お気づきの方も多いかと思いますが、これらは全て隣国の中国について述べたものです。中国は表向きの防衛予算でもすでに日本の3倍以上に達しています。しかもこの表向きの防衛予算の対GDP比はわずか1.1%程度となりますが、対GDP比で4.5%のロシア、3.5%のアメリカと比べてみればわかりますが、あの軍事国家がこんなレベルに留まっているわけがないことは明らかです。実質的には彼らが我々の10倍程度の軍事予算を保持している可能性も十分あり、しかも表向きの防衛予算にしても年率10%以上の成長を毎年繰り返していることにも目を向けておかなければなりません。

 日中中間線でのガス田開発は日中の共同開発で行おうということについて日中政府間で合意しながら、その合意を無視してここを一方的に開発するということを、中国は既に2004年から始めました。すでに彼らは10年以上約束を反故にして、本来我が国の資源でもある領域を一方的に開発し、その規模も拡大させてきました。このガス田にレーダー基地を設置するなどして、軍事施設化させていることも、我々はよく理解しておく必要があります。

 中国は我が国の自国領であることが明白な尖閣諸島を「核心的利益」だと位置づけ、簒奪するための準備を進めています。しかも銃弾を撃ち込まれないかぎり我が国が憲法上の制約から何らの反撃もできないことを理解して、公船をその領海へと平然と浸入させるということが、日常的な状態になってきました。

 中国は、民間の自発的な行動という形式で、数千、数万の漁船を尖閣列島の海域に派遣し、場合によっては日本の公船を包囲してしまうことを戦略として描いています。小笠原諸島の赤珊瑚を奪いに来たことに対して手をこまねくしかなかった日本の軍事アレルギーのレベルの高さを確認しつつ、これを尖閣においても実践できることを理解しています。そしてここで何らかの事態が発生した時に、自国民の保護を名目として軍事作戦を展開する可能性すらあるわけです。

 中国は在留日本人をスパイなどの名目で拘束して人質として利用することも、レアメタルの禁輸により対日経済貿易制裁を発動して圧力をかけることも、すでに実践済みです。目的のためには手段を選ばない姿勢を容赦なくとることは明白です。こうした現実を前にして、私たちは私たちの安全保障をまじめに考えていかないといけません。

 今回の安保法制によって中国の行動を抑制できるかといえば、それは明らかに無理でしょう。例えば中国とベトナムが戦火を交え、南シナ海のの安定のためにベトナムを支援することが日本の国益に大いに適うことだとしても、そんなことは一切できないのです。現に戦闘行為が行われているところでは、邦人保護の必要性があっても自衛隊は派遣できませんし、米軍の後方支援すらできないと規定しているわけです。そんな程度のものでしかない内実が「戦争法案」だというプロパガンダによってかき消されてしまうこの日本の歪んだマスメディアのあり方の背景にも、中国の工作が大いに絡んでいることを、我々は見失ってはいけないでしょう。


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 今回の安保法制の改正について、世間では厳しい政府批判が蔓延し、内閣支持率が急低下しています。「戦争法案」だという見方が世間の空気になってきていますが、果たしてそんなに危険なものなのでしょうか。この点を法案の記述に基づいて具体的に見ていきます。(法案上の文言は私の自己責任で簡明な表現に書き換えているところもあることは、ご承知おき下さい。)

 今回の安保法制の改正が成立すると、自衛隊による在外邦人の保護のための活動が初めて可能になりますが、これに関しても3つの厳しい要件を定めています。それは①保護措置を行う場所において、当該国が現に公共の安全と秩序の維持に当たっており、かつ、戦闘行為が行われることがないと認められること、②自衛隊が当該保護措置を行うことについて、当該国の同意があること、③予想される危険に対応して当該保護措置を行うための部隊と当該国との間の連携及び協力が確保されると見込まれること、です。

 さて、これによってアルジェリアで起こった日揮の社員の人質事件のようなことが再び起こったとして、その救出活動を自衛隊ができるようになるのでしょうか。端的に言って否です。あの事件の場合、アルジェリア政府は自衛隊が邦人保護のための行動を展開することに恐らく反対はしなかったでしょうし、アルジェリアの警察や軍と日本の自衛隊が邦人救出のための連携・協力を行うことも確保できたことでしょう。ですので、②と③は条件を満たすでしょうが、テロリストが邦人を人質にとって立て篭り、アルジェリア政府軍との間で戦闘が行われておりましたので、①の「戦闘行為が行われることがないと認められる」には該当しないことになります。したがって、ああした場合の邦人救出は今回の法改正によってもできないことになります。

 つまり、外国政府が現地で発生したテロ行為に手を焼き、そのテロ行為に邦人が危機にさらされ、この状況に対して日本の自衛隊への治安活動への参加を求めているという状況であっても、日本の自衛隊は邦人救出のための作戦を行うことができず、邦人救出を外国の軍隊にお願いするより他ないことになります。そして、その際に「なぜ日本の自衛隊は作戦に参加しないのか」と言われた時に、「自衛隊員の生命を危険に晒すような活動は日本の国内法で禁じているので、戦闘行為が生じる可能性がある際の邦人救出活動を外国の軍隊に委ねるしかない」と答えざるをえません。これが国際社会においてどれほど身勝手な主張であるのか、現実に即して考えてみてもらいたいわけです。そしてこの程度のことすら、今回の安保法制の改正案によっても実現できないようになっているのが実際であるわけです。

 私は日本国民は本来そんな主張を支持するほど身勝手な民族ではないと思いますし、恐らく実際に邦人が現地のテロに巻き込まれて人質に取られたような場合に、自衛隊が現地の政府の要請に応えて救出作戦に参加することには反対を表明することもないでしょう。つまり、実際に生じた時には国民的に広い支持があると見込まれるようなレベルの邦人救出さえ、なおできない状況に変化はないのです。

 「米軍等の部隊の武器等の防御のための武器使用」は確かに認められましたが、これにも、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に従事しているものの武器等に限る」との規定が入っています。つまりたとえ米軍であっても、我が国の防衛に資する活動に従事していない部隊の防御までは認められてはおらず、地球の裏側でアメリカが勝手に起こした戦争に日本の自衛隊が巻き込まれるといった批判はまったく当たらないのが実際です。

 国連の平和維持活動(PKO活動)については、従来よりもやや踏み込んだ武器使用を認める方向に舵を切り、駆けつけ警護(国連のPKO活動を現に展開している自衛隊が、同じPKO活動に従事している他国軍やNGO活動に参加している民間人が危険に晒された場合に、その危険が生じている場所に駆けつけて武器を使用して救出活動ができるようにすること)ができるようになるなどと大騒ぎされていますが、ここにも厳格な規制があります。つまり、紛争当事者が停戦の合意をしている上で、我が国のPKO活動への参加に同意しており、PKO活動が中立的立場を厳守している状態で、受け入れ同意が安定的に維持されていることが確認できる場合でないと、駆けつけ警護等における武器使用は認められないとしています。しかも国連総会などにおける決議があるか、国連の専門機関等が行う要請があるなどしないと、武器使用を認めていません。要するに、紛争当事者の両側と国連の支持がない限り、駆けつけ警護はできないという規定になっています。つまり、紛争の当事者のどちらか一方の側の味方をして他方に対する攻撃を行うことは、駆けつけ警護という名目があったとしても認められないわけです。しかも停戦合意が崩れたとみなされた段階では駆けつけ警護は認められません。つまり、もっとも駆けつけ警護が要請される場面では、やはり日本の自衛隊は活動に参加することができないという規定になっているわけです。

 そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある場合など、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態 (重要影響事態(従来の「周辺事態」))においては、米軍などの後方支援ができるということが盛り込まれていますが、現に戦闘行為が行われている現場では実施できないばかりか、戦闘行為の発生が予測される場合には休止しなければならないと規定されています。防衛大臣は指定した実施区域における活動が安全に行えなさそうだという場合には、実施区域を変更するか、活動の中断を命じなければなりません。

 船舶検査活動を日本国外でも行えるようにするという変更もあり、その点では活動領域は大幅に拡充しましたが、しかし実際に船舶検査を行うにあたっては対象船が船籍登録している国の同意が必要であるとの規定が盛り込まれています。例えば北朝鮮の旗を掲げている船に対し核兵器関連のものの輸送を行っているのではないかとの疑いをかけたとしても、北朝鮮がその船の検査を承諾しなければ、その船の検査はできないということになります。つまり、国家の統制を外れて行動するテロ組織に対しては有効だとはいえるでしょうが、国家自体がテロ的な行為に加担している場合があっても、それに対しては何もできないというのが実際です。

 このように見た場合に、この法案の一体どこが戦争法案なのかと言わざるをえないでしょう。現在用意されている法案を素直に読めば、以上のようなものなのであって、これに「戦争法案」だと罵声を浴びせるのは単なるプロパガンダにすぎないわけです。

 安保法制については、冷静に事実ベースで議論をしたいものです。そしてこのような最も大切な部分について正確な報道を行わない日本の大手マスコミの腐った姿勢については、本気で怒りを覚えます。


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 沖縄県議会が埋め立て工事に使う土砂の県外からの搬入を規制するための条例案を可決したニュースには、「平和勢力」を自認する人たちがここまでえげつないことをやるのかという衝撃を受けました。県外から搬入される埋め立て工事に使う土砂に特定外来生物が混入しているおそれがある場合、県知事は立ち入り調査を実施し、混入が認められれば使用の中止を勧告できるというのがその内容ですが、端的に言ってそんな可能性を心配してのことではないのは明らかでしょう。辺野古沖の埋め立て工事以外にも、今までには数多くの埋め立て工事が沖縄県でも行われてきましたが、この条例が取り上げるような被害については、全く聞いたことがありません。この条例案は辺野古沖での埋め立て工事に対する嫌がらせのためだけのものだと言えるでしょう。

 この可決された条例について、辺野古沖への埋め立てに反対する「平和勢力」の人たちはどのような主張でもって正当化するのでしょうか。沖縄県側の「辺野古NO」の声を無視する形で政府が工事を強行するのであるから、筋が通らない主張を押し立ててでも抵抗するのは当たり前だと恐らく主張されるのではないかと思います。

 この論には一定の筋が通っています。つまり、理性的な話し合いによってものごとが解決するなどということは建前に過ぎないのであって、現実の政治の世界では非理性的な闘争も含めて優位に立つことを目指すべきなのだという立場に立てば、一貫性のある主張になるわけです。闘争というのは実際には力と力のぶつかり合いなのであって、筋が通らない主張であっても現実を変える力を持つ以上は徹底的に利用すべきであるとの考えを、恐らく彼らは持っているのだろうと思います。

 ただ、このように見た時に、彼らが「憲法9条を守れ」と主張していることとの矛盾がよく見えてきます。彼らが「憲法9条を守れ」というのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼すれば我が国の平和と安全は保持できる」という信念、つまり「武力などを持ち出すような真似をせずに誠心誠意の話し合いに徹すれば、相互理解に基づく理性的な解決策は生み出され、我が国の平和と安全は確保できる」という信念を保持しているからでしょう。

 彼らは現実にはまだ可能性の段階に留まって実際の衝突が幸いに発生していない中国などに対しては、未だ空想的な理性主義、平和主義を信じつつも、実際に対立が生じている政府との関係においては、それとは完全に真逆の立場に立っているわけです。意図的に運動をリードしている一部の戦略家を除けば、こうした矛盾の存在には恐らく気付いていないのだろうと思います。

 それ故に、私たちはこの矛盾を世の中に問うことに意味を見いだせることになるのではないかと私は思っています。


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