世界選手権があと一週間と近づいて来ました。

スポニチが連載してくれている【羽生結弦と世界選手権】第1回は2012年ニコニコ
伝説のニースの記事です。




【羽生結弦と世界選手権(1)12年】伝説のニース、初出場17歳で銅メダル
スポニチアネックス2021年03月14日08時00分


 フィギュアスケートの世界選手権は24日、スウェーデン・ストックホルムで開幕する。新型コロナウイルスの影響で無観客に加え、選手や関係者の安全確保のために外部との接触を断つ「バブル」方式で開催。22年北京五輪の国別出場枠も懸かる大舞台を前に、羽生結弦(26=ANA)の過去の世界選手権を振り返る。

 【12年フランス・ニース】

 初出場の17歳が、銀盤に鮮烈な印象を残した。

 「悲愴」に乗ったショートプログラム(SP)はトーループの4―2回転、トリプルアクセルを決めたものの、最後のルッツが1回転となり77・07点で7位発進。翌日のフリー「ロミオとジュリエット」で、世界は羽生の黄金のポテンシャルを知る。

 冒頭の4回転トーループから順調にジャンプを決めていったが、中盤のステップで転倒。「こけて休めたと前向きに考えた」。立て直してジャンプを決めると、会場のボルテージが上がっていく。終盤のコレオステップに入る前、降り注ぐ歓声の中で羽生は確かに叫んだ。

 全力で舞ってフィニッシュすると右腕を振り下ろし、そして天へ突き上げた。フリー173・99点、合計251・06点はともに自己ベスト。逆襲の銅メダルは、日本男子最年少の表彰台。「やりました、頑張りました」と涙がまじる殊勲の汗をぬぐった。

 前年の11年3月11日、地元、宮城県仙台市のアイスリンク仙台で練習中に東日本大震災が発生。スケート靴をはいたまま、膝をついてリンクから逃げた。以降、各地を転々としながら多くのアイスショーに出演。懸命に技術と表現を磨いてきた。

 様々な困難を乗り越えて立った、世界の舞台。「被災地から出場した選手として、勇気を与えようとかそういう思いで滑っていたのが、逆に自分が皆さんに支えられていて。それをやっと、受け止め切れたのかな」。輝くメダルとともに、胸に大切なものが刻まれた。





      ⭐⭐⭐⭐⭐⭐


中盤で転けた時、本人は「こけて休めた」と考えていたところが前向きですね。

以前、雑誌のインタビューでも「あそこで休めてないとヤバかった」みたいな事を言ってました。

見てる私も、あそこで転倒した次のトリプルアクセル+トリプルトウループで「おおーーー❗」ってなって演技に引き込まれていったので、人を引き付ける、記憶に残る演技っていうのはノーミスした演技とは限らないという事を、私は初めて羽生くんのファンになった時に知りました。

この時、羽生くんは右足首を捻挫していてフリーは棄権も考えたという状態だったのですが、そのケガを押して出場した必死の演技がロミオの苦悩と重なって、ものすごくドラマチックな盛り上がりを見せた。


私が羽生くんの一番好きなところは、この絶対に諦めない!というところです。

羽生くんの胸の中でその思いが燃えているのを感じると、すごい力強い勇気がもらえます。


そして試合が終わって緊張感が切れると、人懐こい笑顔を見せて、優しくしゃべるところも好き💕

強くて優しい。
優しいから強い。

そんな、羽生くんが大好きです😌🌸






世界選手権は、いろんな不安があります。

選手は20日か21日に到着が決められているので、もう今日明日にもストックホルムに向けて出発です。

でも、あんまり不安を口にすると本当になりそうで怖いショボーン


だから、絶対に大丈夫!って言っとく。

コロナ退散!!

安心・安全な大会になる!

思うように演技出来る!!

言霊ですウインク





ガーベラニース世界選手権の記事です。
「演技」「インタビュー」「表彰式」それぞれ動画もあります。





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◆お写真はありがたくお借りしました。