DDTにも見える、一方的なマスコミ報道の危険性 | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 DDTという化学物質の名前を聞いたことはないでしょうか。戦後のまだ衛生環境があまりよくない時期に、しらみなどの防除のために頭からかけられた白い粉のことだと言われたら、そういう映像を見た記憶があるという人もかなりいるのではないかと思います。

 DDTは少量でも非常に高い殺虫効果があることから、一時期は非常に幅広く使われたのですが、レイチェル・カーソン「沈黙の春」という書物で厳しく告発したことから、流れが変わりました。発がん性があるとか、環境への残留性が高くて一度使うとなかなか消えることがないとか、いろいろな面で極めて危険であるとされました。ちなみに「沈黙の春」という名前は、DDTなどの使用によって昆虫がいなくなり、昆虫を食べる鳥もいなくなり、春が来ても鳥が鳴かなくなったとの告発から来ています。この本の与えた衝撃は大きく、DDTは世界的に禁止されるようになりました。ちなみに、プロレスの技にもDDTというのがありますが、これは化学物質のDDT並に危険だという意味から名付けられた技で、そのくらいこの化学物質の名前は一頃は有名でした。

 ところで、DDTに対する長年の研究の結果として、人体に対する発がん性が否定されるようになり、残留性も言われてきたほど強いものではないことが確認されるに至っているということは、皆さんご存知でしたでしょうか。恐らくはご存じなかったと思います。その結果、今やあのWHO(世界保健機関)がマラリアの蔓延を防ぐ見地から、DDTの使用を再び認めるようになっています。

 確かに直感的には昆虫に極めて高い殺傷性を持つ化学物質が人体にも何らかの影響を持つのではないかと考えるのは極めて自然な発想だと思います。昆虫には極めて強力な殺傷性を持つ薬剤が、人体にはほとんどダメージを与えることがないというのは、同じ生物であることを考えれば、なかなか信じにくい話です。その意味ではレイチェル・カーソンの告発はやむをえないものだったかもしれません。また、仮に人体にほとんど影響がないとしても、自然界でむやみやたらに使うのは避けるべきだとはいえると思います。そういう野放図な使い方をやめさせた効果を考えれば、レイチェル・カーソンの告発には意味があったともいえるでしょう。しかしながら、マラリア蚊の防御に極めて有効だったDDTが全面的に禁止された結果として失われた人命は、数千万人は下らないと推計されているということも、私たちは記憶に留めておくべきだと思います。

 そして、レイチェル・カーソンの告発が世界的に極めて大きな力を有したのは、この告発がマスコミに格好のネタを提供し、市民運動にも大きな影響を及ぼしたからでした。マスコミの中にも市民運動に参加した人たちの中にも、良心に駆られたからこそ大きな社会運動になるように動いたという人は多かったのではないかと思いますが、その良心の発露は数千万人の命を無残にも奪うことにもつながりました。私たちが忘れてはいけないのは、冷静な検証を認めようとしないで一方的な正義を語ることの危険性だと思います。自分が正しいと確信していることであっても、ひょっとしたら間違っているかもしれないと思っておくことには、意味があると考えます。

 こうした点で最も罪なのはマスコミだと考えます。本来はできるだけ多様な見解を平等に載せるべき立場にありながら、その役割を全くといってよいほど果たしていません。そもそも、DDTの危険性についてこれほどまで大きな見直しがあったというのに、人々に植え付けられた偏見を修正する報道は、事実上行われてこなかったのです。そして今でも盲目的な市民運動にむしろ加担するような言論を相変わらず続けています。(一般マスコミがいい加減な記事を載せるのを防げない以上、真実の検証と多様な見解の掲載を最大の目的とする国営のマスコミを用意すべきであると、私自身は考えています。)

 冷静な検証を認めようとしないで一方的な正義を語ることは危険であり、この点で日本のマスコミが犯している罪は大きいと感じられる方は、ブログランキングへの投票をお願いいたします。



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