「南洲翁遺訓」に記された日本精神を回復しよう! | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 徳川幕府の親藩だった庄内藩は、幕府に対する忠誠から戊辰戦争で官軍と激烈な戦いを行いましたが、ついに敗れて官軍に降伏しました。この時に、官軍の総大将だった西郷隆盛は、逆に庄内藩の武士には帯刀を許しつつも、官軍の兵士には帯刀を許さずに、庄内藩の鶴ケ岡城に入場しました。敗者の側の誇りを大切にしつつ、勝者の側で驕りから万が一でも乱暴狼藉を働くことがないように考えた処置だったようですが、なかなかこのようなことはできることではありません。

 こうした西郷の処遇に感激した庄内藩の者たちが、西郷隆盛から聞いた話をまとめた書物が「南洲翁遺訓」(「大西郷遺訓」などともいう)です。

 この書は、今からすれば「古文」にあたる文ではありますが、古文に疎い現代人でもわかりやすい文章で書かれており、また日本人的なものの見方の基本を教えるものでもあり、ぜひ中学生や高校生の古文学習の教材として使ってもらいたいと思っています。(現代の教育で使われていないのがもったいないです。)

 さて、この書の中に以下のような箇所があります。

 「文明とは道の普(あまね)く行はるるを賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些(ち)とも分らぬぞ。予(よ)嘗(かつ)て或人(あるひと)と議論せしこと有り、「西洋は野蛮じや」と云ひしかば、「否(い)な文明ぞ」と争ふ。「否な否な野蛮ぢや」と畳みかけしに、「何とて夫(そ)れ程に申すにや」と推せしゆゑ、「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本(もと)とし、懇懇(こんこん)説諭して開明に導く可(べ)きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程むごく残忍の事を致し己れを利するは野蛮ぢや」と申せしかば、其の人、口を莟(つぼ)めて言無かりきとて笑はれける。」

 「事(こと)大小と無く、正道を踏み至誠を推し、一時の詐謀(さぼう)を用う可からず。人多くは事の指支(さしつか)ふる時に臨(のぞ)み、作略(さくりゃく)を用て一旦其の指支(さしつかへ)を通せば、跡は時宜次第工夫の出来る様に思へども、作略の煩(わずら)ひ屹度(きつと)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之れを行へば、目前には迂遠なる様なれども、先きに行けば成功は早きもの也。」

 「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。」

 「道を行ふ者は、固(もと)より困厄(こんやく)に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔(など)に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れども、人は道を行ふものゆゑ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら道を行ひ道を楽み、若(も)し艱難に逢ふて之れを凌がんとならば、弥弥(いよいよ)道を行ひ道を楽む可し。予(よ)壮年より艱難と云ふ艱難に罹(かか)りしゆゑ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫(そ)れだけは仕合せ也。」


 「現実主義」の名の下に、こうした道理や情理を忘れていることが、現代の日本では多くなっているのではないかと思います。こうした日本精神を日本人全体で再強化し、慈愛に満ちつつもたくましい日本を作り上げていくことに、今の閉塞状況を打ち破るヒントがあるのではないかと思われる方は、クリックをお願いいたします。


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