2015年のフランス大会男女フリー(羽生選手は出場していませんでした)は、パリで起こったテロにより中止となりました。
フリーの試合は内容を変更して特別番組を放送しました。
その中の「羽生結弦 半年間の独占密着 究極のプログラム制作の裏側」という部分から、「SEIMEI」をシェイリーン・ボーンと振り付ける様子を書き起こします。
【2015/11/15放送 特別番組フィギュアスケート世界一決定戦2015】より

特別な思い入れを込めたプログラム。羽生はいくつもの拘りを持っていた。そのひとつが「振り付け」。

一緒に作り上げたのは、シェイリーン・ボーン。
アイスダンスの元世界王者で、引退後は振り付け師として活躍。
これまで、高橋大輔の「マンボメドレー」をはじめとして、数多くの傑作プログラムを手掛けて来た。
昨シーズン、羽生の「オペラ座の怪人」を振り付けた人物でもある。

日本古来、陰陽師の世界観を表現するため、経験豊富なボーンも映画を見て研究した。


ボーン「晴明の強さは「精神」の強さから来るものだから、表情は何も変えず物理的に何もしなくていいの」


ボーン「あなたは凄く静かだけど力強い。それがいいメリハリになるわ」
この日、二人が取り組んでいたのは演技序盤、和太鼓の音に合わせてステップを刻むパート。





実は、映画「陰陽師」のあるワンシーンがベースになっていた。

それは、物語のクライマックス。安倍晴明と、宿敵道尊の対決シーン。
晴明が軽快な身のこなしで相手を翻弄し、最後は得意の術で道尊を結界に封じ込め倒す、印象的な場面だ。
これがフィギュアスケートの振り付けになると、こうなる。


大きな身振りをしながら、いかにスピードを落とさないかがポイント。


ボーン「イエース!」

ボーン「ハッ!」


陰陽師の対決シーンが氷上で再現されていく。

「晴明は決して「武器」で戦わないのです。かれは「精神」だけで戦います」

「それでも毎回彼が勝つのです」

「善が常に勝利し、晴明の精神の方がよりパワフルだという事です」

「私はそのキャラクターを、ユヅのスケートの中で表現したいのです」

羽生「太鼓というか、本当にドラムというよりも太鼓という音も結構入ってるし」
「ここまで力強さを出してっていうプログラムもなかなか無かったと思うので」

羽生「すごく独特と言うか、シェイリーンらしい振り付けが施されてるので、良いものになって来てるんじゃないかなと思ってます」



こちらは、雑誌のシェイリーンのインタビューから。

フィギュアスケート15-16シーズン展望号 (日刊スポーツグラフ)
私がユヅルに求めていることは
人が見て鳥肌を立てたり、
影響を受けるような演技です。
聞いた瞬間から音楽を気に入りましたし、日本のダンスの映像を見たことで理解を少し深めることができました。
それを氷上に持ってきたら自然にマッチしたのです。
ユヅルと一緒に作品を創り上げるのは素晴らしいことです。
彼は優雅さと力強さの二面性を持っていますから。
私は振り付け師なので、ストーリーテリングが大事だと考えます。
映画を観ても、それが良いストーリーであれば記憶に残ります。
ですので、彼にこう言いました。
「想像してみて。リンク全体が雲に覆われていて暗闇に包まれている状態を。
あなたの動きに合わせて光と太陽が差し込んで、雲や暗闇が消えていくところを」と。
ユヅルのパフォーマンスを見たら、彼の中にそれを感じることができて鳥肌が立ちました。
それこそ私がユヅルに求めている事なのです。
人が見て鳥肌を立てたり、影響を受けるような演技です。
(一部抜粋)
☆☆☆☆☆☆

2017/8/20 シェイリーンさんは晴明神社を訪れて絵馬を奉納されました。
「私の愛と情熱が私をここに連れて来ました。人々に喜びを伝える私の旅がどうか続きますように」
シェイリーンさんは、西洋人でありながら不思議なほどに日本の文化にすっと馴染んで、自然な表現として取り入れていらっしゃいますね。
「リンク全体が雲に覆われていて暗闇に包まれている。そして、晴明の動きに合わせて光が差し込んでくる」
この言葉を読んでから、私もそのように想像しながら「SEIMEI」を見ると、とてもイメージが膨らみました。
羽生くんも、振り付けをしている時に、シェイリーンの示す具体的でドラマティックな指導は分かりやすかっただろうと思います。
そう言えば、少し前に自分が死んだときに日本の神さまから3つの質問をされるという話をご紹介しました。
「羽生家の羽生結弦として」
https://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12298936619.html
また、別の話も読みました。
日本の神さまは、人々に魂を磨くように求めているそうです。
この世には、何事かを学びに来ていると。
そのためには「病もよいぞ、怪我もよいぞ」と言うのです。
びっくりしました。
健康でありたい、無事にすごしたいというのは
みんなが願う事です。
神社仏閣に行って、まず願う事ではないですか。
それを、当の神さまが「病もよいぞ、怪我もよいぞ」とは何事かと。
けれど、その時も羽生くんを思い浮かべると、
まずは東日本大震災で命運が変わり、
それ以前も以後も、腰や足首や手首などの怪我があり、
怪我をしたまま試合に出ることも度々あり、
中国杯の事故があり、腹部の手術があり、
リスフラン靭帯損傷があり・・
そんな時に羽生くんがどう行動したか、どう乗り越えたか。
それらがあって良かったとは言えないけれど、
それらの困難は、羽生くんの心も体も強くしはしなかったかと考えると、「病もよいぞ、怪我もよいぞ」の意味が分かる気がしました。
少しでも病気や怪我をした人は、
その事で、逆に普段なんでもない事や、当たり前に出来ている事が
実は当たり前ではない、ありがたい事だと気づかされたり。
この世の中に無駄なものはなく、逆説に満ちている。
人々は善ばかりの世界を望むけれど、悪には「悪の御用」というものがあり、善も悪も共に抱く必要があるのだとか。
ああ、難しい。
昼ばかりでも、夜ばかりでもいけないということか?
晴明もまた、道尊がいてこそ存在できるものとも言えるのかもしれない。
◆お写真は、自宅テレビの画面撮りしたものと、同じ動画をスクショしたものがあります。
フリーの試合は内容を変更して特別番組を放送しました。
その中の「羽生結弦 半年間の独占密着 究極のプログラム制作の裏側」という部分から、「SEIMEI」をシェイリーン・ボーンと振り付ける様子を書き起こします。
【2015/11/15放送 特別番組フィギュアスケート世界一決定戦2015】より

特別な思い入れを込めたプログラム。羽生はいくつもの拘りを持っていた。そのひとつが「振り付け」。

一緒に作り上げたのは、シェイリーン・ボーン。
アイスダンスの元世界王者で、引退後は振り付け師として活躍。
これまで、高橋大輔の「マンボメドレー」をはじめとして、数多くの傑作プログラムを手掛けて来た。
昨シーズン、羽生の「オペラ座の怪人」を振り付けた人物でもある。

日本古来、陰陽師の世界観を表現するため、経験豊富なボーンも映画を見て研究した。


ボーン「晴明の強さは「精神」の強さから来るものだから、表情は何も変えず物理的に何もしなくていいの」


ボーン「あなたは凄く静かだけど力強い。それがいいメリハリになるわ」
この日、二人が取り組んでいたのは演技序盤、和太鼓の音に合わせてステップを刻むパート。





実は、映画「陰陽師」のあるワンシーンがベースになっていた。

それは、物語のクライマックス。安倍晴明と、宿敵道尊の対決シーン。
晴明が軽快な身のこなしで相手を翻弄し、最後は得意の術で道尊を結界に封じ込め倒す、印象的な場面だ。
これがフィギュアスケートの振り付けになると、こうなる。


大きな身振りをしながら、いかにスピードを落とさないかがポイント。


ボーン「イエース!」

ボーン「ハッ!」


陰陽師の対決シーンが氷上で再現されていく。

「晴明は決して「武器」で戦わないのです。かれは「精神」だけで戦います」

「それでも毎回彼が勝つのです」

「善が常に勝利し、晴明の精神の方がよりパワフルだという事です」

「私はそのキャラクターを、ユヅのスケートの中で表現したいのです」

羽生「太鼓というか、本当にドラムというよりも太鼓という音も結構入ってるし」
「ここまで力強さを出してっていうプログラムもなかなか無かったと思うので」

羽生「すごく独特と言うか、シェイリーンらしい振り付けが施されてるので、良いものになって来てるんじゃないかなと思ってます」



こちらは、雑誌のシェイリーンのインタビューから。

フィギュアスケート15-16シーズン展望号 (日刊スポーツグラフ)
私がユヅルに求めていることは
人が見て鳥肌を立てたり、
影響を受けるような演技です。
聞いた瞬間から音楽を気に入りましたし、日本のダンスの映像を見たことで理解を少し深めることができました。
それを氷上に持ってきたら自然にマッチしたのです。
ユヅルと一緒に作品を創り上げるのは素晴らしいことです。
彼は優雅さと力強さの二面性を持っていますから。
私は振り付け師なので、ストーリーテリングが大事だと考えます。
映画を観ても、それが良いストーリーであれば記憶に残ります。
ですので、彼にこう言いました。
「想像してみて。リンク全体が雲に覆われていて暗闇に包まれている状態を。
あなたの動きに合わせて光と太陽が差し込んで、雲や暗闇が消えていくところを」と。
ユヅルのパフォーマンスを見たら、彼の中にそれを感じることができて鳥肌が立ちました。
それこそ私がユヅルに求めている事なのです。
人が見て鳥肌を立てたり、影響を受けるような演技です。
(一部抜粋)
☆☆☆☆☆☆

2017/8/20 シェイリーンさんは晴明神社を訪れて絵馬を奉納されました。
「私の愛と情熱が私をここに連れて来ました。人々に喜びを伝える私の旅がどうか続きますように」
シェイリーンさんは、西洋人でありながら不思議なほどに日本の文化にすっと馴染んで、自然な表現として取り入れていらっしゃいますね。
「リンク全体が雲に覆われていて暗闇に包まれている。そして、晴明の動きに合わせて光が差し込んでくる」
この言葉を読んでから、私もそのように想像しながら「SEIMEI」を見ると、とてもイメージが膨らみました。
羽生くんも、振り付けをしている時に、シェイリーンの示す具体的でドラマティックな指導は分かりやすかっただろうと思います。
そう言えば、少し前に自分が死んだときに日本の神さまから3つの質問をされるという話をご紹介しました。
「羽生家の羽生結弦として」
https://ameblo.jp/minminmin-vync/entry-12298936619.html
また、別の話も読みました。
日本の神さまは、人々に魂を磨くように求めているそうです。
この世には、何事かを学びに来ていると。
そのためには「病もよいぞ、怪我もよいぞ」と言うのです。
びっくりしました。
健康でありたい、無事にすごしたいというのは
みんなが願う事です。
神社仏閣に行って、まず願う事ではないですか。
それを、当の神さまが「病もよいぞ、怪我もよいぞ」とは何事かと。
けれど、その時も羽生くんを思い浮かべると、
まずは東日本大震災で命運が変わり、
それ以前も以後も、腰や足首や手首などの怪我があり、
怪我をしたまま試合に出ることも度々あり、
中国杯の事故があり、腹部の手術があり、
リスフラン靭帯損傷があり・・
そんな時に羽生くんがどう行動したか、どう乗り越えたか。
それらがあって良かったとは言えないけれど、
それらの困難は、羽生くんの心も体も強くしはしなかったかと考えると、「病もよいぞ、怪我もよいぞ」の意味が分かる気がしました。
少しでも病気や怪我をした人は、
その事で、逆に普段なんでもない事や、当たり前に出来ている事が
実は当たり前ではない、ありがたい事だと気づかされたり。
この世の中に無駄なものはなく、逆説に満ちている。
人々は善ばかりの世界を望むけれど、悪には「悪の御用」というものがあり、善も悪も共に抱く必要があるのだとか。
ああ、難しい。
昼ばかりでも、夜ばかりでもいけないということか?
晴明もまた、道尊がいてこそ存在できるものとも言えるのかもしれない。
◆お写真は、自宅テレビの画面撮りしたものと、同じ動画をスクショしたものがあります。