消費税の地方税化は適切なのか? | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 消費税の地方税化と地方交付税の廃止が新しい政治の仕組みとして大切だという意見が、構造改革派の政党から出されています。この主張は正当でしょうか。今回はこの問題を考えてみましょう。

 まず、一口に「地方」と言ってもまちまちだということに気付いてもらいたいところです。例えば、大阪府のように900万人近い人が住むところもあれば、鳥取県のように県全体でも60万人に満たない人しか住まないところもあります。さらに、大阪府の平均年収は鳥取県の平均年収よりも4割ほど高い状態にあります。大阪府の人と鳥取県の人の消費性向が同一であるとすれば、単純計算すれば、消費税収は20倍以上異なることになります。

 現在の鳥取県の歳入規模と大阪府の歳入規模の差は7.8倍ほどですが、仮に財政力の小さい自治体をより強く支援する地方交付税を廃止し、消費税の地方税化によって地方の財源を確保させる方針になったとしたら、この差は20倍に近づいていくことになるはずです。

 この結論から明確にわかるように、このような政策を実行した際には、大都市圏ばかりが潤う結果となります。そしてそこに道州制が組み合わされていけば、経済力の格差を背景にして、大都市圏が周辺自治体を従えていく構図になるのは必然と言ってもよいかと思います。さて、こうした方向に進んでいくことが、日本の正しいあり方なのでしょうか。

 「鳥取県は県内の産業を発達させて人口と県民所得を引き上げる努力を怠ってきたのだ。だから、それにふさわしい財源しかないのは当然なのだ。大阪府は多くの産業を作り出して豊かな雇用を作り出してきたのだ。大阪府が生み出した富を、県内産業の育成と県民所得の引き上げに努力してこなかった貧しい県に引き渡すというのは、納得がいかない」という考え方なのかもしれません。この考え方が根底にあるという断定が少々うがりすぎているとしても、少なくとも、「それぞれの都道府県が各々産業振興と人口増加に努め、その結果責任を負うというのが、責任ある政治だ」という考えに立っているのだろうと思います。

 このような議論は、大阪府と鳥取県の置かれた歴史的地理的条件を全く無視した暴論だと、まず思います。そしてそれに留まらず、そこには人間観の貧しさがあるように私には感じます。

 最近はよく「WIN-WIN の関係」なるものがありがたがられる傾向にありますが、日本にはとっくの昔から「売り手良し、買い手良し、世間良し」という格言がありました。「WIN-WIN」がしょせん「売り手良し、買い手良し」だけで留まっている貧相なものであることに、私たちは気がついているべきだと思います。

 この「世間良し」まで含めた「三方良し」を考える行動原理は、各人がどこまで守られているかは別として、私たち日本人の心の中には、本来そうあるべきだとの思いがあり、それから外れることがあるとすれば、後ろめたさのようなものを感じてしまうものではないかと思います。

 ところで、現在の日本の問題点は、このような「三方良し」の考え方が崩れてきていることに起因しているのでしょうか、それとも「三方良し」のような日本的な考え方の崩し方がまだまだ足りないことに起因しているのでしょうか。

 人生も、経済も、政治も、勝ち負けを争うゲームであり、各人がそのゲームの中で勝者となるように最大限の努力を行っていくことが、活力ある社会を作るという考え方があります。この考え方に立脚すれば、「三方良し」という全体調和を目指す考え方は、甘えたばかばかしい考え方のように映ることになるはずです。つまり、この競争ゲーム論の考え方に立つ人は、そうした日本的な考え方を日本人が未だに引きずっていることに問題の原因を求め、競争を強化することが問題解決への基本的な道筋であるという哲学を前提としているはずです。

 この立場を主張する、いわゆる構造改革派の人たちが、こうした思考の根幹にあたる部分について自覚しているかどうかはわかりません。おそらくは自覚していないと思います。しかしながら、自覚している、していないに関わらず、構造改革を断行していけば、「三方良し」的な日本的な価値観がますます崩されていくことになるのは、間違いないところです。

 さて、ここで問いたいのは、私たちはそのような日本に果たして住みたいのかということです。私は住みたくありません。東日本大震災で被災者が見せてくれたような、自分に十分な食料がなかったとしても、もっと困っている人のことを考えてそちらに食料を回そうとするような、そんな人たちに囲まれて暮らしていきたいですし、また自分もそのような人間の一人でありたいものです。

 今日の日本が抱える根本問題は、構造改革の不徹底といったものにあるのではないと思います。むしろ、義理や人情や道理を大切にし、他者や社会を自分の利得以上に重んじる心情が、「遅れたもの」「古くさいもの」として軽視されるようになっている、そのあり方にこそあるのではないでしょうか。そうした価値観の大切さを見失っているからこそ、構造改革路線が正しいと思ってしまうのではないかと考えます。

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