公共投資を増やすと、本当に財政は破綻するのか? | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 第二次世界大戦を挟んだあたりのアメリカの経済を簡単に見てみましょう。

 実はアメリカの経済成長率は、1938年ではマイナス3%程度でした。それが1939年にはプラス8%程度になり、1942年にはなんとプラス18%程度にまで拡大しました。アメリカがこの時にこれほどまでの経済成長を実現できたのは、一体どうしてだったのでしょうか。

 こう問われたら、誰もが、「それは1939年からヨーロッパが第二次世界大戦に突入し、1941年末にはアメリカ自身が日本との開戦を通じて参戦し、戦争で潤ったからだ」という感じで、答えることだろうと思います。

 もちろんこの解答で全く問題ありません。「戦争は儲かるから、国家は戦争を起こそうとするものなんだ」なんてこともよく耳にしますね。

 ところで、ここで疑問を感じてもらいたいところがあるのです。戦争なんて資源を浪費するばかりで、全く生産的な行動ではないはずですが、こんなことに多額の国家予算を傾けながら、アメリカの財政が第二次大戦を通じて破綻したという話を聞いたことがあるでしょうか。ないはずです。

 それどころか、戦後のアメリカは西欧の復興のためにマーシャルプランを実行しました。マーシャルプランとは、アメリカが無償ないし低利で、多額の資金(当時の金額で23億ドル)を西欧諸国に与えたヨーロッパ復興計画のことですが、こんな大規模な援助計画を実行できる経済力を、第二次世界大戦を経た直後のアメリカは備えていました。

 財政赤字を心配して、財政出動をためらっていた1930年代初頭においては、不況の局面はどんどんと深刻化していきました。それが第二次世界大戦という強烈な「積極財政」に走った結果、アメリカは強烈な経済強国に変貌したわけです。増やしていった支出は浪費的な経費ばかりであったはずなのに、まるでそんなことが問題とならないことであるかのように、アメリカの経済力は強化されました。

 この一連の流れの詳しい因果関係は理解できなくてもよいです。浪費的な支出を増やして経済を活性化させようとしても、無駄が増えるだけだと一般に思われているわけですが、実際の経済の動きはそれほど単純ではないということに、この例を通して気付いてもらいたいのです。そしてこの例から、現在の日本の経済政策につながる教訓を引き出してもらいたいのです。

 念のために言っておきますが、私は日本が戦争に打って出るべきだという主張をしているわけではありません。先にも述べましたように、戦争は資源を浪費し、多くの命を犠牲にし、多くの不幸を作り出し、生産的とはとてもいえない行為です。こんな愚かなことは、できる限り避けるべきです。

 しかしながら、戦争とは違って生産的なことであるなら、どんどん積極財政で進めていくべきではないかと思うのです。そして、これによって単純に国家財政が破綻するかといえば、実はやり方によっては破綻しないというところを、第二次世界大戦のアメリカの例から察知してもらいたいのです。

 ところで、現在日本で老朽化が進んで通行ができなくなっていたり、通行制限が実施されている橋脚はどのくらいあるか知っていますか。平成24年4月時点で何と1974脚が報告されています。こうした橋脚が、修繕したり立て替えたりする予算がないという理由のために、放置されているわけです。当たり前ですが、このまま手をこまねいていれば、これから先にこうした橋はどんどんと増えていきます。そしてそれによって日本の物流は大きく阻害されていきます。財政赤字だから、そうやって日本がどんどん貧乏になっていくのは致し方ないことなのでしょうか。どこか間違っているとは思いませんか。

 日本に敷設された水道管の6%以上が、現在耐用年数を過ぎています。近年水道管の破裂に伴う道路の陥没事故が増えていますが、老朽化した水道管を取りかえる予算がないという理由のために、古い水道管がそのまま放置されているわけです。このままでは2030年には40%以上の水道管が耐用年数を過ぎると予測されています。そうなれば、水道管の破裂と道路の陥没はまさに日常茶飯事になることでしょう。財政赤字に苦しむ日本では、そのような事態になってもやむを得ないということなのでしょうか。どこか間違っているとは思いませんか。

 「コンクリートから人へ」というスローガンがもてはやされるほど、日本では公共事業費は無駄なものだとみなされるようになってしまいましたが、現状のライフラインを維持することすら到底できないところまで、公共事業費は削減されてしまいました。そしてそのことによって、日本はますます貧しい国になっています。どこか間違っているとは思いませんか。

 研究開発費も同様です。アメリカではスーパーコンピューターの開発に対する国家予算は年間3000億円程度なのに対して、日本では「京」の予算として2012年度に認められたのはたった217億円です。これほどの格差を乗り越えて1位になったこと自体がすごいことですが、研究開発費においてこれほどの差がある状態で、アメリカを凌駕するコンピューターを作り続けるなどということは、どだい無理な話でしょう。とはいえ、日本は国家財政が苦しい国ですから、先端技術に多額の予算をつぎ込む余裕などなく、国際競争に敗れて国際的な地位をどんどん下げていくのはやむを得ないことなのでしょうか。どこか間違っているとは思いませんか。

 第二次大戦を通してのアメリカの財政の例を考えていけば、「国家財政が赤字だから公共投資や研究開発に回すお金などない」というのが、どこかで勘違いをしていることに気がつくのではないかと思います。日本は世界最大の債権国であるはずなのに、本当に公共投資や研究開発に向けるお金はないのでしょうか。

 今回の記事では細かい理屈は抜きにして、常識的に考えて、緊縮財政路線が日本をじり貧に追い込む間違った方針であるということを示しました。

 必要な公共投資を行い、経済成長を促していくことの方が、日本ではむしろ求められているのです。そしてこれを行えという信号が、需要不足によって生じるデフレ現象なのです。自然な状態に任せていては不足したままになってしまう需要を、財政が無理することによって埋めなければならないのです。

 マスコミはすぐに「無駄な公共事業を再び増やすな!」という大合唱をします。仮に「無駄」な公共事業であったとしても、それを進めた結果として国家が破綻するということは、単純にはいえません。それはアメリカの例でよく理解できるはずです。ましてや必要な公共事業だけでもやるべきことはたくさんあります。そうした公共事業まで「無駄」扱いしてやらせないようにすることが日本のためにならないことは明らかだと思うのですが、日本のマスコミ報道を見ていると、公共事業なんて全て無駄とでもいいたげな感じです。ここには大きな歪みがあります。

 ライフラインの維持もできないような公共投資抑制をやめ、むしろ必要な公共投資や先端技術開発の予算をもっと組むべきだという意見にご賛同いただける方は、クリックをお願いいたします。


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