先日、思いがけずリブログのお申し出を頂きましたニコニコ
約3年前に書いた「バラ1への思い」という記事です。


自分でも書いた内容を忘れているほど前に書いたその記事を、どこかで以前読まれて、一生懸命探して下さった方がブログで紹介して下さったんです。
うちのブログ、改めて探すのとても大変だったそうです(笑)

本来ならば、書いて下さった記事へのリンクを貼る予定でした。
仮にAさんとさせて頂きます🙏
けれど、その直後に彼女のブログがトラブルに遭われてブログを閉じてしまわれたんです。
いつかトラブルを解決して戻って来られたらご紹介しますね。


なので、今はリンクは貼れませんが、その時にブログから引用のご許可を頂き記事を作っていたため、お言葉をそのままお借りして記事を書きます。

まずは、リブログして頂いた私の記事をご覧頂ければと思います。



私の記事の内容は、ショパンがバラ1を作曲するモチーフとなった物語を知る事、バラ1を弾くピアニストの方が書かれた文章、またその時にブログで出会ったピアニストのONELOVEさんが仰っていた言葉、の3つを手懸かりに「羽生選手のバラード1番が表現しているもの」を私なりに書いてみたものです。

以下は、Aさんのリブログ記事からの引用です。


(一部引用)

羽生選手の演じる『バラード第1番』と、ショパンのピアノ曲『バラード第一番 ト短調Op.23』、そしてショパンがこのバラードを書くきっかけとなったとされる、アダム・ミッキェーヴィチ作のバラード(叙事詩)『コンラット・ヴァレンロット』。

これら三者の関係はなかなか難しく、正しく関係づけられなければ、誤解を招きやすいものです。

『コンラット・ヴァレンロット』のストーリーのみをご紹介することは簡単ですが、説明なしにそれを羽生さんの『バラード第1番』と関係づけてしまうのは、危険だと感じています。

(引用ここまで)



そこで、『コンラッド・ヴァレンロット』のストーリーの説明と羽生くんの『バラ1』の関係の考察として私が書いた記事をご紹介頂いたということでした。
大変恐縮です。ありがとうございましたニコニコ

『コンラッド・ヴァレンロット』のストーリーは、私の記事中でご紹介していますが、確かにこれが羽生くんの『バラ1』の原作と聞くととてもそうと思えないお話となっています。

Aさんの三者の関係という言葉に、そういえば私の記事は、羽生選手の演じる『バラ1』と、ショパンのピアノ曲『バラード第一番 』『コンラット・ヴァレンロット』の三者の関係については直接触れていなかったなと気づきました。

この三者の関係を改めて考えてみる事で、なぜ羽生くんの『バラード1番』と『コンラッド・ヴァレンロット』の物語のストーリーが重ならないかも見えてきました。



①『コンラッド・ヴァレンロット』の物語をモチーフに、②『バラード第一番 ト短調Op.23』が作られ、③そしてショパンの曲から羽生くんの『バラード1番』が作られた。

この順番、が重要だと思うんです。
①は②に影響し、②は③に直接結びついてる。
けれど、③は①とは離れていて、あくまで②を挟んでの関係です。

『コンラッド・ヴァレンロット』は、ショパンの曲の作曲の着想になったものです。
けれども、羽生くんがジェフリー・バトルと共に作った『バラード1番』は、ショパンの『バラード第一番 ト短調Op.23』の音楽をフィギュアスケートのショートプログラムとして作ったものであって、羽生くんが『コンラッド・ヴァレンロット』がその元になった物語だと知っていたとしても、物語は特に反映されていないのではないでしょうか。

だから、羽生くんの『バラード1番』の元になった物語ですよ、として『コンラッド・ヴァレンロット』のストーリーを読むと、2つはほぼ重ならないと感じられるのではないでしょうか。


また、上の私の記事にお言葉を引用させて頂いているピアニストのONELOVEさんと、この記事がリブログされたことをコメント欄でお話したんですが、その時の言葉にまたハッとしたので引用させて頂きますね。


(一部引用)

ついショパンのバラードは1番から4番までそれぞれに文学からインスピレーションを受けて作曲されたと説明されているので、標題音楽のように思ってしまうのかもしれませんが、実際にはショパンがその文学を読んで感じたこと、そこから自身と重ねてあふれ出た感情を音楽にしている部分の方が多いのだと思います。
バラード1番については特にそのように考える学者さんが多いと思います。

チャイコフスキーの白鳥の湖のようなストーリーに沿った音楽を書いたわけではない。

常に国境を越え、時代を超えて愛されるのはショパンの音楽には人間の持つ不偏的なもの(愛とか喜怒哀楽といったもの…?)があるからだろうと思います。
きっと羽生くんもショパンの音楽の中にそれらを見出したのでしょうね。


(引用ここまで)


ONELOVEさんの仰る言葉通り、羽生くんのバラ1を説明するならば、ショパンの『バラード1番』に感じた事と、そこから自身と重ねてあふれ出た感情を演じている、と考えたら真実に近いんじゃないかと思います。









これは、羽生結弦は、なんですけど。
音楽にものすごく左右されるんですよね。

そこに音楽があるからフィギュアスケートっていう表現だったり
芸術だったり技術っていうものがそこに生まれてくるんであって。

音楽とフィギュアスケートっていうのがほぼイコールだと僕は思っています。
で、僕にとっては、うん、あの、なんていうかな、「生きがい」です。
「フィギュアスケートをやる理由」です。

(2020/3/28放送 フィギペディア2019-2020シーズン特別編 より)











羽生くんのフィギュアスケートにとっては、バラ1との出会いでこれまで以上に音楽が表現しているものと技術が一体化したと思います。



ショパンの音楽には人間の持つ普遍的なものがある。



羽生くんの『バラ1』にもそれがある。
国境を越えて、時代を越えて愛されて続いていく。








この記事は、お二人の方とご縁を結んで書く事が出来ました。
本当にありがとうございましたおねがい

そして、長くお休みしていたのに、また私のブログを読んで下さるここに来て下さる皆さまに心から感謝いたします。
いつもありがとうございます。








◆フィギペディアの写真は、テレビ画面を撮ったものです。
下のお写真はありがたくお借りしました。