昨日の日テレの「未来へのチカラ」に羽生くんの映像が流れると楽しみにしていたのですが、また地方の壁に阻まれました😢

でも、日テレのサイトに動画が上げられていました爆笑

見てみるとほぼ今までに見たことがある映像が多かったんですが、ちらほらこれ未出かな?と思える場面もありました。

下↓のサイトで動画見られます。

映像の中にどんな場面があるか、スクショを貼っておきます。



羽生結弦の10年…苦悩の末に課した使命

日テレNEWS242021年03月11日16時28分

宮城県出身のフィギュアスケート・羽生結弦選手も仙台市で被災しました。その後、冬のオリンピック2連覇を達成。快挙の原動力の一つにもなった自らに課した「使命」とは?羽生選手の10年を追いました。(3月11日放送の特別番組「未来へのチカラ」より)























































      ⭐⭐⭐⭐⭐⭐

最初の体育館の場面、2014年6月の石巻市訪問、2019年北海道厚真町訪問は、過去記事に書き起こししています。

こちらから→テーマ 24時間テレビ 


今回の日テレ特別番組「未来へのチカラ」は、ほぼ過去のeveryと24時間テレビにあった既出の映像でした。

途中の「あの大きな地震があってそれでも生き残ってる使命が絶対あるはず」と言ってる場面見覚えがないです。

あと「日本全体が地元って感じで活動したい気持ちになってる」と言ってる場面は、去年の2月だそうですが、私はあんまり覚えてないシーンでした。

それと、最後の「スケーターとして何ができるのか、人間として何ができるのかすごく考えた」「大人になったということかもしれない」って言ってる場面も見覚えがないんですが、ここ新しい映像でしょうか?


羽生くんは、16歳から26歳までもう10年も被災地に支援し続けているんですね。

ソチオリンピックで言ってた「無力」や、石巻市訪問のとき「僕が行っていいのか」と悩んだ気持ちを吐露していました。

今はもう、そんな風に思っていないかな?

羽生くん自身は、今まで2億円を越える寄付をしているし、平昌オリンピックのパレードの経済効果は18億円だそうです。

きっと羽生くんの支援はこの先もずっと続けていくんだと思います。
それは、羽生くんの使命なのかも知れません。

16歳の彼が背負わなければならなかった重荷は辛いものだったけれど、彼が東北の地に生まれてくれた事は、本当に人々を導く光になっている、そんな気がします。


この映像には石巻市の湊中学校を訪れる場面が入っています。

私は、「フィギュアスケートマガジン 2020-2021vol.2 全日本選手権特集号」を読んで知ったのですが、湊中学校はソチオリンピック当時、羽生くんのお父さんが教頭先生を務めていたんですね。
それで、教頭先生の息子がオリンピックに出ることになって、生徒の応援の寄せ書きの旗が贈られた。

生徒から贈られた旗は、2014年の24時間テレビに羽生くんが持っている場面がありました。

羽生くんは、オリンピック後、そのお礼に湊中学校を訪れたという流れだったとやっと分かりました。

マガジンで凄く良かったのは、湊中学校で羽生くんと交流した少年にあの時の話を取材してくれたところです。



一緒にポーズを取っていた少年。

彼が見た「羽生くんの印象」とか、羽生くんのお父さんが教頭先生だったからよく知っている彼が「お父さんと羽生くんの目元が似てる」って言ってたこと、そして、体育館のあと場所を変えて話をしていたことが書かれていたことも面白かったです。

マガジンは、その記事に続けて、羽生くんの小学校・中学校の友人のお父さんの話を載せてくれました。
その方は、震災後、金沢に移り住み、ずっと羽生くんの応援の新聞を作り続けてくれています。

↓こちらに記事があります。



確か、平昌オリンピック後くらいに1回テレビで見たような気がします。
羽生くんにまた会いたいって話していたことがあった気が。

ちょっとうろ覚えですぐ探せなかったんですが、覚えている方がいたら教えて下さい。

マガジンは、他にもいつもの全書き起こし記事に加え、研磨師の吉田さん、音響デザイナーの矢野さん、衣装デザイナーの伊藤さん、味の素の栗原さん、といった羽生くんを支えるエキスパートの方々のインタビューも読みごたえがありました。

まだ買ってない方、オススメの一冊ですニコニコ








◆写真は動画からスクショさせて頂きました。